捧げもの

□apricot rhapsody
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【 apricot rhapsody 】





町内会の夏祭りに、ヨメさんと二人で出かけてみた。


未だ空に夕焼けの名残のある時間に、アパートを出て。
会場となっている公民館に辿り着けば、駐車場の中央には盆踊り用の小振りの櫓。
周囲にはテキ屋の屋台は無く、町内の飲食店さんと地区役員の人たちの協力による、飲食物と子供向けの出店がいくつかあって。
こじんまりとした…でも、とても暖かな空間が、そこに広がっていた。


やがて始まった、子供向けの盆踊りの時間。
ヨメさんが幼稚園で受け持っているクラスの子供や、前のアパートの管理人さんの孫達に、手を振ったりカメラのレンズを向けてみたり。
そのチビさん達に取り巻かれて、ひとしきり賑やかに過ごした後、夕飯代わりにと焼きそばや焼き鳥を買い込み、家路に着いた。



二人のんびり、夜道を歩く。



空にはぽかんと、檸檬の月。
俺の隣には、至福の表情で綿飴を頬張るヨメさん。
片方の手で少しずつ摘みとっては、口に運ぶ……その綿飴の色は、橙色。



本業魚屋、今夜はにわか綿飴屋店主の親父さんが作っていたそれは、プロのものに比べればいささか不格好なのだけれど。
原料の飴が数色用意されていて、希望の色を注文して作って貰える…というのが、子供達には好評だった。


「なぁ…何でその色選んだんだ?」


俺の問いにヨメさんが答えるには「杏飴が無かったから」。
彼女に言わせると、杏飴は綿飴と並んで、お祭りに来たら必ず食べなきゃ気が済まない定番品なのだ…とのこと。

「でも無かったから、せめて色だけでも杏な気分を味わおう……と、思って」
「ふうん……?」

理解出来るような、出来ないような。

「それと…行くときの夕焼け雲が、とっても綺麗なオレンジだったでしょ? その影響もあるかな……?」

ひょこんと首を傾げて。
次の瞬間、「あ…そう言えば!」と声を上げたヨメさんは、てけてっと俺の前に走り出ると、綿飴を持った手をずいっと俺の眼前に突き出した。

面食らった俺の足が、思わず止まる。

「一護君の髪とも、同じ色だねぇ?」
俺の顔と綿飴とを見比べつつ、ヨメさんがにっこりと笑った。

その笑顔は文句なしに可愛いのだが。
『……今更、かよ』
引き合いに出されたのが一番最後…という事に、何やら複雑な気分になる、俺。

幾分、憮然とした表情になりながら。
再び俺の隣に並んで歩きだした彼女の横顔を、ビール缶に口を付けつつ、ちらりと盗み見る。

新たなひとつまみを口に含み、それを目を細めて味わった後。
ふふふ……と笑って、彼女は言った。


「何だか、一護君を食べてるみたい」
「ぶっ………?!」



思わず、吹いた。



慌ててポケットからハンカチ引っ張り出して、シャツや手に飛び散ったビールを拭く俺の顔を、「どうしたの?」とか何とか言いながら、ヨメさんはきょとんとして見上げてくる。

なんでもねぇよ……と、返事しながら。
俺は内心で大きく大きくため息を吐いた。
天然な彼女の発言は、時としてとんでもない威力の爆弾となって俺を直撃する。
そのくせ、投下した本人にはまるで自覚がないのだから困りものだ。



………さぁて。
この礼…一体、どうやって返してくれようか………?



「はぁ〜、美味しかったぁ!」
ため息混じりに、満足そうな声を上げて。
綿飴が巻き付いていた割り箸を、購入した時のビニール袋に戻して。
それを片腕に下げていた鞄に入れた後、ヨメさんはそのまま何やらごそごそと鞄の中を探りだした。
その表情が、次第に困惑したものに変わる。

「あれ? あれれれ?」
「……………どした?」

訝しんで眉根を寄せた俺の顔を、彼女は情けない表情で見上げて。

「ウェットティッシュが、無いの。確かに入れてきたと思ったのに。
綿飴…手でちぎって食べると口元は汚れないけど、指先が凄くべとついちゃうでしょ?
それを拭きたかったんだ……け、どっ………もぉぉぉおおっ?!」


最後は悲鳴へと変わった声を、目を閉じたままで聞く。



「い、いいいい、いっ、ちご、くんっ?! あ、あの…ひゃああっ?!」
「……………やっぱ、甘いな」

呟きながら、掴んでいたヨメさんの手首を解放すれば。
彼女は慌ててその手を引っ込めて自分の胸元に置き、もう片方の手で強く強く握り込んだ。

俺を見上げる顔は、見事なまでに耳まで朱に染まって。
大きな瞳を、より一層丸く大きく見開いて。

「べとついてんの、取れたろ?」
にっ……と笑った俺に、多分抗議をしようとして。
でもおそらくは、驚きと困惑のあまり声を出すことが出来なくて。
ぱくぱくと、焦って口を閉じたり開いたりを繰り返す、彼女のその様が。
そう……まるで、酸欠の金魚のようで………。


