小話

□log:バレンタインデー・ホワイトデー
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【14歳 バレンタインデー】
(初出:2013年)
















「あれ? ルーが切れてる!?」

台所から聞こえた、遊子の焦る声。

急いで買ってこなくちゃ……と。
財布を取りにリビングへと飛び出してきたのを、制止するようにソファから立ち上がって。

「俺が、行ってくる」

財布とエコバッグと上着を手に取りながら、にっ…と笑ってみせた。

「有難う、お兄ちゃん! もう暗いから、車に気をつけてね?」
「おう!」

くしゃり……とお袋譲りの栗色の髪を撫でてから、リビングの扉をくぐる。

廊下を進み、玄関を出て。
後ろ出にドアを閉じたところで、ひとつ溜息を吐いた。

八歳にして、立派に主婦業をこなしている遊子。
本当なら、未だ未だ母親に甘えて甘やかされて……そんな年齢の筈なのに。


『俺の、せいで………』


俯いて、きゅっと下唇を噛む。

暫くその場に、佇んで。
やがて、気を取り直すように頭を一振りすると、夕闇に呑まれつつある通りへと足を踏み出した。










「………あれ?」

スーパーの店内、レジの近く。
バレンタイン特設コーナーに、見覚えのある少女の姿に、思わず足を止めた。

恥ずかしながら、人の顔や名前を覚えるのは恐ろしく苦手だ。
そんな俺が彼女に気付いたのは、恐らく彼女の、おふくろや遊子の髪よりもさらに明るい胡桃色の頭髪の所為。
そして……彼女の顔に浮かぶ、表情の所為だった。

ある人は、真剣そのものの表情で。
またある人は、友人たちと明るく笑いさざめきながら。
楽しそうに、幸せそうに、チョコを選ぶ人々。

その中、で。
独り、彼女だけが異質な存在だった。



手に取ったチョコを、じっと見つめて。
今にも泣き出しそうな表情で、そこに立ちつくして………。





『兄貴の事、想い出してんのかな……』





去年の初夏、親父の必死の手当の甲斐も無く、俺と彼女の目の前で息を引き取った青年。
その彼の遺体に取り縋って、泣き叫んでいた彼女。
ただ黙って、それを見守るしかなかった俺。

……そんな過去の情景が、脳裏を過っていく。





やがて、小さな溜息を一つ吐いて。
少女はそっとチョコを棚に戻すと、踵を返して店内奥へと向かっていった。
手には、買い物籠。
おそらくこれから食材を買い込み、夕飯を作り…それを食べて、眠りに就くのだろう。

たった、独りきりで。







「……ごめん、な」


不幸自慢をする気なんて、無かったのに。
俺の心の片隅には、いつの間にか不幸に酔う自分が育っていたらしい。

そう…例え一生、俺自身が納得出来なかったとしても。
お袋の死は俺の所為ではないのだと、慰め、励ましてくれる家族が居る。
それ、は。
なんと大きな、幸福であることか。





小さく華奢な、彼女の肩。
そこに圧し掛かる孤独と寂しさは、きっと、俺には計り知れないほどに重いだろう。
時には、潰されそうになるほどに。

……だけど。








「生きろ、よ…?」

生きて、生きて、生き抜いて。
その先にある、彼女の未来に。
いつか。
いつの日に、か。
また、笑顔でチョコを選べる日が来るといい。

ほんのりと頬を紅色に染めて、彼女が差し出す小さな包み。
それを心底嬉しそうに受け取りながら、彼女に優しく微笑む………。
そんな誰かが、いつでも傍に居てくれる……そんな日々が、来るといい。










「………頑張れ。 
俺もここで、踏んばるから。
生きることから、逃げねぇでいるから。
だから……!」


いつか、また。
今度は、笑顔の君とすれ違う事が出来ますように……。

いつか。
いつの日に、か………。









「……頑張れよ?」











今はもう、姿の見えなくなった通路に向かって。
静かにそっと、エールを贈った。





















(『誰か』……と思った、その瞬間。 
 微かに胸が痛んだのは、何でかな………?
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