捧げもの

□至高のクリスマスプレゼント
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「クリスマスプレゼントの代わりに、お願い事を三つ聞いて欲しい」

それ、が。
妹たちから俺への、リクエストだった。






高校三年の今年、初夏以降は殆どバイトが出来なかった。
そんな俺にとって、プレゼントに物をねだられない…というのは大変好都合な話で。
妹たちの申し出に、一も二もなく肯いてしまったものの、世の中には「タダほど高いモノは無い」なんていう言葉もある。
ちょっと、早まったかな……と。
一抹の不安にかられた俺の、その表情でも読んだのだろう。

「お金がかかるようなお願い事じゃないから、安心して!」

妹二人は、笑ってそう断言した。
けれど。
それでも何かすっきりしなものが心の奥底に残ってしまったのは、二人が願い事の内容すべてを教えてくれなかったから。

「一つ叶うごとに、次のお願いを伝えるね」

そう、言われて。
取りあえず、今現在俺が二人から聞いているのは「イブの日は予定を入れずに、学校が終わったらすぐに帰宅すること」という、一番目のお願いのみなのだ。


「二人とも、お兄ちゃんを大好きな優しい子達だもの。黒崎君が困るような事は、きっと言わないよ」

心配なんて、要らないと思うな……と、俺の隣から優しいソプラノの声。
放課後の、図書館。
横並びに席に着いて、入試の過去問題集と格闘していたときのこと。
ふと漏らした俺のぼやきに対して述べられた、それが彼女の見解だった。

「そうかなぁ…」
「絶対だよ!」

尚も首を捻る俺を見て、くすくすと笑っている。

「いいね、兄妹仲良くクリスマスイブ」
「まぁ…確かに、このところ全然構ってやれなかったしな」

ごくごく軽い、ため息を吐いて。

「……井上、は?」

躊躇いがちに問いかければ、彼女は少し困ったように微笑んだ。

 
「伯母さんの家に、成績表持っていくことになってる。援助して貰うようになってからずっと続いている、習慣なの」
「そっか…。援助は有り難ぇだろうけど、そういう決まり事なんかはうざってぇだろ?」
「ふふ…」

苦笑めいた笑みを浮かべながら、ひょい…と肩を竦めて。
そして再び、問題集へと視線を落とす井上。
俺もまた、彼女に倣って勉強を再開したけれど……。

ちら…と、横目に彼女を見る。

竜貴が、言ってた。
独り暮らしの井上は、友人達が彼女に対して変に気を遣わなくてすむよう、わざとクリスマスイブに親戚宅訪問の予定を入れるのだ…と。

「人一倍、淋しがり屋のくせに……ううん、淋しがり屋だからこそ…なのかな。
あの子…きっと怖いのよ。
たとえば何かを得た時に、それが在る事に慣れてしまうのはとても簡単。
逆に何かを失った時、その事に慣れる為には、とても長い時間を必要とするものだからね。
私にだって千鶴たちにだって、この先いつか、あの子が“一番大切”ではなくなる日がくる。
勿論…あの子にとっての私たちも、同じ事。
自分が独りになることも、誰かを独りにしてしまうことも、あの子にとっては耐え難い苦痛なのよ。
だから…最初から何も持たず、何にも深く関わらないでいようとするんだ……」

脳裏によみがえるの、は。
苦しげに歪んだ幼なじみの横顔と、悲しげな呟き声。
かと言って。
親友の竜貴でさえどうにもならない問題を、俺ごときがどうにかできるとも思えなくて……。

難問に苦闘する振りを、装いながら。
ひそり…と小さく、息を吐き出した。










そしてやってきた、クリスマスイブ当日。
妹たちとの約束通り、通知票片手に寄り道もせずに帰宅すれば、着替えもそこそこにリビングのソファへと座らされた。

「二番目のお願いは、私たちと一緒にDVD観ることでぇーすっ!」

にこにこと笑いながら、遊子が俺の前にココアのカップとポップコーンの入った籠を置く。
俺用に甘さを控えめに作られたココアを啜りながら、DVDのタイトルを尋ねれば。
デッキにディスクをセットしていた夏梨が、肩越しに「ナイトメア ビフォア クリスマス」と返事をして寄越した。

そのタイトルだけなら、俺も知っている。
確か…世界的に有名な、ストップモーションアニメーションの筈だ。

「あのね……この話の主人公、ちょっとお兄ちゃんと似てるんだよ」

俺の隣に腰掛けながら、遊子が言って。
その時パッケージを手に取って眺めていた俺は、思わず顔をしかめてしまった。

だって……このアニメの主役って、骸骨じゃん。
似てるもくそも、あるかよ?

