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□ブランコの力学
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「男なんか勝手だよ」


ブランコの力学 




天へ届けと言わんばかりに高く高く漕ぎ出したブランコが、薄い板切れの上に乗せた軽い身体を最高到達点の空中に運んだ瞬間に、その言葉は発せられた。

「‥‥‥勝手か」

その声に随分遅れて返事とも独白ともつかない言葉を茶渡が口唇に乗せたのは、すでにブランコが惰性の運動で揺れているにすぎなくなった頃で。
限界まで振られた鎖が起こしていたガチャガチャと耳障りな金属音も治まり、だから呟きに近いその低い声は掻き消される事なく夏梨に拾われた。

「いつだって一人で走って行っちゃって、置いてかれる側の事なんか考えちゃいないんだ」

キィと甲高い音を立ててブランコの揺れが止まり、すらりと伸びた細い脚が地面をザラリと擦る。
俯いて足元へ視線を落とす黒髪の頭を正面からじっと見つめて、茶渡は何とも返せず黙していた。

「あんたも一兄も、こっち側の気持ちなんかわかんない」
「‥‥‥」
「あたしも、男に生まれりゃ良かった!」

そうしたら勝手にできたのに、と、膨れっ面で言い放ち、茶渡をひと睨みしてから夏梨は再び地面を蹴った。
両足を勢い良く振ってブランコを漕ぐ様子を見守りながら、茶渡は彼女が本当は何を望んでいるかを考えた。
答えを出せるとは思わないが、彼女はきっと、こうして考える事を促しているのだろうと茶渡は何となく気付いている。

「一兄はそれでもさ」

ブランコの軋む音に負けないよう、声高に夏梨が言った。

「勝手だけどでも、一兄は、帰ってきてくれるんだ。あたし達がいるから。あんたはどうなの」
「‥‥どう?」
「あんた、いつでもどっか行っちゃって、帰ってこなさそうなんだよ」

夏梨はブランコを漕ぐスピードを緩めないままな ので、鎖が擦れて軋む音は一層うるさく辺りに響く。
けれどその真っ直ぐな声はよく通り、大声でなくとも茶渡にははっきりと聞き取れた。

「ねぇ、あんた本当はどこで生きて行きたいの」

ブランコはまたも限界の高さまで振られようとしていて、風に煽られた黒髪がなびく様を茶渡は見ているしかできない。

帰る場所は何処なのか。
何処で生きて行くのか。

つまりは茶渡が今ここを自らの帰結する処でないと感じているのを、彼女は見透かしているのだ。
けれど簡単にそうと認めてしまう事は、きっと彼女を傷つける。
確信を持って尋ねながらも、彼女は男の勝手さを責めるのだから。

茶渡が返答を迷っているうち、ついにブランコは彼の目線をずっと超えて、手前へと漕ぐ夏梨の姿は足裏しか見えなくなる。
器用に重心を移動させて最高到達点を目指す彼女が後方へ引き戻された一瞬の間に目で捉えたその表情が、何故だか笑みを浮かべているように茶渡には見えた。
イタズラを思い付いたような、彼女に似合いの笑顔。

「ねー、おっさん!」

声は茶渡が見上げるタイミングで掛かる。

「あんたが何処行ったってさ!」

視界には、真っ青な空と 日に焼けた幼い脚。

「捕まえに行く人間だっているんだよ!」

受け止めろよ!と続いた言葉と、見上げた空へ高く上がったブランコから細い肢体が投げ出されたのは、ほぼ同時だった。
空中へ飛んだ痩せた少女の身体が、自分の上へ落ちてくる。
その様を茶渡は、スローモーションで見るように目に焼き付けて、降ってきた彼女をしっかりと腕の中へと抱き止めた。

「飛んだ飛んだ!おっさん、ナイスキャッチ!」
「‥‥いくら何でも無茶じゃないか?」
 
はしゃぐ夏梨に一応窘める言葉をかけるが、その実茶渡はむしろ感動に近い思いを抱いていた。

(躊躇わずに飛べるんだな、お前は)

幼さ故の奔放さもあるのだろうが、おそらく彼女は何物にも縛られず、思う通りに生きていけるしなやかさを持っている。
この少女は決して、傲慢な男の独り善がりを赦さず――何処までも追おうとするのだろう。

「無茶なんかじゃない。あんたは絶対受け止めるってわかってたから飛んだんだもん」
「‥‥そうか」
「でも気持ち良かった!もっかいやっていい?」
「勘弁してくれ‥‥。心臓に悪い」
「ええ〜?」


いつか自分はここではない何処かへ行く。
けれどそこは還る地であったとしても、帰る処ではないのかもしれない。
そう思わされてしまった自分に苦笑する。

差し出す腕を当たり前に引き寄せるこの引力に、逆らえるだけの強さを持てるのだろうかと、茶渡は遠く空へと目を向けた。

今はまだ、先の話。






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スミマセンやっちゃった‥‥でも楽しかった!
 

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