家宝

□高土前提、万+土。
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 穏やかな春の陽気に包まれた昼下がり、すっかり若葉に覆われた桜の木の下で、万斉は自分に溜め息をついた。今日は春雨との取り引きのために、朝早くから宇宙へと飛び立つ予定だったのに、どうして自分は今ここにいるのだろうか。

「だから頼むでござる土方殿。後生だと思って……」
…」

「しつけェぞ河上。俺ァ絶対ェ嫌だ」

 かれこれ1時間半は繰り返されたやり取りに、万斉は己の境遇を恨むのであった。

 我らが鬼兵隊総督が恋人と喧嘩したらしい。そんな噂が囁かれ始めたのは、つい3日前のことだった。
 高杉に何やら溺愛する女が出来たとは前々から察していたし、それで支障が――まぁ暇さえあればのろけ話を延々語りだすのは迷惑であったが――出たワケでもない。自由な男が組織した、基本的に自由な鬼兵隊は、大義さえ忘れなければ別にトップが色恋にうつつを抜かしていようが構わなかったのである。
 しかし、高杉がその噂の恋人とやらと喧嘩――あくまでも推測だが――して3日、とうとう部下のひとりが万斉に泣きついてきた。高杉さんを何とかしてくれ、と。 何しろ、暴れるのだ。それはもう、高杉は不機嫌爆発で暴れるのだ。
 部屋の至る装飾品が破壊され、少しでも不手際を起こせば斬りつけられた。泣きついてきた部下などは、高杉の機嫌を取ろうと柏餅を献上した途端ぶちギレられたらしい。こどもの日でセールしていた安物だったからだろうか。

 何にせよ、高杉の不機嫌の原因が本当に恋人との喧嘩なのであれば、仲を取り持つより他ない。仕方なく万斉は優勢順位を、春雨との取り引きから総督のご機嫌取りにすげ替えて、そっとアジトを離れたのだった。

 問題の恋人は直ぐに見つかった。いや、自分ひとりでは到底見つけられなかっただろう。
 その恋人が声をかけてきた時には心底驚いたものだった。
 闇よりも深い漆黒の髪に、意志の強い灰水色の双眸、真っ白なきめ細かい肌は日光を反射して眩しく、すべてが整った男。彼が「河上、万斉だな?」と背後から名前を呼んできたときには、咄嗟に逃げようとした。この男は知っている、知らないはずがあろうか。 真選組鬼の副長、土方十四郎。攘夷派にとっての不倶戴天の敵だ。
 なのに、敵なはずなのに、男が「お前、晋助んとこの奴だろ」と言ってきたのに、万斉は口をあんぐりと開けた。

「土方殿、頼む。拙者らではもう晋助の抑えがきかぬ」
「はんっ、俺が知ったことかよ」
「最初に声をかけてきたのは土方殿でござろう!? 土方殿だって晋助のことが気になって様子を訊いてきたくせに……って待て待て待て! 分かった拙者が失言でござった! だから刀の柄から手を離すでござる!」

 世を忍ぶ仮の姿とはいえ、有名な音楽プロデューサーと真選組副長が、こんな真っ昼間の公園で斬り合っていては目立って目立って仕方がない。揉め事は御免だとの意思を示して両手を挙げれば、「ふんっ」と盛大に鼻を鳴らされた。
 あんまりな態度に腹が立つが、とりあえず柄から手が離されたことに満足すべきなのかも知れない。この漆黒の美しい鬼は、たおやかな痩躯に似合わず、大層喧嘩っ早いと聞いている。(嗚呼、何故拙者がこんな目に……)
 万斉は嘆息した。人斬りと恐れれられる河上万斉が、麗らかな春の陽気に包まれた桜の木の下で、敵であるはずの男のご機嫌取りだなど。サングラスの奥に隠れてはいたが、既にその瞳には情けなさに涙が溜まっていた。

 もう、こうなれば仕方がない。万斉は一度大きく深呼吸をして、身体中の空気を入れ替えると同時に、気持ちもカチリとシフトチェンジさせた。

(仕方がない? 本当は元よりそのつもりでござろうに)

 どこか言い訳めいたことを考えた自分に薄く嗤うと、纏う空気が一変したことに気付いたのか、土方がスッと眼を細めた。
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