お題場(2月) 雨宿り×十字架

□『十字架の丘』 空華
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       十字架の丘

               空華




なぁ、と一声鳴いてみるが、ご主人はまるで俺のことを忘れてしまったようにこちらを振り向かずに、歩いている。
いつもならすぐにあの細い腕で抱き上げてくれるのに。

その腕の中には首から下げるには少し大きくないかという十字架があった。
どうやら今日も同志の為に祈るらしい。
それなら邪魔をしてはまずいと猫ながらに気をきかせて、ご主人の後ろを足音一つ立てずに付いて行く。



数日前までは圧倒されるほどの十字架が立っていた丘は、何もないまっさらな平地になっていた。
ご主人は真っ黒に焼け焦げた地面をじっと見つめている。
涙を堪えているようにも、笑い出したいのを抑えているようにも見えた。
けれど俺は猫だから、人間のご主人が本当は何を思っているのかなんて分からない。
どうしてこの丘に、ご主人やご主人以外の人間が十字架を持ってくるのかも、当然分からない。

大量の十字架が消えるのは、これが初めてじゃなかった。
何度も何度もまっさらになって、何度も何度も十字架は立った。
ご主人はそんな十字架を立て続ける人間の一人だ。
どうしてかは分からないけれど、同志の為に祈っているのだといつか聞いた覚えがある。
人間の祈りがあんな丘を何度も何度も作っているのだと知った時は、ご主人やその周りの人間が何かとてつもなく大きなものに思えた。
立派とか馬鹿みたいとか、そういうものじゃなくて、何か漠然とした『大きなもの』だ。

ヒゲが空気の湿りを感じた。

雨が来るなと思ったが、ご主人は動かなかったので落ちてくるまでは声をかけないでおこうとご主人の傍でじっとしていた。

しばらくすると、ぽつぽつ雨粒が俺とご主人の上に降ってきた。

「なぁぁ」

ご主人、雨だ。
ご主人、風邪をひくぞ。
ご主人、俺は濡れるのが嫌いだって知ってるだろう。

ご主人は俺が鳴いても引っ掻いてもまったく動かなかった。
人間が貼り付けられている十字架を前に、じっと目を瞑って動かない。

ご主人には祈る理由があるだろうが、俺は猫だ。
祈る理由も何も、そんなことをする種族じゃない。

尻尾をゆらゆらさせながら、ご主人の膝の前に移動する。
ここならご主人が傘になってあまり濡れないだろう。
祈りを邪魔する事になるかと少し考えたけれど、自分が濡れるよりはマシかと思ってそのままご主人の膝にもたれかかった。

しかし上からぽつりと雨粒が降って来て顔を濡らされたので、唸りながら顔を上げる。
ご主人、これじゃあ雨宿りにならないじゃないか。

ご主人の顎を伝ってまた一粒落ちて来た。

自分の顔についた雫を舐めてみたらなんだか辛かったので、これはどうやらご主人が泣いているらしいという事に気付く。

やれやれ、人間は面倒だ。

ひょいと膝から抜け出し、ご主人の傍でぐたりと伸びる。

ご主人がいつまで祈っているかは知らないが、とりあえず付き合ってやることにした。
先に帰ってしまったらご主人は俺を探すかもしれないし、もっと泣いてしまうかもしれない。

せめてご主人が祈っている同志も、ご主人の為に祈ってくれていればいいな、と背中を伸ばしながら思った。







2008.2.20 空華

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