捧げもの

□まほろば≠ヘ、いつも君の傍に
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まるで、彗星のような人だ……ずっとそう、思っていたの
閃く、刃の切っ先も
風に靡く、炎色の髪も
空を翔る姿、その残像が網膜と心に焼きつく度に、憧憬と恋心を募らせて……

あなたに出逢った頃の私は、まるで手を伸ばせば彗星の尾を掴めると信じて疑わない、幼い子供のようだった
精一杯つま先立って、腕を伸ばしては、ただ虚しく空を掴んで
ちょっとやそっとの努力では隣に並べないと知ったあとも、諦めきれずに、足掻いてもがいて……
それでも、身体を縛り付ける重力の鎖から逃れることは難しかった
やっと追いついた…と、思っても
気がつけばあなたは、いつも私よりずっとずっと先を…気の遠くなるほど先を、走っていた

……だから、ね?

あなたが私を、振り返って
一緒に行こう…と手を差し伸べてくれたときは、本当に本当に嬉しかったの

あなたとなら、どこに行くのも怖くなかった
何があっても、笑っていられた
もちろん、これからだってそう
どこにだって、行ける
どこまでだって、行ける
私にとって、あなたの隣は、ずっと欲しかった居場所だから
夢に見た、まほろばだから

……だけど、ね?
時々、ちょっとだけ不安になるの

私が、一緒でなかったなら
私が、あなたという彗星の尾に掴まってさえいなければ
あなたはもっと、遠くに行けるんじゃないのかな
もっともっと、大きな軌道を描くことが出来るんじゃないのかな
……そんなふうに

ねぇ…私、大丈夫かな
あなたの足枷に、なってはいないかな……










がちゃり……と、派手な音がリビングに響いた。
自分では平静を装っていたつもりだったが、眼鏡をテーブルに置く…ただそれだけの動作が、どうにも難しかったのだ。
それほどまでに、俺は激しく動揺していた。

テレビでは相変わらず、今年目玉の天体ショーの紹介が続いている。
日食や、月食。毎年恒例の、流星群の到来する次期について。
そして……。

「やはり一番の見所は、冒頭でもお伝えしたとおり、数十年ぶりとなる彗星の到来です! いやぁ、楽しみですね!!」

弾む声で、司会者がコーナーを締めくくる。
反して、直後に切り替わったCMの画面からは、切ない旋律の恋歌が流れ出した。
最近、ちまたで人気の歌手がカバーしたその楽曲は、もともと俺達が高校生の頃…しかも、井上が虚圏へと向かった頃に流行っていたものだ。

……タイミングが悪いにも、程があるだろ。

織姫の言葉に脳内の九割九分ほど真っ白になりながら、僅かに残った冷静さで、そんなことを考えた。
その曲は当時の俺のトラウマを、情け容赦なく抉り出してくる。
だから、いつもはさり気なく席を外したり、チャンネルを変えてしまったりする。
それが出来ぬほど、今の俺は心に受けた衝撃の重さに、ただソファの上で身を強ばらせていた。

目の前に座る織姫もまた、目玉が転げ落ちるのでは…と心配になるくらい、瞠目したままで固まっている。
先ほどまで淡く薔薇色の朱が乗っていた頬は、今ではすっかり血の気を失っていた。
恐らく、彼女の瞳に映る俺の顔もまた、相当に青冷めていることだろう。
無意識に握りこんだ指先が、自分でも驚くほどに冷たい。

永遠に続くかと思うような、重苦しい沈黙。
それを打ち破ったのは、俺でもなく、彼女でもなく、無機質極まりない電子音だった。

「あ……終わった…」

ぎくしゃくと、油の切れた機械のような不自然さで立ち上がった織姫が、リビングを横切って、廊下へと出て行く。
ぱたん…と戸の締まる音が静かに響き、独り取り残された部屋の中で、俺は肺が空になるほど大きく息を吐き出した。

「……参ったな」

天井を仰ぎ、片腕で目元を覆いながら、ぽつり…と呟いて。
ぎり…と奥歯を噛みしめ、喉元にせり上がってくる苦いものを、必死になって飲み下す。


今更、だ。
本当に、今更だ。
俺と彼女が結婚してから、早十年もの時が経ったというのに……。





……確かに、高校時代のある時期まで、彼女が俺に対して、酷く引け目を感じていたのは知っていた。
しかしながら、共に数多の戦いを経る中で、そこは自然に解消したものと思いこんでいた。
俺の力と彼女のそれとの違いは優劣によるものではなく、そもそもの適性が大きく違うのだ……と。
どこかの時点で、彼女自身が気づいたんだ。
恐らくは、銀城たちとの件に決着がついた頃だったのだと思う。
何故なら、ちょうどそのあたりから、彼女は俺の皮肉めいた軽口を軽くいなしたり、言い返したりするようになったから。
出逢った頃のように、全てを諦めたような顔をして、力なく微笑むこともなくなった。
涙を浮かべて俯くよりも、凛とした表情で顔を上げるようになった。
そして、いつでもどんなときでも、太陽のように笑ってくれていた。

