黎明の魔術師

□東の京中心部 国立魔術学研究所
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仮初の名前



「……」

 目を覚ますと目に入ったのは、見慣れたベッドの天蓋と、傍らの椅子に腰掛け、どこか遠くを見つめる瞑葬の姿。ゆっくり身体を起こすと、彼女はこちらに視線を向けて言った。

「お早う。気が付いたのね」

「あ……うん。ごめんね、また運んでもらっちゃった」

 咎詠はさりげなく視線を瞑葬から外し、窓の外を見る。外はもう既に暮れており、自身が一日を寝て過ごしていたことを知る。

「それより、吐水の所に行かないと。まだ昨日の戦闘報告してないの」

 瞑葬はよっこいしょ、と立ち上がり、扉に歩み寄りドアノブに手を伸ばす。その手の傷は癒えておらず、彼女が自分の怪我をも放置して咎詠の傍に居てくれた事を物語っていた。

「……瞑葬、早く怪我の手当てをしないと」

「ああ、大丈夫よ」

 咎詠の呼びかけに、瞑葬は自身の手を一瞥し、ふっと笑った。

「だって、私達は死なないでしょう?」


「そうだね、でも、だからこそ心配だ」

 瞑葬が手を掛けた扉が開いて、目の前に一人の男が現れた。

「吐水……」

「君達が帰還したという報告が届いてから、もう68458秒経っている。心配になって見に来たんだ」

 国立魔術学研究所所長、吐水。自身は一線を退いて久しいが、数年前までは水と契約を交わした腕利きの契約魔術師として名を馳せていた。そんな彼が、どうして一研究者になったのかを知るものは、誰も居ない。

「ごめんなさい吐水。でも私、咎詠が心配で、」

「君は他人より、自分の心配をまずすべきだ」

「……」

 吐水の言葉に口をつぐむ瞑葬。

「……まあいい、癒音を呼ぶよ」

 彼はやれやれと溜息を吐いて、呟く。

「――其は波紋の伝令なり――」

 上級契約魔術、使役の呪文。彼の実力は、健在であった。

 彼はゆっくりと部屋に入り、先程まで瞑葬が腰掛けていた椅子に座る。瞑葬もそれに続き、咎詠のベッドにゆっくりと座り込んだ。

「流石は、静かなる水の魔術師ね」

「まだその名を覚えていたのか」

「ええ」

 咎詠は僅かに微笑んだ。

 静かなる水の魔術師、それは吐水に冠されたかつての称号であった。

「懐かしいね、その名を聞くと、かつての戦いの日々を思い出す……。確かあの時は、」


「医療魔術研究班研究室副室長癒音、参りました」

 吐水の声は、ソプラノによって遮られた。

 部屋の入り口に佇むのは、白地に紅いラインの入った法衣を纏う、魔研の医療魔術研究班の研究室副室長の少女、癒音。齢わずか15歳。

「やあ、急に呼び出したりして済まなかったね。君には、瞑葬の手の傷を癒やして欲しい」

「了解しましたわ」

 彼女は瞑葬に歩み寄り、自身の背丈ほどの長さのある術杖――魔術を使う為の補助道具である――を瞑葬の手に軽く触れさせる。

「――唄え――」

 短い呪文の詠唱。彼女は術杖を通して魔術を発動する為、長い詠唱は不要なのである。勿論詠唱を長くすれば、それだけ強力な魔術を使えるようにはなるのだが、癒音に関してはそれは不要であった。

 彼女は若いながら、その実力は並大抵の医療魔術師を上回る。彼女が長い呪文の詠唱を必要とするのは、よほどの重体者か不治に近い病を治す時のみだ。

 色とりどりの輝きが瞑葬の手の傷を包む。

「――唄え――」

 彼女の使う医療魔術は、子供らしく鮮やかな光を駆使する。それは癒音の双子の弟が彼女の為に編み出したもので、彩色と音色の「色」を掛けて発動する。故に呪文は唄え、なのだ。

「――唄え――」

 一度目の詠唱は傷の確認、二度目の詠唱は傷の治療、三度目の詠唱は傷痕の抹消。この三つのプロセスを経て、彼女の傷の治療は完了となる。

「ありがとう、癒音」

「もう……、瞑葬さまはいつもご無理をなさりすぎです。そして医療魔術を利用しなさすぎですわ。たまにはその……、研究室にもお顔をみせてくださいませ」

「う、うん……」

 癒音は、一人の女性として瞑葬に憧れを抱いていた。癒音自身が運動音痴であるから、華麗に戦場を舞う瞑葬が眩しく見えるのかもしれない。瞑葬も、それは承知の上であった。だからこそ、自分からは彼女に近づかない。それは、彼女が自分に抱いている憧れがただのまやかしであり、同時に危険な感情であることを知っていたからだ。瞑葬への憧れは、別に構わないのだ。瞑葬という存在に憧れることが、危険なのだ。

 瞑葬は不老不死という特殊な存在である。本来なら既にこの世界には存在しないはずであり、世界を1つの巨大なコンピュータに例えるとしたら、彼女はいわゆるバグである。癒音は医療魔術を使う身ゆえ、不老や不死は研究の対象である。いずれ瞑葬への感情は憧れから羨望へと変化し、自身も不老不死になることを望み始めるかも知れない。若い故に、若気の至りで過ちを侵してしまう可能性は、ゼロとは言い切れない。

 だからこそ、瞑葬は彼女から距離を取っていた。医療魔術研究班の研究室には、行かないのではなく、癒音が居ないときを狙って行っているのだ。


「いくら賢者の石が有能であっても、瞑葬さまがその力の恩恵を受けているとしても、傷は残りますわ!!百年以上生きておられても、瞑葬さまは女性です、傷を残すわけには参りませんわ」

「は、はあ……」

「咎詠さまもです!!」

「え、ええ!?」

 ここで癒音は咎詠に向き直る。言われた咎詠は、突然の言葉に大げさ以上に驚く。

「いつもいつもいつも……。私は身体の傷は癒やせても心の傷は癒やせないのです!!只でさえ言乃葉は一歩間違えれば危険な魔術ですのに……、ご無理をなさってはいけません!!」

「だ、大丈夫。心はすぐに戻ってくるし、瞑葬みたいに前線には行かないし。使命遂行の為なら多少の無理もやむを得ないものだし」


「そう、だから心配なんだ」

 不意に吐水が口を開いた。

「使命を第一に考えてくれることは、確かに魔研としては嬉しい。でもね、咎詠。それが君達を壊してしまうのではないかと思うと心苦しいんだよ」

 彼の言葉に、癒音もうんうんと頷く。

「……大丈夫よ、私たちは自ら望んでこの道を進んでいるのだから。そうね、かれこれ百年弱」

 咎詠の代わりに、瞑葬は立ち上がる。

「人それぞれ理由は違うとしても……、ね。私はここで、母や、兄や姉の仇を討つと誓ったから」

 外を見つめながら、窓ガラスに細い指を這わせる。

「だから、千年でも万年でも、私は生きてやる」

「……」

「大丈夫、一人ではないから。ね、咎詠」

「うん、私たちも居るわ。……当然、ね」

 二人の齢百を超える少女達は、お互い顔を見合って笑った。

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