捧げもの

□BLUE BLUE BLUE
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ひらり………と。
目の前を横切った、ちいさな影。

「あ………!」

隣を歩いていた井上が、僅かにその薄茶の瞳を見張って。
一拍置いて、ふわり……と優しく微笑む。

「……青条揚羽」

薄紅色の唇からこぼれたつぶやきが、青い夏空に溶けた………。





【 BLUE BLUE BLUE 】





……それは、七月最後の日のこと。
学校の昇降口で、偶然井上と逢った。

「………よぅ」
「こんにちは、黒崎君」

予期せぬ鉢合わせな事態に、若干緊張気味に声をかけた俺に向かって。
井上はいつもどおりのふんわりした笑顔で、挨拶を返してくれた。

「進学補習か?」
「うん! やっと今日で、終わったんだ。
黒崎君は例によって、運動部の助っ人デスか?」
「ああ……ま、そんなトコ」
「そう」

首を傾げて、にこり……と笑った、後。
僅かに落とした目線をうろうろと彷徨わせ、何かを言いたげに一度口を開きかけて…閉じて。
結局そのまま、「じゃあ、またね」と、踵を返そうとした彼女に、俺は慌てて声をかけた。

「井上……っ」

振り返り、きょとんとして俺を見返す彼女の視線の真っ直ぐさに、どきりとして。
決まり悪く視線を反らせながら、それでもなんとか言葉を振り絞る。

「どこかで、なんか冷てぇもんでも食ってかねぇ?」

薄茶の瞳をまんまるにした井上が、微かに頬を上気させながらこっくりと頷いてくれて。
気付かれないように安堵の息を吐き出しながら、今度は俺が踵を返した。

「校門前の、桜の下にでも居てくれ。急いで着替えてくっから!」

そう、言い残して………。










「やっぱり夏は、アイスですなぁ」
「全くだな」

公園のベンチに、並んで腰掛けて。
途中のコンビニで買ってきたアイスを頬張る。

匙で口に運ぶ度、幸せそうに目を閉じて。
「んーっ、冷たいっ!」とか「おいしーいっ」とか。
声を上げながら、じたじたと足を動かす彼女が可笑しくて。
吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、自分もアイスキャンディーにかじりつく。

「補習、今日で終わりって言ってたよな」
「うん! 明日からは宿題を片づけつつ、たつきちゃん達とも遊んで、夏休みを堪能するのです!」

どこか得意げに言う彼女に、思わず笑う。

「そういう黒崎君は…ずっと助っ人三昧?」
「いや……俺は明後日の大会まで今の部につき合ったら、次は新学期までオフ。
……まぁその分、妹達の相手してやんなきゃならねぇんだけど」
「ふふっ……相変わらず、良いお兄さんしてますなぁ」


………遊子ちゃんと夏梨ちゃんは、幸せだね!


肩を竦めるようにして微笑んだ井上の言葉に、ちりっ……と。
微かに、胸が痛んだ。

彼女の兄は、もう居ない。

かつて、交通事故で亡くなって。
彼女を想うあまり成仏できずに虚化してい魂を、去年、俺が斬って昇華させたから………。

そう…それは、たった一年と少し前に起きた出来事。
俺が死神代行だった頃の………。





「わわ、黒崎君っ、落ちる、落ちるっ!!」

井上の言葉に、我に返ると。
アイスキャンディーが溶けて、今にも棒から剥がれ落ちる寸前の状態だった。

「おわっ?!」

慌てて、下から掬うようにして口に入れる。
一度に入れるには少々大きすぎたその欠片に、冷たいわ苦しいわ…で、もごもごとなってしまい……。

『うっわ、みっともねぇっ!!!』

慌てて口元を手で覆って、隠した。
井上に「……大丈夫?」と尋ねられても、返事をするための声が出せない。
涙目で、ただ、こくこくと頷くことしか出来なくて………。

情けなさ一杯の気分で、どうにかこうにか口の中の氷塊を飲み下す。

ふう……っと。
思わず大きく息を吐いてしまった俺に、井上が黙ってティッシュを差し出してくれた。

サンキュ……と言って受け取った俺の顔は、きっと少し赤かったと思う。

一枚貰って、口元を拭いて。
そのティッシュに棒をくるむようにして握った時、隣の井上が「ご馳走様でした」と言った。
空になったカップを膝の上に置いて、目を閉じて両手をあわせる姿に、くすりと小さく笑って。
横から手を伸ばして、ひょいとカップを取り上げる。

「あ……」
「捨ててくる」

にっ……と笑って。
ゴミ箱へと、駆けた。










ほいっ……と、アイスの空容器と棒とを、ゴミ箱に放って。
後ろから小走りに近寄ってくる足音に振り返ると、自分の鞄を胸に抱えた井上が、俺のスポーツバッグを差し出して、にこりと笑った。

礼を言って、バッグを受け取って。
そのまま並んで、歩き出す。

もう少しで公園の出口…と、言うところで。
ひらり………と、目の前を横切った、ちいさな影。

「あ………!」

隣を歩いていた井上が、僅かにその薄茶の瞳を見張って。
一拍置いて、ふわり……と優しく微笑みながら呟いた。

「……青条揚羽」
「アオスジアゲハ?」

鸚鵡返しした俺の顔を振り仰いだ井上が、宝物を見つけた子供のような笑顔で頷く。

「ほら…羽根に、翡翠色のラインがあるでしょう?」

彼女が指さす先、蝶はもうかなりの高さに舞い上がってしまっていたけれど。
手を翳し、目を凝らせば。
確かに…青とも碧ともとれる綺麗な色を、見て取ることが出来た。

「………お兄ちゃんがね? 好きな蝶、だったの」
井上の声に、ゆっくりと彼女へと視線を戻す。

彼女は尚も蝶の行方を目で追いながら、懐かしそうに。
そしてまた、どこかうっとりと夢見るような口調で言葉を紡いだ。

「一度だけ…捕まえて、間近で見せてもらったことがあるの。
とっても、とっても、綺麗だったんだぁ………」
「ふぅん………」
「もう一度、良く見てみたいと思うんだけど……。
すばしっこくって、割と樹の高い枝のあたりを飛んでいる事が多いから、捕まえられなくて………」
「そりゃ、井上に捕まるようじゃなぁ」
「………ソレは一体、どー言う意味デショウか?」

上目遣いに俺を睨む井上に、明後日の方を向きながら「さぁてね」と舌を出して。
むう……とむくれてしまった井上、の。
迫力の欠片も無い怒り顔に吹き出しながら、俺は足を踏み出した。

数歩、進んで。
未だに同じ場所に佇んでいる彼女に、声をかける。

「置いてくぞー、井上」
「うぅ………」

鞄を胸に抱えて、何やら俯き加減に唸りながら後を追ってくる彼女。
それを、笑いを堪えながら待って。

ふいに………。
園内の樹木のあたりから沸き起こった、盛大な蝉の鳴き声。

その音に、背を押されるようにして。
二人一緒に、公園の門を通り抜けた………。
















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