お話

□White Rose
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………それは、11月頭の週末。
井上と、久しぶりに逢うことのできた日のことだった。

つい数日前までハロウィン仕様だったショッピングモールが、すっかりクリスマスモードに変わってしまった事に、井上が目を丸くして。
その会話の流れをこれ幸いに、クリスマスプレゼントに何かリクエストがあるか……と、俺は彼女に尋ねた。


井上は、優しい。
過ぎるほどに。


だから……俺が何をプレゼントしたところで、きっと満面の笑みを浮かべて、受け取ってくれるのに違いないけれど。

付き合い始めて、初めて迎えるクリスマス。
もしも彼女に何か希望があるのなら、極力それを叶えたいと思っていた。



「リクエスト………?」

口の中で、呟いて。
少し遠くに視線を向けたまま、黙り込んでしまった彼女は。

「……物、じゃなくても…いい?」

その後すぐに立ち寄った、喫茶店でのオーダー後。
そう、俺に尋ね返してきた。

「お願いが、あるの」
「何………?」

氷水の入ったグラスを手に取りつつ、彼女を見返した俺に向かって。
彼女は一つ息を吸うと、俺の目を真っ直ぐに見て言った。





「黒崎君の住んでる町に、行ってみたい」





思わず止まってしまった、グラスを持つ手。
からり………と。
グラスの中で氷の立てた音が、やけに大きく響いた気がした。

まるで………。
即答できなかった俺を、責めるかのように………。










「………やっぱり、駄目?」
目の前に座る井上が、少し淋しそうに微笑む。

ゆっくりと、冷水を一口飲み下して。
グラスをコースターに戻しながら、俺は答えた。

「やっぱ…遠い、よ。井上の住んでるトコからじゃ………」


井上が現在暮らしている彼女の親戚の家と、俺の下宿先とは、都内を挟んで真逆の方向だった。
路線の関係もあって、互いの住居の最寄り駅まで行こうとすれば、軽く二時間半はかかってしまう。
だから彼女とのデートは、都内のどこかで落ち合って、そのまま街を散策したり。
近くの美術館や、博物館を巡る……というのが定番になっていた。


「特急や急行なら、指定席取れば確実に座って来られるけど……そうじゃないだろ。
最悪二時間以上も立ちっぱなしになるかも知れないって考えると、さ。
俺……どうしてもお前の身体が、心配になるんだよ………」

彼女は二年半前、過労で倒れて、長く病院に入院していたことがある。
卒業式以来、今年の二月まで彼女と逢うことのなかった俺は、その当時の様子を知らないけれど。
今、俺の目の前に居る彼女は、高校時代に比べれば明らかに、一回り細くなってしまっていた。

竜貴に言わせれば、今の井上は充分に健康で。
俺が彼女を「痩せた」と感じる……の、は。
二十歳を過ぎた彼女の身体つきが、少女期のものから、大人の女性のものへと変わったからだろうと言うのだけれど。

井上が倒れてしまった原因の、根底に有るものが。
その当時、別の女の子とつきあっていた俺への、恋情を断ち切ろうとするあまり、色々と無理を重ねたからだ……と。
そんな事情があると知ってしまった、俺としては。
たとえそれが、どんな理由であろうとも。
そして、どんなに軽い風邪程度のものであろうとも。
もう二度と…俺なんかのせいで、彼女に健康を損ねて欲しくなかったんだ。





「相変わらず過保護ですな、黒崎君は………」

グラスを弄びながら、井上が苦笑する。
過保護……とは、井上本人だけでなく、周囲の人間からも常々指摘されることだ。

「そんなに虚弱だったら、二時間近くもほぼ立ちっぱなしで、演奏活動なんて出来る筈がないでしょうっ?!」

しかも、こんなものまで抱えてんのよ………と。
アコーディオンを俺に押しつけながら、呆れたように言ったのは、真希さん。

初めて身につけてみたアコーディオンは、確かにかなりの重量で。
ライブ中、ずっと……ではないにしろ、それを抱えて演奏しつつ。
時には、身体を大きく左右に揺らしたり。
軽くステップ踏みながら、踊っても居たよな……と。
あの細い身体のどこにそんなパワーが……と、俺は心底感心したけれど。


それはそれ、これはこれ………と、言うか。

そうそう簡単に、割り切れるものなんかじゃなかった。





………加えて。





「本当に、それだけ………?」

井上の口から小さくぽつりとこぼれた言葉に、俺は再び身を固くする。

彼女の手元に落としていた視線を、ゆっくりと上げれば。
うつむき加減に座る彼女が、前髪の隙間から覗き込むように、俺を見ていた。

絡まり合う、視線。
そのまま、数秒。

やがて彼女は決まり悪そうに、小さな笑みをひとつ、口の端に浮かべて。
「………ごめん、何でもない」
そう、消え入りそうな声で呟いた。
そして、ちょうど運ばれてきたココアの入ったカップを手にとって、息を吹きかけて冷ましつつ、飲み始める。

俺もまた、カップを持ち上げコーヒーを一口飲み込んで。
小さく一つ、息を吐いた。


『相変わらず鋭いな、井上は………』


………そう、躊躇う理由は他にもあった。
寧ろ、そちらの方が……要素としては、強かったかもしれない。

勿論…井上の身体が心配だっていうのは、嘘じゃない。
でも、それ以上に。
俺はもう一つの理由に、心も身体もがんじがらめになっていた………。












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