11/17の日記

23:56
静寂の時を眺め激動の節を生き幾重の刻を刻んだ偉大な人の最期について考えてみるタイトル
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ども。久しぶりに真面目な話をしようと思う管理人のマサきちです。



皆さま御存知だとは思いますが女優の森光子さんが今月10日に92歳で逝去しました。私としても笑顔の素敵で老いを感じさせない好きな女優さんでしたし人としての尊敬の念を抱いてた人の訃報だけあってニュースを見た時は本当にショックでした‥。



大正の時代に生まれ昭和の時代で育ち平成の時代に女優としての生きざまを見せ付けてくれた姿を忘れはしません。どうぞゆっくりおやすみください。



そんな森光子さんが亡くなった日が10日で14日に世間に公表されるまでの4日間の間に親族の方達だけで密葬を済ませたみたいです。これは『親族だけで葬儀は済ませる』と言う森光子さんのの意思によるもので親しい人達には教えてなかったみたいです。現にあれだけ仲が良く恋人では無いかと噂された東山紀之さんまで知らなかったと言う事実で会見の際、すごい悲しさが伝わってきました。



と。ここで2つに別れる意見が。
【密葬】に関しては友人を悲しませずに済むか否か。と言う疑問でした。



私としては密葬に関しては肯定的でも無いし否定的でも無いです。では友人を悲しませずに済むか否かと問われた時、どう答えるべきか。



それこそ『解らない』です。



仮に今、私が不慮の事故で亡くなってしまった場合、私としては遺した家族に葬儀の必要性を委ねますかね。友人達には私が【亡くなった】と言う事実を知ってもらいたいと言う思いもあります。



ただ病気に掛かり、あと余命幾場かと言う際には密葬で済ませて貰いたいです。とりあえず自分で身体の限界を感じてしまうちょいと前に友人達には【あと少しで亡くなる】と言う事実だけ知ってもらいたいです。



だから私の為に悲しんで貰いたい。だとか私の為に何か最期に逝く前に成し遂げたい。とか高望みしてる訳ではありません。人の死生感の捉え方も人の数だけ人十色な訳ですし。それは流れに身を任すとしますが最期に【病に冒され亡くなった自分の姿だけは見せたくない】と言う我儘だけは貫き通してこの世から亡くなりたいかもです。



もしかしたら森光子さんにも、そんな思いがあって密葬で済ませたのでは無いかと言う気がしてならんのです。



だから私としては森光子さんは最期まで心が痛くなるほどに優しい笑顔の素敵な人だったのだろうと思います。



最後に本当に森光子さんの逝去を心から御悔やみ申し上げると同時に92年の激動を生きた生きざまに感服を覚えます。本当にお疲れ様でした。

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