小話

□log:1月31日 愛妻の日
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※【You're the flower in my heart】【White Rose】及び「過去拍手御礼短文」内【光の花束】続編










【光の花束・U】










『今日は、愛妻の日です』





出張先に向かう、電車の中。
イヤホンで聴いていたラジオのパーソナリティーが、そんな事を言っていた。

今日は、1月31日。
成程ね……と、微かに笑う。





………偶には花束でも贈ってみたら、いかがでしょう?


そんな、パーソナリティーの言葉に乗せられた訳じゃないけれど。
出張先が、かつてヨメさん達が活動していたライブハウスから近くて。
その側のスクランブル交差点の脇にあった、素敵な店主のいる生花店を思い出した俺の足、は。
用務後、自然にそちらの方角へと向かっていた。

ヨメさんのライブの差し入れに、幾度か利用したことがあるけれど。
メンバーがそれぞれ就職し、結婚して子供を産んで……そんな時の流れもあり、ここ数年、訪れてはいなかった。
その間も、世の中の景気の悪さは相変わらずで。


………果たして今でも、あの店はあの場所に存在しているのだろうか?


一抹の不安を抱えつつ、道を曲がった俺の視界に映ったの、は。
最近張替えたばかりと思われる、真新しい……だけれども以前と変わりなく、グリーン地に店名が白抜きされた、テント屋根だった。

逸る気持ちを宥めながら、信号が変わるのを待つ。

青に変わると同時に、足を踏み出して。
一歩進むごとに、早まっていく速度。
店前に辿りつく頃には、軽い駆け足になっていた。




テントと同様、グリーンにペイントされた木製のドア。
金古美の取っ手に手をかけ、深呼吸をひとつ。
ゆっくりと押し開いて行けば、からん……と鳴るベルの音。

「いらっしゃいませ!」

柔らかなアルトが響いた方向に、顔を向けて。
そのまま俺は、その場に固まってしまった。

目の前には、懐かしい店主の顔。
だけど………。
中年に片足突っ込んだ俺とは、逆に。
何故だかもの凄く若く…どうみても十代にしか見えないってのは、一体どういう訳なのか。

「あの……茅薙、さん?」

後ろ手に戸を閉めつつ、戸惑いがちに尋ねる俺。

「はい、そうですが……?」

返事をしつつ、不思議そうに首を傾げた少女は。
次の瞬間「……あ!」と小さく声を上げると、店の奥に向かって大きな声を張り上げた。

「おかあさぁん! ちょっと来てぇーっ!!」
「なぁに? お客様の前で大きな声を出して………あら?」

店の奥から出てきた女性が、目と口を真ん丸にして俺を見る。
記憶の中よりも、幾分目じりに皺が増えてはいたけれど。
身に纏う柔らかい雰はそのままに、昔馴染みの店主が其処に居た。

お久しぶりです……と頭を下げれば。
その目は柔らかく細められ、口は綺麗に微笑みの形に弧を描く。

「あらあら、まぁ……!! 一体、何年ぶりになるのかしらね。織姫さんは、お元気?」
「お陰様で……二年前に子供が生まれまして、今は育児に奮闘中です」
「それは、おめでとう! 男の子? 女の子?」
「両方です。………実は、双子でして」
「まぁ………!! それはさぞかし、毎日賑やかで大変でしょうねぇ」
「ええ」

苦笑する俺に、にっこりと微笑んで。

「それでは今日は、久々に奥様に花束の贈り物かしら?」

悪戯っぽい光を瞳に躍らせながら、俺の瞳を覗き込む。
この人の、こんな…何処か少女めいた雰囲気もまた、以前と違わずで。
懐かしさと嬉しさで、心の奥底に暖かいものが溢れていくのを感じながら、俺は小さく頷いた。

「リクエストは、あるかしら?」
「そうですね………」

少し、思案して。
ゆっくりと口の端に笑みが浮かぶのを自覚しながら、彼女に告げる。

「出来れば……“光の花束”を」

俺の注文に、僅かに見開かれる店主の瞳。
それを再び細めながら、かしこまりました……と。
店主は微笑み、花々の並ぶ店内へと身体の向きを変えた。




「花音、そこのマリルを五本ほどお願い」
「はぁい!」

店主の指示で、少女が白い薔薇の束から丁寧に花を抜き取り始める。
中心がクリーム色がかっていて、純白のものよりも、温かみや優しさを感じさせる薔薇だった。

「娘さん……茅薙さんにそっくりですね」
「あは…! 『顔が通行手形』って、良く言われているらしいわ。本人はそれが、ちょっと不満みたいだけど」
「………俺も、親父に似てるって言われると無性にムカつきました。そんな年頃なんだと思います」
「ふふ……」

愉しそうに笑いながらも、店主は手早く花々を選んでいく。

「ねぇ、黒崎さん? 花束じゃなくてアレンジメントはどうかしら。
そのままで飾っておけるから、育児にお忙しい奥様に差し上げるなら、その方が良いんじゃないかと思って」
「ああ…そうですね。では、それでお願いします」
「承知しました。花音………」
「わかってる!」

店主が指示するよりも先に、カウンタ奥の棚から藤籠を用意し、深緑色の塊をその籠のサイズに合うよう加工を始める娘さん。
その手つきと顔つきから、彼女もまた、この仕事をとても楽しんでいるのが判った。

「………良い跡取りになりそうですね」
「まぁ…ね。まだまだ修行は必要だし、とりあえず先に高校をちゃんと卒業して貰わないと」
「大丈夫よ、赤点だけは取ってないから」
「………赤点でなければ良いというものでもないでしょう。別に一番獲れなんて言わないけど」

そんな遣り取りを、微笑ましく眺めながら。
いつかは俺も、子供達とこんな会話を交わす日がくるのだろうか……と、頭の片隅でぼんやり思う。


ふと、目を向けた店外。
一頃よりは随分日が延びたとは言え、街は夕闇に呑まれつつあった。

「もう、こんな時間か………」

腕時計に目を走らせ、ぽつりと呟く。
それでも今日はこの場所から自宅に直帰できる分、いつもよりも早い時間に、「ただいま」を言える筈だ。



………喜んでくれるかな。



透明なセロファンとリボンで、ラッピングされて。
さらに手提げの紙袋の中へと納められていく、フラワーアレンジメント。
それを眺めなる俺の脳裏に、ふうわりと微笑む織姫の姿がよぎる。

「お待たせしました! どうぞ奥様と、素敵な夜を………!!!」

少しおませな店主の娘の言葉に、思わず破顔して。
差し出された手提げ袋を、受け取った。





「いつかご家族に逢わせてくださいね」

そんな言葉に送られながら、店を出る。
駅へと向かう道、冷たい風にコートの襟を立てて歩く。


吐く息が、白い。


駅に着き、時刻表と携帯の時刻検索のページを見比べて。
ホームに向かいつつ、発信ボタンを押す。


「…………あ、俺。あと一時間くらいで帰れる」


受話器の、向こう側。
俺に応える織姫の声に重なって、代わってくれと強請る子供達の声が聞こえていた。
















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