黎明の魔術師

□東の京中心部 国立魔術学研究所
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仮初の名前 3


 5月の少女に案内されて、アレックスは吐水の部屋へ向かった。


「吐水、入るわ」

 扉を軽くノックしながら、瞑葬が言った。

「どうしたんだい、瞑葬。……ああ、君は新しく英国から派遣された留学生だったね。何か不便でもあったかい?」

 部屋に入ると、大きな窓を背にして椅子に腰掛けた吐水が、机の上に無造作に広がった資料の幾つかを手に取って目を通していた。彼は瞑葬の連れの姿に気が付くと、ぱさりと資料を机に置き、視線をアレックスに合わせた。

「お久しぶりです、吐水所長。実は」

「ああ瞑葬、道案内ご苦労様。君はもう下がっていいよ。疲れただろう、しばらくは体を休めるといい」

 アレックスが言葉を紡ぎ始めると、吐水はそれを遮って言った。

「分かったわ。……失礼」

 瞑葬は一礼すると部屋を出た。



 人気の無い階段を一人早足で昇る。普段誰も使わない割に、派手な装飾の施されたこの階段はあまり好きではない。壁一面に描かれた、芸術の嗜みのない者にはどんな価値があるのか分からない壁画や、無駄に凝った彫刻の彫られた手すり。どれもこれも、今から200年前に魔研が設立された当初のものをわざわざ再現したという。

「……当時の人間の趣味って、よく分からないわ」

 2世紀の差は激しいのね、と一人ごちながら、自室のある5階にたどり着く。部屋に入り倒れ込むようにベッドにうつ伏せになると、睡魔に襲われる。刹那の格闘を経て、さっさと白旗を上げて夢の世界に身を投じると、懐かしくも忌まわしい、瞑葬がまだちゃんとした人間だった頃の最後の記憶が、気持ち悪いほど鮮明に甦ってきた。






 狭い通路の中で、風が渦巻く。青白い炎が皮膚を舐める。熱い。



 どうして。どうしてどうして。



 私は、家族に会いに来ただけ。珍しく東の京に来たから、魔研に寄っただけなのに。



 どうして私は炎に囲まれているの?




 ――私は、死ぬの?







「――juW去eW――」


 鋭い声が、炎を貫く。

「……母、さん」

「明、しゃがめ!!」

 続いて横一線、日本刀の斬撃。

「……月史姉さん」

 炎がはけた空間に、母さんと月史姉さんが現れる。

「にっ、兄さん達は!?」

 私はごほごほと咳き込みながら、新鮮な空気を肺に受け入れる。

 そうして、母さんに駆け寄りながら尋ねた。

「……」

 母さんは無言で首を横に振る。姉さんも、俯きながら日本刀を鞘に収めるだけ。不安になって、質問をダイレクトにぶつける。

「……死んで、ないよね?」

「……、ええ」

 少し間が空いて、母さんはぎこちなく頷いた。



「母さん、私」

「今すぐ北の端へ帰りなさい、明」

「えっ……」

 北の端……。ここ日本国の北に位置する島で、私の普段住んでいる場所。今も父さんはそこに居る。

「嫌。私、まだ兄さん達に逢ってない!!私、皆に逢いに来たのよ!!」

「――明」

 月史姉さんが、たしなめるように私の名を呼んだ。

「あたしの刀、持ってきな。きっとこれからの人生、あんたを守ってくれる」

 姉さんが、鞘に収めた愛武器を差し出す。躊躇いながらゆっくり手を伸ばすと、その手を姉さんに掴まれて強引に刀を握らされる。

「でも姉さんっ……。これ、姉さんの大切な刀でしょ?まだ混乱は静まってないんだから、私に預けたりしたら……」

「いい。持ってけ。……あたしは剣士である前に、一人の魔術師だ。それも天才で――魔研の巫女と謳われている、な」

「姉さん……?」

 双眸で私を見据えながらも、どこか遠くを見つめて笑む姉さんの姿は、炎の中で私の眼に美しく映った。けれど同時に、何か哀しい決心をしながらもそれを決して他人に見せないように虚勢を張っているような儚さも感じた。