「見てくれの話じゃないよ! 性格の話」

夏梨が笑いながら、遊子とは反対側の俺の隣にすとん…と腰を落とす。

「性格?」
「そう。ちなみに……こっちの子は、織姫ちゃんに似てるの」

唐突に耳に飛び込んできた彼女の名に、思わず鼓動が跳ねた。
平静さを装いつつ夏梨の指さしめすキャラクターを見れば、それは顔から身体からつぎはぎの縫い目だらけの女の子で。
愛嬌のある顔と言えなくはないけれど、その容姿は可愛いとか美人とかいう形容詞とはほど遠い。
長く伸ばされた栗色の髪だけは、確かに井上のそれと良く似ていたけれど……。

「だーかーら、性格の話だって!」

呆れたように言いながら、ふんっ…と鼻を鳴らす夏梨。
その口調と態度に、少々ムッとして。
同時に、何やらもやもやとしたものが胸中に広がっていくのを感じていた。

「……何を企んでるんだ?」

声色低く問いかければ、「べっつにー?」と。
これまた人を小馬鹿にしたような返事をしながら、ぽいっ…と口の中にポップコーンを放り込む夏梨。
流石に、ここは兄として何か一言物申さねば…と俺が口を開きかけたとき、タイミングが良いのか悪いのか、DVDの再生が始まってしまった。

「ほら、二人とも静かにして!」

遊子からの一喝もあって、仕方なく口を噤む俺。
そして映画の内容自体には大して期待もせず、俺は画面を眺め始めた。
妹達との、約束を守る……ただ、それだけの為に。

だけど……。

ストーリーが進むにつれて、俺は次第に画面から目を離せなくなっていった。
妹達が言ったとおり、主役のかぼちゃ大王には、どこか俺自身と重なる部分があったから。

平穏だけれど退屈で、生きる意味を見つけられなかった日々。
そんなある日、突然目の前に新しい世界が開けて。
ついつい夢中になって、なりすぎて、周囲を巻き込んでは振り回した。
まるで、新しい遊びを思いついた幼い子供みてぇに。

主人公が自分の夢の実現に夢中になればなるほど、過去の自分と重ねてしまって。
何やら酷く、いたたまれない気分になっていく。

そして。
主人公を心配し、献身的に尽くすつぎはぎだらけの女の子もまた、妹たちの言うとおり、井上と良く似ていた。
優しさや賢明さは、勿論のこと。
何にも増して彼女自身と重なるのは、主人公へと向けられるその眼差し。
一途で、ひたむきで。
痛いくらいに、真っ直ぐで……。



「ああ…そうか……」



そうして、今更ながらに思い知る。
彼女がこれまでどんな想いを抱えて、俺の隣に居たのか……を。
それに気づくことのなかった、俺自身の迂闊さ……を。

……気になっては、いたんだ。
彼女の笑顔の裏側に、時折どうしようもなく絶望の色が透けて見えていたこと。

だけど俺はいつだって、自分が強くなることばかりに夢中で。
自分の事だけで、精一杯で。
背中を押してくれる彼女の手に感謝はしても、その顔を返り見ることは一度もなかったんだ。
橇で空へと飛び立った瞬間の、かぼちゃ大王のように……。







なぁ、井上…?
俺はお前がどんなときでも、笑顔で俺を見送っていてくれているものと思いこんでいたけれど。
本当は、違ったのかな……。

本当、は……。










いつしかテレビの画面には、エンドロールが流れていた。

映画のラストは、ハッピーエンド。
想いが通じ合ったかぼちゃ大王とつぎはぎ娘の、甘い甘いキスシーン。



……ああ、どうしよう。
俺…今すぐ、井上に逢いたい。

彼女に、逢いに行かねぇと……!



勢いよく、ソファから立ち上がる。
そのままドアへと向かおうとした俺の背後から、声がかかった。

「お兄ちゃんっ!」
「一兄っ!」
「悪ぃ…遊子、夏梨! 俺、これから…っ!!」
「はい、ストーーーーップ! まずは、私たちの話を聞いて!!」
「へっ?!」

大声で、俺の言葉を遮って。
顔を見合わせ、にっこりと微笑みを交わしあう妹たち。
そして二人は俺に向き直り、戸惑って瞬きを繰り返す俺の瞳を真っ直ぐに見つめながら、声を揃えて言った。

「織姫ちゃんを、連れてきて! 此処に…今すぐに…!!」
「…、っ?!」

大きく目を見開き、息を飲む。

「それが、私達からの三つ目のお願いだよ! ねぇ、お兄ちゃん…叶えてくれないかなぁ?」
「遊子……」
「勿論、ただ単に連れてくればいい…ってもんじゃないからね? 
一兄の、彼女として……いつか、私たちの家族になってくれる人として、この家に連れてきて欲しいんだ!」
「夏梨……」

尚も呆然として、妹たちの顔を交互に見返すばかりの俺に対して。
二人は弾けるような笑顔を見せて、こう続けた。

「私達…いつかお義姉ちゃんが出来るなら、それは絶対に織姫ちゃんがいい!!」
「……………分かった!!」

くるりと踵を返し、リビングの外へと飛び出す。

「頑張れ、一兄っ! ヘタレ返上の大チャンスだよーっ!!!」
「うるせぇよっ!!!」

からかう夏梨を一喝しながらスニーカーを履き、玄関のドアを開く。
同時に携帯を取り出し、井上の携帯にむけて発信した。

『……黒崎、くん?』
「井上…! お前、今…何処に居る? もう、電車に乗っちまったか?!」
『ううん…未だだよ。もうすぐ、駅には着くけど』
「……なら、駅で待っててくれ! 改札はくぐらねぇで……俺も、今すぐそっちに行くから!!」
『え…?』
「とにかく、電車には乗るなよ? 絶対だぞ、いいな!!」
『く、くろさきくんっ?!』

