愛は静かな場所に降りてくる

□九月
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「……どうした、織姫?」
「え……?」

ためらいがちに掛けられた声に、我に返る。
慌てて顔を上げた視線の先には、御飯茶碗を手にしたまま眉根を顰める、一護君がいた。

「どうもしないよ……?」と、笑って。
私は一口、御飯を頬張る。

だけど………。

飲み込んだ瞬間、微かに漏れてしまった吐息に、一護君は益々眉間の皺を深めてしまった。

「具合、悪いのか? 昨日もいつもより食事量少なかったし、今も箸の進みが悪いじゃないか」

私は黙って、目を伏せる。
お医者様になった一護君に、体調絡みの嘘や誤魔化しは効かない。
心配……かけたく、ないのに。

「ひゃっ……?!」
「あ……わり」

首筋に当てられた冷やりとした掌の感触に、思わず首をすくめた。
自分の思考に入りすぎて、一護君がテーブルの向こう側から身を乗り出した事に、全く気づいていなかったのだ。

うーん……と小さく唸りながら、こつり…と。
彼は私の額に、自分のそれをくっつける。

「熱は…無さそうだな………」
「あ…う、うん! だだだ大丈夫、風邪じゃないよ、きっと!! 
た、多分ね、最近急に涼しくなったから、夏の疲れがちょっと出ただけだと思うの!」

至近距離に一護君の顔があることにどぎまぎして…ついついどもりがちになる言葉。
額を離した彼は、私の顔をまじまじと見て。
そして小さく、苦笑した。

「………お前…顔、真っ赤」
「あわわっ………」

恥ずかしくて俯こうとした顎を捉える、長く骨ばった指。
掠めるように口づけられて益々頭の中が真っ白になってしまった私は、ただぽかんとして一護君の顔を見返してしまった。

その視線の先で、彼は可笑しそうにくすり…と笑って。
私の頭をぽふぽふと優しく叩きながら、言う。

「………何なら今日、断るか?」
「駄目っ、そんな事しないで! 私なら本当に大丈夫だから!!」

私は慌てて、首を横に振った。

「二人とも貴重な休日を使って、遊びに来てくれるんだもの! だからっ………!!」
「………わかった」

とっさに一護君の腕を掴んでしまった私の手を、そっと外して。
椅子に腰掛け直し、彼は中断していた朝食を再開する。

「とにかく……張り切りすぎて、無理だけはするなよ?
どうせ今更、あれこれ取り繕わなきゃならないような奴らじゃないんだし。
家ん中なんて、そこそこ綺麗になってりゃ充分だって!
食事なんかは、いざとなったら出前取るなり何なり…どうにでもなる事なんだから……さ」
「うん…そうだね………」

頷いて。
私もまた箸を持ち直し、卵焼きの皿へと手を伸ばす。

本当は……もう「ご馳走様」な気分だったのだけど。
これ以上、一護君を心配させるのが嫌で。

「……うん、我ながら良い出来!」
胃に感じる不快感を堪えながら、微笑めば。

「ああ…美味しいよ、ホント。最近一段と、腕上がったんじゃね?」
その黄玉のような瞳を、柔らかく細めて。

愛しい愛しい旦那様は、優しく笑顔を返してくれたのだった………。










こちらのお店で、色々と買い物もしたいから………と。
お客様が到着するのは、夕方になってからの予定だった。

一護君は適当で良いと言ったけど、主婦としてはやっぱりそうもいかなくて。
大掃除…までは流石にいかないけれど、少しだけいつもよりも丁寧に家の中を片づけた。

掃除用具を仕舞って、ふう……と一息ついて。
同時、に。
無意識のうちに上がった片手が、ぎゅっと服の胸元を掴む。


「………どうしちゃったのかなぁ」


胃のあたりに軽い違和感を感じたのは、一昨日の事。

厳しかった残暑が、台風の通過とともに唐突に終わって。
急に秋めいてきた日々の中での、異変。
暑い間の身体の疲れが出たのだろう……と。
単にそれだけのことだと、思っていたのだけど。

一護君には気づかれない範囲で、自分の食事を消化の良い軽めのものに変えたり。
市販の胃腸薬を、服用してみたり。
色々と試しているのだけど、体調は一向に上向いてこない。
むしろ胃のむかつきは、僅かずつではあるけれど、確実に強くなっている。

「明日になっても良くならなかったら、病院に行った方がいいかな……」

呟きながら、冷凍庫から大きめのタッパーを取り出す。
休憩を多めに入れながらの掃除に、相対的に減ってしまった、調理時間。
だけどやっぱり、店屋物を取る……という選択肢は選びたくなくて。
作り置きのロールキャベツを、利用することにしたのだった。

ごく薄味のコンソメスープで煮て冷凍したロールキャベツは、二ヶ月保存が利く。
冷凍することでキャベツの繊維が崩れて食べやすくなるし、その時の気分で味付けも色々と変えられる。
何かと便利なので、時間のある時に作り置きするのが習慣になっていた。

「今日はおちびさんも来るし、ホワイトシチューっぽくしようかな」

タッパーから取り出せる程度にレンジで解凍し、軽く炒めた野菜と共に鍋に入れて火にかける。
付け合わせにするサラダを作って冷蔵庫に入れ、圧力鍋にお米と水を入れてガス台にスタンバイ。
その間に火の通ったロールキャベツの鍋に、シチューのルーを割り入れて。
牛乳を入れて、焦げないようにかき混ぜる。

「………うん、美味しそう!」

立ち上る湯気と薫りに、思わずほころぶ口元。
しかしながら。
同時に込みあげるのは、軽いえづき。

僅かに顔をしかめながらガス台の火を落とし、鍋を保温用の外鍋へと移し変えた。










普段着を、少しだけおしゃれな服に着替えて。
乱れた髪をブラシで梳き終えたと同時に、呼び鈴が鳴った。

「来た………!」

探った霊圧に、思わず笑顔になる。

小走りに玄関に走り寄り、ドアを開ければ。

「久しぶりだな、織姫!」

短めの黒髪を揺らし、紫紺の瞳を細めて微笑む小柄な美しい女性が、そこに立って居た。
その隣には、燃えるような赤毛の青年が寄り添っていて。
よぅ!……と私に笑いかけながら、腕に抱いた子供を揺すりあげる。

「いらっしゃい、ルキアちゃん! 恋次君も!」

彼らが入りやすいように、大きく戸を開いて。
それから、恋次君の腕の中に向かって、私は優しく声をかけた。

「こんにちは、緋燕君!」

恋次君よりも、もう少し深い色の赤い髪と。
ルキアちゃん譲りの、紫水晶のような瞳を持つ幼い男の子、が。
恋次君の胸に額を擦りつけるようにしながら、ちらりと私を伺い見て。
小さくはにかむように、笑った………。










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