捧げもの

□Orion
1ページ/6ページ



その日。
ルキアと恋次の子である赤毛の少年は、大層緊張していた。
父母に連れられ、現世へと出かける事になっていたからだ。

今年六歳になったばかりの少年、緋燕。
現世に来るのも、義骸に入るのも初めてでは無かったが、前回は未だ二歳にもならない頃の話である。
正直、記憶など殆ど残っていない。

橙色の髪の男性と、胡桃色の髪の女性と。
その二人の住まいらしき箱型の建物の一室に連れて行かれ、夕食を共にした事を、うすらぼんやりと覚えては、いる。
しかしそれも、父母の寝室に飾られている写真の中で、二人の姿を毎日のように目にしているからに他ならない。
そうでもなければ、おそらく忘れ去っていただろう。

それほどに、幼い子供にとっての三年という時間は、大人の何倍も長く密度が濃いものだ。

それはまた、成長の度合いが著しい事の証拠でもある。
大人になってしまえば数歳差等大して気にならないが、幼少時に於けるその差は、見た目にも精神的にも非常に顕著だ。

「僕より三つも、ちっちゃいんだよな……」

小さく独りごち、溜息を吐く。
そう……少年に緊張を強いているものは、ただ単に現世へ行くという事にあるのではなかった。
現世へ行く、目的。
父母の親友夫妻の、双子の子供達に逢うこと……それこそが、最大の原因であったのだ。

「大丈夫かなぁ……」

瀞霊廷内に、子供は少ない。
そしてその殆どが貴族の子弟である。
緋燕の伯父、白哉のように、貴族であり死神でもある者は勿論居るが、大概の貴族は四十六室等の文官職に就く場合が多かった。
そして現世で言うところの文官統制とでも言うのだろうか、四十六室の決定に対し、基本死神は否やを唱える事が出来ない。
その為か、両者の関係を身分の上下関係と混同する者は少なからず居り、そういった者達は大概、朽木家の姫とその連れ合いとは言え、元々は流魂街出身である緋燕の父母に対し、あからさまに差別的態度を取る事が多かった。
その事に決して卑屈になる事のない彼の両親であったが、白哉の立場を慮って……という事もあるのだろう、余程の事情が無い限り、貴族の集う場に二人が…そして二人の子である緋燕が出向く事もなかったのである。

結果。

緋燕は自分と同じ年頃だったり年下だったりする子供と遊んだ経験が、皆無に等しかった。
彼の立ち位置は常に、年上の者から庇護される側にあったのだ。

そんな彼が、今日は自分よりももっと幼い子供二人に引き合わせられると言う。
しかもその子達は、父母や伯父を始め、彼の周囲の死神達が揃って、大切な友人であり恩人でもあるのだと口にする、例の写真の二人の子供なのだ。

出立の際に、挨拶に寄った伯父の部屋。

「そなたの両親達のように、互いに良き友となれるよう、私も祈ろう」

白哉にそう言われたこともまた、彼のプレッシャーの一つになっていた。
憧れてやまない、大好きな伯父。
その彼を落胆させるようなことは、したくなかった。

お友達になって、三人で仲良く遊べました……そう、報告できれば良いのだけれど………と。
手を引いてくれる父母に気取られぬよう注意しつつ、緋燕は再び、ひそりと溜息を吐いたのだった………。








穿界門が開いた先は、古びた硝子の引戸が印象的な個人商店だった。
店内を抜け、奥の座敷に通されると、そこには義骸と現世の服が用意されており、父母の手を借りながら一式を身に纏う。

義骸については、入ってしまえば何の違和感もじなかった。
緋燕は不思議そうに自分の両手を見つめながら、幾度も幾度も閉じて開いてを繰り返す。
それを愉快そうに見つめる父母の視線に気が付き、少年は慌てて両手を背後に回し、真っ赤になって俯いた。