狼狽える井上に心の中で謝りつつ、通話を切って。
駅へと向かって、全力で走り出す。





……待ってろ、井上。

そりゃぁ…さ?
ヘタレな俺の事だから、映画のかぼちゃ大王のように、スマートにはいかねぇだろうけど。
それでも、俺…精一杯、お前に伝えるから……!










「……居た!」

走って、走って、走って。
そうして俺の瞳が捉えたのは、北風に揺れる、綺麗な綺麗な胡桃色。

「いのうえぇっ!」

俺の声に、彼女が振り返る。
薄茶の瞳が、真っ直ぐに俺を見る。
映画のラストシーンの、つぎはぎ娘のように。
そんな彼女の正面に立って、呼吸を整えて。
勇気を振り絞って、告げた。

「……これから、俺ん家に来いよ」
「え……?」
「クリスマスイブ…俺たち家族と、一緒に過ごそう……?」
「黒崎くん…」
「勿論、今年だけじゃねぇぞ? これから毎年…ずっとずっと、一緒に過ごして欲しいんだ」
「あの……それって、どういう…」

戸惑って瞬きを繰り返す井上の手の中で、突如携帯電話が震えだした。
慌てて画面を操作して、耳に電話を押し当てる井上。

「あ…伯母さん! ……はい、今からそっちに向かいま」
「……ちょっと、貸せ」
「く、くろさきくんっ?!」

井上の手から、いささか乱暴に携帯を取り上げて。
電波の向こう側、戸惑って井上の名を呼ぶ中年女性の声に対して、俺は一方的に話しだした。

「もしもし、井上の伯母さんですか?
初めまして…俺、黒崎一護と言います。
申し訳在りませんが、井上は今日、そちらには行きませんので……」
「く、くろさきくんっ?!」
「今夜は俺と俺の家族が、責任をもって、彼女をお預かりします。
何で…って……俺、井上の彼氏ですから」
「ええっ?! あ、あの…くろっ、くろっ…!」
「だぁあっ、ちょっと黙ってろ、井上!
……ああ、すみません。こっちの話です。
え? いい加減な気持ちなんかじゃないです。
本当ですって!
……だって俺、井上をヨメに貰う気満々ですから!!」
「は、はいぃいいいっ?!」
「いちいちウルセェぞ、井上っ!
まぁ…つまりはそんな訳なんで。
そちらには明日にでも、今日のお詫び方々、井上と一緒にご挨拶に伺います。
……それじゃ!」

これまた一方的に通話を切って、井上へと向き直る。
気恥ずかしいのを堪えて真っ直ぐに彼女の顔を見返せば、その瞳が次第に潤んでいくのがわかった。

「………あたしなんかで、いいの?」
「お前が、いいんだ。俺も…俺の家族も……お前でなきゃ、駄目なんだよ」
「くろさき…くん……」

花が綻ぶように、井上の顔に綺麗な微笑みが広がっていく。
同時に。
目尻からこぼれた涙がひと雫、きらり…と夕陽を弾きながら、彼女の薔薇色の頬を伝って落ちていった。

そっと手を伸ばして、指で涙の跡を拭き取って。
そのまま黙って手を差し伸べればおずおずと、彼女が小さな掌を重ねてきた。
まるで硝子細工を扱うかのように、そっと握り返して。
駅に背を向け、夕焼けの中を歩き出す。
今頃はクリスマスパーティーの準備で大忙しであろう、我が家に向って。





「……やっぱり、タダほど高いモノは無ぇなぁ…」
「え……?」


……だって、さ?
早速、明日には伯母さん家への手土産代が要るし。
数年後に、は。
先刻彼女が流してくれた涙に負けねぇくらい、綺麗な石の嵌った指環が必要になるだろうし……。


なぁ、遊子?
なぁ、夏梨?



これのどこが、「お金がかかるようなお願い事じゃない」んだよ?!



まぁ……でも、さ?
彼女が、一生俺のものになってくれるなら。
俺たちの家族になってくれるなら。
菓子折りや指環なんて、全然安い買い物だよな、うん。






「……絶対、大学受からねぇと。
んでもって、ちゃんと就職して……ええと、確か給料三カ月分だっけ?」
「え……? 黒崎君…今、何か言った?」
「あ、いや! 何でもねぇよ!!」
「……?」







18歳の、クリスマスイブ。
俺と妹たちが手に入れたものは、決して金銭等には代えることの出来ないもの。
井上織姫という名の、この世で唯一の至高の存在だった。

















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