もちろん、今もそれは変わらない。
俺と一勇の傍らで、彼女は常に笑顔だ。

だけど……。



「油断、したな…」

俺自身、日常のふとした瞬間に、高校時代から大した変化も成長もしていない自分を思い知り、頭を抱えて唸ることがある。
河原を彷徨っていた幼い日々に感情を引き戻され、暫しの間、どうにもこうにも浮上出来ないこともある。
ならば織姫にだって、そんなネガティブな思考に囚われる瞬間があったとて、何の不思議があるだろう?
それは別に、今このときに限った話ではなく、共に暮らしてきたこの十年の間にも、幾度かあったに違いないのだ。
彼女の笑顔に安心し、慢心しきっていた俺が、気づけなかっただけで……。





ぱんっ…という軽い破裂音に、我に返る。
音のした方角、窓の外へと視線を向ければ、庭の物干し竿に織姫が洗濯物を干しているところだった。
今日の空は穏やかに晴れあがり、冬にしては外気温が高いけれど、やはり水仕事はそれなりに堪えるのだろう。一枚干し終わるごとに口元に手を寄せては、ふう…と息を吹きかけている。
俺はおもむろに立ち上がるとキッチンに向かい、小鍋に牛乳を注いでコンロにかけた。
数年前に海外遠征の土産だといってチャドから貰った揃いのカップに、俺たち家族の気に入りの銘柄のココアの粉末を入れ、沸騰直前で火から下ろした牛乳を注ぎ分ける。
カップ乗せた盆を右手にリビングを横切り、左手にショールを掴むと、俺は掃き出し窓を開けて縁側に出た。

「……一護、くん…」

振り返った織姫が俺に向ける表情は、相変わらず固く強ばったままだ。
俺は縁側に腰を下ろしながら、努めて明るい口調と表情で、ココアを勧めた。
しばしの逡巡ののち、俯きながらゆっくりと歩み寄ってきた織姫が、至極小さな声で「ごめんなさい…」と呟やく。
下から見上げたその顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

「あなたのこと、傷つけた…」
「わかってくれてるなら、もういいさ」

そっと小さな手を握り、静かに引き寄せれば、素直に俺の隣に腰を下ろす織姫。
細い肩にショールをかけてやり、マグカップを半ば押しつけるように手に持たせると、俺も自分のカップを手に取り口を付けた。
そのまま二人、黙ってココアを飲む。
カップの中身が半分になったころ、俺は静かに口を開いた。

「……俺が彗星だとして、きちんと軌道を描けているように見えるのなら、それは他でもない…お前が居てくれるからだよ。
俺独りだったら、今頃とっくに軌道を外れて迷子になって…最悪、どこかの恒星にでも突っ込んで消滅してるだろうよ」
「………」

顔を上げ、俺へと向き直った織姫が、もの言いたげに口を開きかけて…結局は何も言わずに、きゅっと口を引き結ぶ。
そんな彼女の一連の仕草と表情に、彼女の内面の葛藤と俺への気遣いが手にとるように読みとれて、俺は知らず苦笑をこぼした。
本当に…織姫はいつだって、俺を過大評価しすぎるんだ。
もちろんそれは、嬉しく誇らしいことではあるけれど……。

「俺にとっても、お前の隣はやっと手に入れた“居場所”だ。なんだっけ……まほろば…?」
「一護くん…」
「だから、俺も時々不安になる。ずっとお前の人生を振り回してきたから……いつか『もう、一緒には行けない』って言わる日が来るんじゃないか…って」

織姫が、大きく息を呑む。
そのまま、互いの瞳に互いの姿を写しあって……数秒。
そろり…と伸ばされた織姫の手が、そっと俺の膝の上に乗った。

「……ずっと、一緒にいるよ。どこにだって、ついて行くよ。一護君が、それを望んでくれる限り」
「織姫……」
「もし、恒星に突っ込むことになったとして…それが一護君の納得ずくの行動なら、私は止めない。
それで一緒に燃え尽きて、塵になったとしても、私はぜんぜん構わないの」