「……………ぷっ!」


たまらず、吹き出す。


「ふっ…く…………あ、は……!!!」
腹の底からこみ上げてくる衝動を堪えれず、俺は近くの電柱に手をついて、声を上げて笑った。

その大きく揺れ続ける俺の背中に、彼女が無言でぽこぽこと殴りかかる。

それでも笑うのを止められずにいたら、とうとう本気で腹でも立てたのか。
ふっ……と、彼女が俺から離れる気配がして。

狭い路地に響き始める、少しばかり乱暴な足音。
俺は慌てて、華奢な後姿を追った。


「待てよ」


手を取ろうとして、振り払われる。
二度目も同じく、邪険に払い除けられて。
それでもメゲずに、もう一度その小さな白い手を取ったら。

三度目の正直。

彼女はやっと、手を繋ぐのを許してくれた。
いつものように優しくきゅう…と、握り返してはくれなかったけれど。

俯き加減の横顔をそっと覗き込めば、ヨメさんは軽く口を尖らせて。
怒ったような。
困ったような。
見ようによっては、今にも泣き出してしまいそうな……。
そんな複雑な表情で、斜め四十五度先のアスファルト睨むようにしながら、足を運び続ける。

「………織姫?」
「あんまり、からかわないで……」
「ごめん」

手を繋いだまま、腕を挙げて。
手の甲でそっと、彼女の頬に触れてみた。
軽く、ぴたぴたと叩いてみて。
これも一度目は無視されたけど、再度チャレンジしてみれば、ようやく彼女の口元に苦笑めいた表情が浮んだ。

ゆっくりと、俺を振り仰いで。
ふわり……と柔らかく、ヨメさんが微笑む。


そのことが、何だか酷く嬉しくて。


ぶんっと、繋いだ手を振ってみた。
まるで、ちいさな子供がするように………。

前に、後ろに、大きく大きく腕を動かす。
その動きに踏ん張りきれず、少々振り回され気味になるヨメさんの細い身体。
時折、小さな悲鳴を上げて。
しかしながら彼女はやがて、その形の良い桜色の唇から、楽しげな笑い声を響かせ始めた。

つられて、俺も笑う。
端から見たら、完全にバカップルだな…なんて、思いながら………。





なぁ、奥さん………?
一体全体…お前にはどれだけ、伝わっているのかな。

今…俺が、どんなに幸せかってこと………。





一年前の、祭りの日も。
二年前の、祭りの日も。
俺はアパートのベッドの上に独り身体を投げ出し寝転んで、ぼんやりと天井の木目を眺めていた。
窓から微かに流れ込んでくる祭り囃子や盆踊りの音楽を聴きながら、空座町に帰る日を指を折って数えて。
祭りが好きなお前の笑顔を思い浮かべては、隣に居られない淋しさと切なさとに、目を閉じ、唇を噛んで耐えていた。


だけど……今年、は。


隣に、お前が居る。
手を繋いで、並んで歩いてる。


………嬉しいんだ、とても。


ふと、気を緩めてしまったら。
掌から伝わる温もりに、涙をこぼしてしまいそうな程に………。





短大を卒業したヨメさんが、俺の大学近くの幼稚園に就職を決めて。
一緒にこの町で暮らし始めてから、早四ヶ月。

二人で始めた【生活】は、決して綿飴のように甘ったるいばかりではなくて。
極々稀に…ではあるけれど、すれ違いや意見のぶつかり合いを起こして、時に杏の実を噛んだような酸っぱさを味わう事もある。

それでも。

一晩も経てば、解るんだ。
それもまた、俺たちに二人にとって…必要なコミュニケーションの一つだったんだって。

ごめんなさいを言い合って。
苦笑しながら額をくっつけて。
そして再び、二人で日常と言う名の時間軸へと戻っていく。


その、単調な繰り返しに見える日々の中で。


例えば、干し立ての布団に並んで寝ころんで、お日様の匂いを堪能してみたり。

そのまま二人で、うっかり夜まで寝こけてしまって慌てたり。

卵を割ったら、黄身が二つ出てきた……と。
お椀片手に、部屋に飛び込んでみたり。

通勤通学の道すがら。
季節ごとに咲く花の名を、彼女から教えてもらったり。
休日の散歩中、草笛の吹き方を彼女に教えたり。

窓から見上げた夜空の星が思いの外綺麗で。
星座盤とにらめっこしながら、一緒に星空を眺めたり。

キャベツについていた青虫を、蝶になる日を楽しみに育てていたのに。
蛹から出てきたのは寄生蜂で、二人でがっくり肩を落としてみたり。

そんな…小さな何気ない出来事を、大切に大切に積み上げながら。
俺と彼女は、生きていく。


いつの日も、きっと。
これから先も、ずっと。



「あ……ねぇねぇ一護君、ちょっとここ、寄って行こう?」

ドラッグストアの前、ヨメさんが立ち止まって俺の手を引いた。

「冷蔵庫ね、多分野菜が何にも無いの。
焼きそばと焼き鳥じゃ栄養のバランス悪いけど、今からスーパーとか行くのも億劫だし、野菜ジュースとわかめスープでも買って、今夜はそれで済ませちゃお?」
「ああ…そうだな、そうするか!」

踵を返し、二人で店の自動ドアをくぐる。

「あ、そう言えば俺の歯ブラシ、毛先開いてきてるんだった」
「じゃあ、それも買っていこう?
ほかには何か、切らしてるものとかもうすぐ無くなりそうなものって、あったかなぁ?」

二人であれこれ棚を物色しながら、籠の中に品物を詰めて。
そう言えば独り暮らしをしていた頃は、こんな買い物一つとっても、どこか虚しさを感じていたっけな……なんて。
ふと、そんな事を思い出したりして。

「ふぉおっ?! あんこ缶が半額セールに!!!」
「………買ってもいいけど、せめて二缶までにしといてくれ」
「えええっ?!」

………不思議、だよな?
こんなやりとりでさえ、それが彼女と二人でなら。
楽しくて楽しくて、仕方がない……だ、なんて。








何でもない、一日。
他愛のない、会話。

それらを何よりの幸せと感じる、喜びを。
いつまでもいつまでも、君と二人で………。













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