黎明の魔術師
□日本国行政機関 議事堂
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無彩色の誓い
黒い法衣を靡かせ、黒い女は日本国行政機関、通称議事堂の塵ひとつない真っ白な廊下を闊歩していた。すれ違う人々は、彼女の姿をみとめると廊下の端に寄り恭しく頭を垂れる。女は彼らにはさして興味を示した様子もなく、まるでそこに存在するのは自身と空気のみであるかのように、ピンヒールの踵で床を鳴らしながら、廊下の真ん中を大またで通り過ぎる。
「随分なご身分ですなあ」
「……ちっ」
そんな彼女を見ても、頭を下げるどころかにやにやとしまりのない顔でじろじろと見つめる男が一人。女は小さく舌打ちをすると、面倒くさそうに、ご機嫌麗しゅうと声を掛け小さく頭を下げた。
「どうです?朝から下賤の者に心の篭っていない会釈をされ、形だけの崇拝を集める気持ちは。さぞ気持ちや良いのでしょうねえ、皇女さま?」
「黙りなさい、口が過ぎるわよ。我が国の民を下賤の者呼ばわりするのであれば、貴方とて許さない」
皇女さま、と呼ばれた女は男をぎろりと睨み、そしてそのまま視線を地に向けた。
「……そして私はすでにかつての地位を捨てた身。家族を亡くした今、その称号など何の意味も成さないわ。それは貴方が1番よく知っていると思っていたけれど。……違かったかしら?日本国首相、綴世《ていせ》」
女――代は小さく溜息を吐き、では失礼と言って彼の脇を通り過ぎる。
恐らくは、世界を手中に収めようと言う意思の表れなのだろうが、ろくに魔術を操ることもできない男が綴世、など大それた名前を自身に冠したものだ。
一人の人間が、国を……ましてや世界を、手中に収めるなど愚かな事なのに。
でも、彼の目的を知りながら助力する自分はもっと愚かだ、と心中において自身をたしなめる。
「……いいえ。私は愚かなんかじゃない。これは、復讐。あの男への……!!」
一国を手にした人間の悲惨な末路を、彼女は知っている。だからこそ、世界を手に入れた人間の行く末など、容易には想像も出来なかった。だが、代に綴世を止めるつもりはない。もし仮に彼が世界を制圧した後に、頂点に君臨しようが身を滅ぼそうが、そんなことは彼女には関係なかった。
自身の復讐に、有益か、無益か。はたまた……有害か。
それだけが、代にとっての世界を判断する基準だった。
「私は私にとって有益なものを使えるだけ使っている。それだけよ」
誰に、というわけではなくひとりごち、大丈夫、と心の中で呟く。
――大丈夫。私は誰の指図も受けない。
そう念じて、立ち止まる。目を瞑る。瞼の裏に思い描くのは、今は亡き家族の笑顔。
「父さま、母さま、彩子《あやこ》、青仁《せいじ》……。どうかそちらで、私を見守っていて。仇は、私が討つから……」
「どうしたんだい代。黙祷を捧げるのは結構だけど、廊下の真ん中でされては皆に迷惑だよ?」
耳慣れた声に目を開ければ、目の前には長年連れ添った、代がこの世で最も信頼を置く男――御臣が立っていた。
「……御臣。探しにいこうと思っていたの」
代は、彼の顔を見たことにより心が平静になってゆくのを感じた。自身の居場所は、やはり彼の隣なのだと再確認し、彼女は躊躇い無く体重を彼に預けた。
「無理していないかい、代。君が倒れては、元も子もないだろう?僕が今ここに居られるのは全て君のお陰なんだ。僕に出来ることがあったら何でも言って。出来る限りのことはするよ」
「ありがとう。でも大丈夫よ」
代は気丈に笑んだつもりでいたが、その顔は僅かに歪んでいた。そして、付き合いの長い御臣はそれを見抜けないような鈍感な男ではなかった。
「少し、心が疲れているみたいだね。用事が極秘のものでもないのなら、ここからなら食堂が1番近いから、そこでゆっくり話そう。美味しいものを食べればきっと少しは心が晴れるよ」
「ええ、ありがとう……。でもそうもいかないのよ」
――次の作戦について、通達がきたの。
深紅の唇から、御臣が1番聴きたくない言葉が漏れた。
TO BE CONTINUED