泣ける2ちゃんねる

□友人の話
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■富士山■



俺が小学生になった時に俺のクラスに右腕がない奴がいた。俺は何故かそいつと気があった。しばらくもしない内に親友になった。

「タナちゃん」と愛称をつけたのは俺だった。
タナちゃんは右腕は無い障害者だが障害があるのか?と疑問をもってしまうほどいつも元気で明るくクラスの人気者だった。

そんなタナちゃんだからこそ「右腕が無いの?」と聞かれても、「腹すかした時に自分で食ってもうた。」と健気に答えていた。

そんなタナちゃんと俺と山田と河村はいつも4人で行動していた。中学校も一緒だったうえにクラスも一緒だった。タナちゃんは少し緊張してたが持ち前の明るさですぐ打ち解け瞬く間に人気者になった。

修学旅行の時もタナちゃんと同じ組が良いと他のクラスの奴も名乗りあげる程だ。そんな中学時代もあっと言う間に過ぎて卒業になった。

俺等4人で卒業旅行を計画していた。富士山に泊まりながら頂上を登山する計画だがタナちゃんとタナちゃんの母ちゃんが反対をしてきた。と言うより困惑していた。タナちゃんは障害が重荷になり迷惑が掛かると思っているらしい。タナちゃんの母ちゃんも一緒の思いらしい。


情熱家の山田は必死に説得していた。俺も煽りを入れながら説得した。最後は河村の泣き脅しで納得してもらった。


そして3月の温かい日に富士山に赴いた。俺等の地元が大阪だった為、行きの新幹線の中もすごい盛り上がった。


そして登山1日目。山田も河村も俺もタナちゃんのペースに合わせながら宿屋に着いた。とても疲れていた為、皆ぐっすり眠った。登山2日目。頂上に着いた。皆泣いた。朝日が目にしみるとは、この事を言うのかと皆で実感した。


高校生になり段々皆と連絡を取る回数が少なくなり大学生になる頃には全く連絡をしなくなった。

そして社会人になり河村から連絡が入りタナちゃんが亡くなった事が分かった。葬式の時にタナちゃんの母ちゃんがタナちゃんの全ての事を教えてくれた。


高校2年生の時にタナちゃんが病気で余命5年だと告げられた言う事を。それから高校を辞めて各地の山を登山していたと言う事を。病気が悪化して入院してからは登山の話をしてばかりだと言う事を。最期に俺等と行った富士山の話をしてた言う事を。


この話を聞いた河村は泣き始めた。俺と山田は、まだ現実を受け止められていなかった。受け止めたくなかった。しかし布団で寝てるタナちゃんの顔に白い布がかけてるのを見て俺と山田は現実を知った。俺は「布なんか顔に被せてタナちゃんが苦しいじゃないか。」と思っていたら自然と泣けてきた。タナちゃんの葬式には沢山の人達が参列した。皆、泣いていた。


でもタナちゃんが火葬されて骨になった時に俺等は不思議に思ったんだ。うっすら右腕の方に白い骨粉があるんだ。俺はその時に思ったんだ。天国でも、より登山出来るように神様から腕を貰ったんだね…


俺がそっちに逝ったら、また富士山を登山しようね。そして今までありがとう田中君。愛称はタナちゃん。
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