「明、母さんからはこれを渡します。……いつ、どこで、何の為に使うかは、あなたに任せます」

 そう言って母さんは髪を結っていた組紐を解いた。

「一度だけ使える移動魔術が編み込まれています。魔術の使えないあなたでも、この紐を噛み千切れば、その手で触れている人と一緒に瞬時に思い描いた場所に移動することができます」

 母さんはそっとその組紐を私の服のポケットに忍ばせる。

「あたしたちがここで時間を稼いでやる。明、ここに三人居たら共倒れだ。非戦闘要員であるあんたまで巻き込まれる必要はない。それに……、正直邪魔。突然魔術の制御が失われて、あんたを傷つけないとも限らない。だから……」

 姉さんの言葉が最後までつむがれることは無かった。



「居たぞ、魔研の巫女とその母親だ!!」

「――其は刃の波紋なり――」

 二人の男の声。突然うずくまる姉さん。

「ぐっ……!!くそったれ、よくもっ。あたしの最大出力食らえっ!!」

 そして姉さんは私を突き飛ばして、長い言乃葉の詠唱に入った。私は姉さんの詠唱が終わるのを待たずに、炎の向こう側に駆け出した。



 炎を抜けてしばらく走り続けて、通路の突き当たりに出る。背には炎が迫り、左右には抜け道や扉はない。もう逃げられない。

「……母さん」

 ポケットから組紐を取り出す。きっと今が、これを使う時だ。そう思って、躊躇いなく紐の端を口に含む。そして、思い切り噛み千切る。

 思い描いたのは、二つの笑顔。




 刹那、慣れない浮遊感に襲われ、思わず眼を閉じた。しばらくして足の裏が地に触れると、恐る恐る目を開いた。

「明!?」

「どうしてここに……」



 まず視界に飛び込んできたのは、二人の兄さんの驚きの表情だった。

 続いて、黒い法衣を纏った人々の驚いた表情。ざっと数えて15人は居る。

「あ、あはは……。お取り込み中失礼しまーす……」

 私は飲み込めない状況を前に、とりあえず営業用スマイルで黒い人々に挨拶した。黒い人々は、一瞬呆けた顔をして、つられたように頭を下げた。

「明、ここは北の端のようにのどかな地ではない。……帰れ」

 1番上の兄で、時を操る魔術師でありながら普段は気だるげで本気を見せない時徒兄さんが、珍しく焦って本気を出している。





 ――そう。ここで起こっていることは、全てが特異な事だった。今なら分かる。私が挨拶した相手は……政府の重鎮だったって。





 その事を、当時の私は知る由もなかったけれど。

 でも無知な私に、月史姉さんのいっこ下で、現在魔術修行中の待樹兄さんが状況を教えてくれた。端的に。省けるだけ無駄を省いて。



「ここは、戦場だから」



 だから帰れ、と。



「ちょっと、戦場って何!?魔研は国の魔術研究機関なんじゃないの!?どうして……。もしかして、他国に攻撃されたの!?」

 そんな筈はないって、頭の片隅では思っていた。本当は、他国の攻撃なんかじゃ無いって、分かっていた。敵が何なのか、大まかな予測はできていた。でも、思考はそれを拒絶して。

 どうやら私の脳は、誰かに現実を突きつけてもらえないとその先を考えることができないらしい。時徒兄さんの言葉を聞くまで、私は何も考えられなかった。



「お前は知らないだろうが明……、魔研は数年前から、国とは袂を別っている。周りに居る黒法衣どもは、政府の奴らだ。政府がここを……攻撃してきたんだ」








 ――この事件は後に、「魔研襲撃事件」として歴史に刻まれる。



 瞑葬にこれから後の記憶はない。気がついたら真っ白の部屋の真ん中に置かれたベッドに寝かされていて、彼女はそこで当時の魔研所長から母と月史、それから時徒と待樹の死を報された。

 そうして、訊かれた。

「――家族の仇を討ちたくはないか」

 と。

 それ以来、明は仮初の名前瞑葬を名乗る者として、姉から授けられた剣術の修行に明け暮れるようになった。





 浮上する意識の中で瞑葬は最後に、母の大切な言葉を思い出した。


「貴女は5月に生まれたから……、だから明(May)なのよ。自分の名前を大切にして頂戴。これは、私の最後のお願いです」

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