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□夢の告げ
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『酷い抱き方をするのね』


夢の告げ



そう言った女の顔は、もう覚えていない。
ただ責めるでも咎めるでもない、優しげな口調で言われた事を意外に思った。
『あたしはいいの。でも死神さん、鬱憤晴らしの狼藉ってわけじゃなさそうだから、これじゃ好い人が可哀相だと思ってね』
『いねぇよそんなもん。つぅか居たらこんな所にゃ来てねぇ』
『こんな所。そりゃそうだ』
苦笑して赤い襦袢を羽織った女に、失言を詫びた。ここで働く女達にとっては生きていく世界そのものなのに。
『優しいのね死神さん。なのに女をまるで、壊したいみたいに抱く』
他意無く首を傾げる女郎の艶やかな黒髪と白い首筋。
『‥‥ここに、』
細く白い手がみぞおち辺りをスッと指差した。
『溜め込んでる思いが、あるでしょう?それが貴方の、女を抱く手を優しくさせてくれないの』
『‥‥そんな事がなんでわかんだ?』
『女の勘』
その声は終始柔らかく、言われた事に反発は起こらなかった。むしろ感心したかもしれない。強面の死神に対して、大胆な物言いだ。
『女の身体は柔いから、好い人は大事に抱いてあげて、死神さん』
だからいねぇよ、と返したのだったか。
聡い女郎は優しく笑んで、だからいつかだと重ねて言った。
『大切にしたい好い人が出来た頃には、優しく抱いてあげられる腕になってるように‥‥祈ってるわ』



ふと目を覚ますと、白い背中に項を晒した黒髪が眼前に見える。
一瞬、夢の続きかと思い恋次は顔を顰めたが、すぐにその裸の背中が眠る雨竜のものだと気が付いた。記憶にないが、抱き込む形で寝てしまったらしい。
雨竜の身体の下に回した腕をそっと引き抜いてみたが、変わらず寝息を立てる彼に安堵する。
闇は薄く空は白み始めているようだった。
――それにしても。
(何年前のこと夢に見てんだ‥‥)
苦く思って、髪を下ろした頭を掻いた。
しかも恋人と枕を交わした褥で、大昔一度きりとはいえ、抱いた女の夢を見るとは。

まだ死神になったばかりの頃。稀に、先輩の死神達に誘われて色街へ行く事があった。
恋次は必ず一見の客を取る女郎屋を選んだ。情を交わしたいわけではない。一夜限りの気楽さが良かった。
だから相手はいつも違って、思い入れもないから今では誰一人顔も名前も覚えていない。
それなのに――、

(“酷い抱き方”か)
あんな風に言われたのはあの時だけだった。
忘れたつもりで、心のどこかに引っ掛かっていたという事か。
恋次に加虐趣味は無いし、特に無体な行為を強いたこともない。女の言った酷いというのも多分、そういった意味ではないのだろう。

恋次は雨竜の髪に顔を埋めて、そっと肩を抱き寄せた。
痩せた肩越しに見える疲れたような寝顔。
無茶をさせたつもりはないけれど、受け入れる側の雨竜にはどうしたって負担がかかるから。
優しくしてやりたいと思っている。
壊れ物を扱うように。優しく。
(女じゃねえけどな)
苦笑して、無意識に目の前の耳裏に口付ける。と、抱き締めた肩が身じろいだ。
「‥‥ん、何‥‥?」
「あ、悪ィ」
さすがに起こしたか。
「阿、散井‥‥?」
気怠げに首を回して恋次を見やった雨竜のその呼び掛けに、ムッとして額を指で打ってやった。
「‥‥いたい。何だよ」
「こんな時くらい名前で呼べって言ってんだろーが。呼び直せ」
「やだよ。もう朝だ」
言いながら雨竜は恋次に背を向け布団を引き上げた。どう見ても二度寝の態勢だ。
「‥‥却下だな。朝っつーのは起きて初めて朝なんだよこの低血圧!」
「な、に‥‥!?」
布団にくるまる雨竜を強引に自分の方に向かせ組み敷いて、唇を重ねた。
寝起きの覚醒しきらない頭のせいで状況についていけない雨竜は、呻くばかりで抵抗も弱々しい。恋次はふと笑って舌を差し入れ絡めた。
(‥‥優しくしたいんじゃなかったか、俺?)
思いとは正反対のような自分の衝動に、呆れながらも不思議は無い。
矛盾はあって良い。
慈しみたいのも欲に溺れるのも、同じ気持ちからくるものだから。
「目ぇ開けろよ、雨竜」
唇を離して囁くと、息の上がった雨竜が眉間に皺を寄せて恋次を見上げる。
「寝込みを襲うなんて、卑怯だ」
「名前呼んだらやめてやるよ」
「ッ‥‥卑怯だな、ホントに!」
恋次は押さえ付けていた腕を離し、赤く染まった雨竜の首筋に顔を寄せた。
伝わる熱で知れた答えをあえて尋ねる。
「で、名前。呼ばねぇわけか?」
「‥‥呼ばない‥‥!」
意地っ張りらしい了承の合図。
回される雨竜の腕に恋次は満足げに笑んでから、深い口付けで応えた。


白い肌に掛かる己の赤い髪が、襦袢を纏った女の残像を脳裏によぎらせた。
優しくしてやりたい。
そう思って抱く相手を知った。
だからこの腕にはきっともう、祈りはいらない―――。



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恋次の“溜め込んでる想い”はルキアや兄様の事ですね。野良犬根性自覚してなかった頃。
優しくしたいってのは余裕からくるもんかなと。 

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