「俺も初めて義骸に入った時には、今のお前と同じ事をしたよ」

そう言い乍らくしゃりと髪を撫でてくれた父親の、大きな掌に安堵して。
父母の顔を交互に見上げ、はにかむように笑う。

「洋服は、どうだ?」

彼の前に屈み込み、顔を覗きこんでくる母。
柔らかく細められた紫紺の瞳に映るのは、着物のように合わせのない、筒のような衣服を着た自分の姿。

「………袴の丈が、短か過ぎる気がするのですが」

何だか足が、すぅすぅするのです……困ったように眉根を寄せた彼に、母は僅かに目を見開いた後、くつくつと声を立てずに笑いだした。

「それは袴ではなく、ハーフパンツと言うのだ。
現世の男の子達が好んで履くもので、慣れてしまえば袴よりも遙かに動きやすく、脱ぎ着も楽であると聞くぞ?」

………確かに。
紐を結ばなくても腰に巻き付いてくれて、しかも落ちてこないのは、幼い緋燕には大変喜ばしいことである。

「良く、似合っておるぞ!」

頬を両手で優しく挟まれ、こつりと額を合わせながらの母の言葉に、緋燕の心は喜びでぱんぱんに膨れた。
二人の仕事の多忙さと立場の重さを、彼は幼いながらも一応理解している。
しかし、うっかりすると顔を合わせることすら無く一日が終わる事も、時には有って。
屋敷でどんなに沢山の大人達に構ってもらおうとも、常に淋しさとは隣り合わせであるのが、彼の日常なのだった。

「そろそろ準備、オッケーっすか?」

飄々とした声が、廊下から聞こえて。
父親が是と応じると、すう…と音もなく障子が開いて。
転じた視線の先には、半端に開いた扇子で顔の下半分を隠した店主の姿があった。

「おや……これは皆様、良くお似合いで」
「うむ。此度はなかなかに趣味の良い服を揃えてくれたな。礼を言うぞ」
「今回は雨に見立てさせましたンで」
「成る程、道理でな」

ふむふむ……と。
得心がいったと言う風に頷く母の前で、そんなに前回のアタシの見立ては気に入りませんデシタカ?……と、店主がうなだれる。
それには取り合わずに、母は店主に向かい「一護達は?」と問いかけた。

「先ほどから、下でお待ちッス」
「そうか………では、我らも早く行こう。あまり待たせては、悪い」
「……だ、な」

父と母とが、顔を見合わせて頷いて。
緋燕を振り返り、さあ行こう………と、彼に向かって手を差し出す。

右手を父に、左手を母に預け、二人に引かれるままに彼は廊下を進んだ。

先程まで、浮き立つような幸福感に満たされていた彼の心には、再び緊張と不安と言う名の暗雲が垂れ込めて。
その小さな心臓は、まるで破裂してしまうのではないかと思うほど、どくどくと強く早く鼓動を刻む。

無意識に、きゅう…と父母の手を握る指に力を込めてしまった、丁度その時。
大人達が、先刻とは違う部屋の前で立ち止まった。
店主によって開かれた障子の向こう側は、やはり畳敷きの和室だったのだが……何故か部屋の真ん中の畳が跳ね上げられていて。
戸惑いつつも、手を引かれるままに部屋に入った緋燕、は。
やがて母親譲りの紫紺の瞳を、驚愕の為に大きく大きく見開いた。
何故ならば。
本来床板があるべき場所には、地下深くへと続く四角い空間が、ぱっくりと口を開けていたのである。

呆然と足下を見つめる緋燕の身体が、ふわりと浮いた。
父に、その小さな身体を抱き上げられたのだ。

「父上……?」
「梯子を一段ずつ降りるのは、まどろっこしいからな。下まで一気に跳ぶから、首にしっかり手ぇ回して掴まっとけよ?」
「は、はい!」

彼は慌てて父の太い首に腕を回し、その肩口に額を押しつける。
きゅう……とその腕に力を込めると、「何だ、怖いのか?」と、苦笑混じりの父の声が聞こえた。
それには応えず、緋燕は一層強くしがみつく。

「大丈夫だ、緋燕。絶対ぇお前を落としたりしねぇから」

こくり……と、頷く緋燕。
その幼い心に、ちくりとした罪悪感を抱えながら。

………本当、は。

ここから下へと飛び降りることには、何の恐怖も抱いてはいなかった。
父にとってそれは実に容易な事であり、自分の身には万が一にも危険など及ばないことを、彼はとても良く知っていたから。

それでも、彼がただ黙って父の言葉に頷いた、のは。
誤解されたままの方が、彼にとって都合が良かったからだ。



『だって、言えないもの……お友達になれるかどうか、不安でたまらないなんて………』



父親に、堂々としがみついていられること。

その為の理由、を。
このときの緋燕は、何よりも必要としていたのだった………。
















次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