今度は俺が、息を呑む番だった。
瞠目する俺に向かい、ふわりと春風のように織姫が微笑む。

「高速で飛ぶのもスリリングで楽しいけれど……塵になってふわふわと、気ままに流されながらのんびり旅するのも…多分きっと、悪くないよ」

明るく弾む声で紡がれていく言葉を耳にして、瞼の裏側が急速に熱を持ち始めた。
こみあげる涙を堪えながら、織姫の肩へと手を伸ばす。
そして、干されたシーツの陰になり、通りからの視線が遮られているのを良いことに、そのまま強く引き寄せ、栗色の頭髪に強く頬を押しつけた。

「……ありがと、な」
「こちらこそ」

ふふ…と小さく笑う気配に、肩を抱く手に一層強く力を込める。
そのとき、風に裾を翻えしたシーツの向こう側に、揺れる冬咲き水仙の花が見えた。
塀に沿って帯状に咲き誇るその小さな花々が、遠目には五角形に…ひいては星のようにも見えると言ったのは、三日前の織姫だ。

『庭に、天の川が流れてるみたいだね!』

子供のように笑う彼女の背後に、果てない宇宙が透かし見えて……。
あのとき、軽く身震いしたことを覚えている。


織姫は、俺の世界を狭めていないか…と心配するけれど。
むしろ俺としては、彼女がいてくれたからこそ広がる世界が沢山あったんだ。

花の名前。
雲の形。
空の色。
風の音。
水の温度。
土の匂い。
炎の揺らぎ。
木漏れ日の眩しさ。
星の瞬き。
鳥のさえずり。

その他にも、数えあげたらきりがないほど沢山の、俺ひとりでは気づくことの無かった様々なもの。
見落としていた、数多の事柄。
それを教えてくれたのは、織姫だ。

例え…彼女自身が、否定しようとも。
俺にとって織姫は、他の何者にも代えられない大切な伴侶で、世界で、宇宙そのもので……。
その隣は、ずっと欲しかった唯一の居場所。
夢の“まほろば”なんだ……。










「もぉー、いーくつねーるーとぉー、おーしょーおーがーつぅーっ!」
「……あと、355日ね」

閑静な住宅街に響いた暢気な歌声と、冷静に突っ込む声に、俺と織姫は寄せ合っていた身体を慌てて離した。

「あんた、年が明けるどころか松も取れた今時期にそんな歌を歌うなんて、一緒に歩くの恥ずかしいからやめてよ」
「えー…苺花ちゃんてば、意地悪ぅ……」
「何処がっ?! 何がっ?! こっちとしては、常識ってもんを教えてるんだから、むしろお礼を言われたいくらいなんだけどっ?!」

ぎゃいぎゃいと甲高い声でのやりとりに、思わず二人で顔を見合わせ、苦笑をこぼし合う。
竜貴の道場で寒稽古に参加していた一勇と苺花が、帰ってきたのだ。

「……甘酒でも、つくろうかな。生姜の摺り下ろしを、ちょっとだけ入れて」
「ああ、そりゃいいな。二人とも甘いもの好きだから、きっと喜ぶだろう」
「あなたは?」
「俺はココア飲んだばかりだから……そうだな、あともう少ししたら、自分でコーヒーでも入れるよ」
「わかった」

にこり…と微笑みながら立ち上がった織姫が、洗濯かごを抱えたところで「あ…」と俺を振り返る。
何事かと軽く眉根を寄せた俺に、彼女は片目を瞑りながら悪戯っぽく囁いた。

「一勇が独り立ちするまでは、恒星に突っ込むの、なるべくやめてといてね。そのあとなら、いくらだって付き合うから」
「……了解」

苦笑しながら片手を額に翳して、敬礼の真似事をしてみせる。
声を立てずに笑いながら踵を返し、織姫は玄関へと向かっていった。

「あ、お母さん! ただいまぁ!!」
「ただいま戻りました、おばさま」
「はい、お帰りなさい。二人とも、手洗いうがいをしっかりね」
「はぁい!」
「あ、おばさま…父様と母様が迎えにくるの、夕方になるそうです」
「あら……それなら、一緒にお夕飯を食べていってもらおうかな」

三人の会話を聞きながら、俺もまたカップと盆を手に立ち上がる。
視線の先では、はたはたと風に翻るシーツの裾から、揺れる水仙が見え隠れしていた。



ここは“まほろば”。
俺たち家族で作り上げた、小宇宙。
その、小さな世界の真ん中で。
幸せだ…と、心の底からそう思う。

きっとこの先も、順風満帆、平穏無事な日々ばかりではなくて。
時には厚い雲の向こうに行き先を見失い、途方に暮れることもあるだろう。
それでも、織姫と一緒なら…きっと前へと、進んで行ける筈だ。

どこへでも。
どこまで、でも。


共に塵芥になり、宇宙へと還るその日まで……。
















BGM:「彗星の尾っぽにつかまって」by広沢タダシ 


 

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