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□曇天
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雨粒こそ落とさないものの薄灰色の雲は厚く見渡す限り空を覆っていて、予報に違わず今日は一日太陽の姿は拝めそうにない。

鬱々とした空模様。けれどこの日のこの家族に天候はあまり関係がないなと、例年と変わらずバカ騒ぎで墓前を賑わす父親とそれを手厳しく叱りつけるしっかり者の妹、それに我関せずを決め込んだ妹のもう一人を前にして、一護は思う。
去年も一昨年もその前もそうだったように、ひとしきり騒いだ後は皆で墓を整え手を合わせ、昼食を取ったのちなんとなくそれぞれに散っていく。妹二人は肩を並べて。父親は気が付けばもう姿がない。一護の足は、自然とある場所へ向かった。
そういえば去年はこの坂を必死に駆け上がったんだったなと、墓地の裏手の山道を今年はゆっくり踏みしめる足取りで歩を進めながら思い出す。
本当はそういえば、も何もない、頭には一年前の今日のことばかりを思い浮かべていたのだけれど。その同じ時を共有した死神の少女のことを、何でもない思い出のひとつに早くしてしまいたいと思ってばかりいるせいか、ついわざとらしい枕詞を用意してしまう。――実際には未だ、片時も忘れることなどできていないのに。

 
雑木林の切れ目が見えた。目の前に広がった拓けた場所が、記憶にあるような無いような‥‥なにしろあの時は崖際から林から墓地の中から、転がるようにそれこそ必死に追いつ追われつで戦っていた。網膜に焼き付いているのは憎んでも憎みきれない仇の姿かたちばかりで、どこでどう戦ったのだったか、実は正確に覚えてはいない。周囲など何も見えていなかった。仇の姿以外、何も。

けれど今はもう、その仇の姿すらもこの眼には映らない。

いずれ必ずあいつを倒すと固く誓ったあの日の決意は、結局果たされないまま一護はその手段を失った。
喪失を受け入れた事には何の後悔もない。引きかえに得る力で果たせる事の大きさを考えれば、それを選ばないなんて選択肢はなかった。あとの事など考えなかった。そしてそれは正しかったはずだ。
何度も何度もことあるごとに、自分に言い聞かせるように唱え続けてきた言葉。しかしさすがに今日ばかりは効力が薄いようだった。

悔いはない?――あるに決まってんだろ。

自嘲の笑みをひとつこぼして、雲が覆った空を見上げる。忘れもしない、母を愚弄する姿を取って虚はあの向こうへと消えたのだ。逃げを打つ仇を為す術なく見送るしかなかった自分の無力さに、ひどく打ちのめされた事を覚えている。思えばあれが初めての敗北だった。そして雪辱を晴らす機会は、もう死ぬまで訪れない。
それは悔しい事だと思う。
憎しみは今も消えない。
けれど一年前の激情を同じ灼度で呼び起こす事が、今の一護にはもうできなかった。何だかひどく空っぽだった。
ここへ来れば蘇ってくると思っていた怒りや恨みや悲しみは浮上する気配すらなく沈み、虚しさだけが空っぽの胸を通り過ぎる。目に映る景色はすべて色褪せて見え、何の感慨ももたらさない。
 
そのことが苦しかった。

「‥‥‥ごめんな」

乾いた声でぽつりと呟く。
謝罪は何に対してだろう。誓いを果たせなかった事か、仇を討つ術を手放した事か、それらすべてに心が動かない事になのか、一護自身よくわからなかった。
ただ募る罪悪感。
いつか晴れる日が来るのだろうか?
曇った空に太陽は見えない。重苦しく頭上を覆う雲は、今の自分に似つかわしく思えた。捨てきれない未練を湛えて、流れることもままならず、太陽を仰ぎ見る事もできない。

―――それでも、いつか。

季節が一つところに留まる事を許されないように、いつか、移ろっていけばいい。手離せない未練もいつか、流れて消えてくれればいい。
願うのは、それだけだった。




遠くから鳩笛の音がする。
集合の合図。あの父親の事だ、遅れれば自分の事は容赦なく置いていくだろうと面白くない想像をして、一護は来た道を戻るべく踵を返した。
在りし日を惜しむ心を強く残した場所に背を向けて、ゆっくりとした足取りで歩き出す。

振り返る事はしなかった。







*************
すでにグランドフィッシャーが倒されてる事実を一護が知ってる話が原作で出たら下げざるを得ないSS。でも十中八九聞かされてないと思ってます。きっと知らないままでいい。
すべてが終わったいつかの日には、晴天の6/17が書けますように。

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