捧げもの

□camellia
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第一志望の大学の合格発表当日は、関東では数十年ぶりと言われる程の大雪になった。
有り難いことに、今はわざわざ大学まで掲示を見に行かなくても、インターネットで結果を確認する事が出来る。
味気の無さはどうしたって否め無いが、電車もバスもあちこち運休だの減数運転している、この現状。
暖かい自宅から一歩も出ずに合否を確認できるのは、やはり非常に助かるというものだ。

発表時間には、降雪の為に中学が臨時休校となった妹達と一緒に、パソコンを立ち上げた。
息を詰め、目を皿のようにして探す、画面の中。
そこに間違いなく自分の受験番号を見つけて、思わずガッツポーズ。
飛びついてきた遊子を抱き止め、夏梨とハイタッチする俺に、「早く学校に電話しろ」と声を掛けてきたのは、親父だった。

「高校だって、休校してんじゃねぇの?」
「それでも、教職員が全員休んでる…って事は無い筈だ。
お前は現担任以外にも、多くの先生方に手数やら心配やら掛けまくって来たんだから…とにかく先ずは一報入れておけ」
「……へーい」

一年の時も三年になってからも、出席日数不足やら何やらで留年になっても可笑しくなかった俺。
それを、多くの教員が悪態吐きながらも補講と追試とで救ってくれ、進学に際しての特別補習もしてくれた。
だから親父の言うことは至極尤もで、ここは素直に助言に従うべきなんだろう……なんて、な。

殊勝にも思ったのが、そもそも間違いだった。

事務員さんの話だと、担任は通勤に使っている路線の運休で出勤して居らず。
では、誰でも良いので3年担当の先生を……と、頼んで職員室へと転送してもらった電話に出てくれたのは、越智さんで。

「おう、黒崎か!」

この第一声を聴いた時点から、何やら嫌な予感はしていた。
それが計らずも的中したのは、合格を告げ、祝辞を受けた直後の事。

「……ってぇ事は、黒崎。お前…今、暇だろ? 暇だよな、な?!」
「はぁ…まあ……」
「んじゃ、これから学校まで来いや!」
「………は?」
「この後、職員総出で校門から昇降口までと、職員駐車場の雪かきをするんだが、人手が全然足らないんだ。
雪自体はもう止んでるだし、お前、徒歩通学圏内に住んでるんだから、さほど無理せずに来られるだろうが」

何で、俺が……と。
眉間の皺を倍にしつつ、そう言い返そうとした………その時。

「ああ、そうそう! 井上も来るんだぞ!!」

続く越智さんの言葉に、俺は開きかけた口をとっさに閉じてしまった。

「わざわざあっちから電話くれてなぁ…『何かお手伝い出来ること、ありますか? 先生方には、色々とお世話になりましたから』……って。
いやぁ誰かさんとは違って、本当に優しくて気が利く良い子だよなぁ。
ちと天然すぎるのが、難点ではあるけれど」

………こうなってしまっては、色々な意味で断れない。

「……わっかりました! 行きゃあいいんでしょう、行きゃあ!!」
「おお、来てくれるか! いやぁ悪いな〜、でも、助かるよ! じゃあ、後ほど学校でな!!」


………『悪い』なんて、針の先ほども思っちゃいねぇくせに。


舌打ちしつつ、叩きつけるように受話器を置いて。
ひとつ大きな溜息を吐くと、俺は身支度を整えるべく、自室へと階段を登り始めた。















「う〜…寒っ!」

首に巻いたマフラーに、顔を半ば埋めるようにして歩く。
小学校も休校になったのだろう、途中、道路の雪かきをする大人達に加え、雪合戦したり雪だるまをこさえる幾人もの子供達とすれ違った。
無邪気な笑い声を立てて遊ぶその姿に、ふ…と口元が緩む。
降雪を素直に喜べるのは、子供時代の特権だ。

「まぁ……井上ならたとえ何歳になったとしても、子供相手にガチで雪合戦楽しんでそうだけどな…」

思わず脳裏に浮かべてしまったその情景に、軽く吹き出す。
それと同時に、胸にかすかな痛みが走った。


「あいつに逢うのも、久しぶりだな……」


家庭研修期間に入ってから、俺は一度も井上と逢っていなかった。
メールのやりとりすら、していない。
多分…受験勉強の追い込みに入った俺に、気を遣ってくれたのだと思う。
相変わらず廃棄パンの差し入れは続いていたけれど、それも直接手渡されることはなくなって。
気づかないうちに自宅のドアノブに掛けられていたり、学校帰りの妹達の手に託されたりしていた。

「織姫ちゃん…受験前に体調崩したりしていないかって、心配してたよ?
明日が本命校の試験日だって教えてあげたら、『頑張ってね…って、伝えて』…ってさ。合格祈ってる…って」

時にはそんな伝言付きで、パンは俺の手元に届けられて。
本当にそう思っているなら、逢いに来て、直接顔見て言ってくれればいいのに……と。
井上イチ押しの総菜パンを頬張りながら、俺は内心思ったりもしたけれど。

「……そもそもそんな事を強請る資格なんて、俺には無ぇもんなぁ…」

ちいさな声で、一人ごちて。
そっと、溜息を吐く。

俺は、井上の彼氏でも何でもねぇ。
ただの仲間で、元クラスメート……そんだけの関係だ。

かつて…もしかしたら井上は、俺のこと好きなんじゃねえかな…って思ったこともあったけど、
そんな自惚れは、その後戦いを共にするなかで、木っ端微塵に打ち砕かれていった。

自分を殺そうとした相手にすら、躊躇いなく救いの手を差し伸べることの出来る、井上。
そう……あの聖母のごとき優しさは、単に彼女の『仕様』なんだ。

パンの差し入れも、受験への気遣いも、別に俺があいつにとっての『特別』だから…って訳じゃ、ねぇ。
あいつが莫迦が付くほどのお人好しで、阿呆みたいに優しい奴だから。

きっと、それだけの事なんだ……。










とすっ………と。
音になりきらない気配に、反射的に首を巡らせた。

「う、わ……?!」

視線の先に捉えたのは、こんもりと雪を被った常緑樹の生け垣。
……そして。
その根本近く、真っ白な雪の上に点々と落ちた、沢山の赤い花……。

「椿……か」

呟きながら、足を止めて。
しばしの間、その光景に見入る。

純白の雪と、赤い椿の花…その鮮やかな色の対比が、それはそれは美しく見事で。
ちょうど、雲間から顔を覗かせはじめた太陽が、雪を眩しく煌めかせるものだから……尚の事。

「『赤い椿白い椿と落ちにけり』……だっけ、か?」

授業で習った俳句が、自然と口を吐いて出る。

今、俺の目の前に落ちているのは、赤い花のみだけれども。
それでも、何となく……詠んだ人の気持ちが、少しは解ったような気がして。

知らず、口の端に笑みがのぼる。



「帰りまで、このままだと良いけど………」



井上にも、見せてやりたいと思った。
あいつなら…この光景を目にして、どんな反応をするだろう……って。

口をぽかんと開けたまま、絶句してしまうだろうか。
或いは、瞳を輝かせながら歓声を上げたりするのだろうか。



それとも……?







名残惜しさを感じつつ、ゆっくりと踵を返して歩き出す。

足取りが幾分軽くなったように感じたの、は。
きっと…雪道に慣れた所為ばかりじゃなかった………。














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