捧げもの

□Orion
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浮遊感……そして、軽い衝撃。

「着いたぞ」

父の声に閉じていた瞼をそろりと持ち上げると、そこには広大な大地が広がっていた。
地に降ろして貰いながら、緋燕は呆然として辺りを見回す。
自分は確かに、地下へと降りた筈なのに……晴れた日と同じ青空が頭上に広がっているのは、どう言うことなのだろう?
しかも……一体どれだけ広い空間なのだろうか、地平線も霞んで見えない程だ。


「どうして………?」


混乱しつつ、首を捻ったとき。

「ルキアちゃん! 恋次君!」

父母の名を呼ぶ柔らかな声が、耳に届いて。
慌てて振り返ると、胡桃色の長い髪を靡かせながら、一人の女性がこちらに向かって駆け寄ってくるところだった。

『写真の人だ………』

湯気の立つ皿の向こう側で、美味しい?……と自分に向かって問いかけた彼女の事を、ぼんやりと覚えている。

「織姫……!」

彼の母もまた彼女へと向かって駆け出し、二人は抱き合って歓声を上げた。

「久しぶりだね、ルキアちゃん!」
「織姫……そなたも元気そうで何よりだ!」

まるで子供のようにはしゃぐ大人二人に、面食らう緋燕。
特に、母のルキアが浮かべる満面の笑みには、驚くばかりだった。

彼にとって母の笑顔というものは、基本『静かな微笑み』であったから……。


やがて。


瞬きを繰り返す緋燕を、ルキアの頭越しに織姫が見留めて。
ぱっ……と輝いたその表情に、彼はどきりと心臓を跳ねさせた。

「緋燕君? わぁ……大きくなったねぇ!!」

スカートの裾を揺らしながら緋燕に近付き、その正面にしゃがみ込む織姫。
目線を合わせるようにして彼の瞳をのぞき込み、「おばちゃんのこと、憶えているかしら?」と尋ねる彼女に、緋燕はこくりと頷いた。

「でも、覚えているのは少しだけ…なんです。ごめんなさい、織姫さん」
「あら……! 私のこと、名前で呼んでくれるの?」
「年上の女の人には、名前にさん付けするか、お姉さんと呼ぶのが礼儀だと……そう、乱菊さんに教わりました」
「まぁ………!」

乱菊さんらしいわね………と、鈴を転がしたような声で織姫が笑う。

「実際、未だ未だおばちゃんて歳じゃねぇだろ? 井上は」
「子供が居ると、たとえ二十代だって近所の子達からはそう呼ばれるのよ。そうでなければ、子供の名前に『ママ』付け」

苦笑しつつ、織姫は恋次に向かって軽く肩を竦めてみせた。
そして、立ち上がろうとする素振りを見せた彼女に手を貸しつつ、今度はルキアが問いかける。

「子等は?」
「今、一護君が連れてくるわ。ほら、あそこ!」

ふわりと笑いながら背後を振り返った織姫が、片手を高く上げて振った。
踵を上げ、伸び上がるようにして、緋燕は彼女の背後を伺い見る。
その視線の先に映ったのは、写真の中で織姫に寄り添うように立っていた橙色の髪の青年の姿。
やはり、前回逢ったときの記憶は殆ど残っていない。
それでも、頭を撫でてくれた掌の感触が父のそれに良く似ていると感じた事だけは、今でもはっきり覚えていた。


その一護がゆっくりと、こちらに向かって歩いてくる。
その両の手にそれぞれ、男の子と女の子、二人の幼い子供の手を引きながら。





どくん…どくん………。





痛いほどに脈打つ、緋燕の心臓。
緊張に、知らず肩に力が入る。

緋燕達の居る場所まであと数メートルという所まで近づくと、二人の子供は一護の手を離し、織姫へと駆け寄った。
そして体当たりするような勢いで、彼らの母親のスカートにしがみつく。

小走りに二人を追ってきた一護は、挨拶を交わしつつ恋次やルキアと掌を打ち合わせると、やはり先刻の織姫と同じように緋燕を見留め、軽くその薄茶の瞳を見開いた。

「うおっ?! でっかくなったなぁ、緋燕!!」
「わ、ぷっ!」

目の前に寄ってきた一護に、ぐしゃぐしゃと髪の毛を乱暴にかき回され、軽くたたらを踏む。

「ほんっと、他人ん家の子が育つのって早ぇなぁ……」
「その台詞、そっくりそのまま貴様に返すぞ!
あーんなに小さくて、くてくてしていた赤子が……もう、こんなに大きくなっておるとは………!
どおりで一護の顔が、一段と老けて見える訳だな!」
「…………ルキア、手前ぇ喧嘩売りに来たんかよ?」
「私は見たままを正直に述べただけだが?」

あからさまに不機嫌そうな表情になった一護と、どこか得意気な母親の顔とを、緋燕はおろおろと見比べた。
その耳に自分の名を呼ぶ父の声を聞き、渡りに船とばかりに慌ててその場を離れる。


「父上……?」

駆け寄る緋燕に笑いかけ、恋次は脇に一歩分立つ位置を変えた。
それまで父の大きな身体の影で見えなかった織姫と二人の子供達の姿を見留めて、思わず止まる緋燕の足。
恋次は微苦笑を浮かべつつ緋燕の肩に手を乗せると、織姫達の方へと軽く息子の身体を押し出した。


「緋燕……蒼良君と、咲良ちゃんだ」


こくりと唾を飲み込みつつ、織姫のスカートに隠れるようにして自分を伺い見ている二人の顔を交互に眺める。


蒼良と呼ばれた男の子は、一護とそっくりな髪色をしていた。
顔立ちも基本、一護の面影が濃い。
だが、目元はどう見ても織姫似で、それが一護とは真逆のおっとりとした雰囲気を醸し出している。


対して咲良と呼ばれた女の子の方は、一目で親子と判る程、顔立ちも髪色も織姫と瓜二つだった。
しかしながら、その瞳に宿る光は、穏やかで柔らかな織姫のそれと違い、強く、鋭くて。
それはどこか、好奇心旺盛な子猫の姿を彷彿とさせる。





「二人とも、ご挨拶は?」

恋次と同様に、子供達の背を優しく押し出すようにしながら織姫は促したが、蒼良は俯き加減にもじもじとはにかむばかり。
咲良は警戒するように上目遣いで緋燕の顔を凝視しているものの、やはり一言も発しようとはしない。

「緋燕」

静かに恋次に名を呼ばれ、我に返る。
慌てて振り仰げば、父は穏やかな微笑を浮かべながら、緋燕を励ますように小さく頷いた。

『………そうだ。僕の方が年上なんだもの、しっかりしなくちゃ!』


父に向かって、頷き返して。
改めて、双子の兄妹と対峙する。

一度目を閉じ、深呼吸して。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、蒼良と咲良の顔を交互に見つつ、緋燕は口を開いた。

「えと…僕の名前は、緋燕です。蒼空君と咲良ちゃんよりも、三つ年上になります。
その…二人とお友達になれたら………嬉しい、です…」

そこまで言って、ほうっ……と大きく息を吐く。
その緋燕の前で、双子は互いに顔を見合わせながら首を傾げた。

「………へん、君?」
「違うよ、咲良ちゃん。ひ、え、ん……て、言ったんだよ!」
「ひ…………ひぇ………?」

心臓をばくばく言わせながら、二人のやり取りを見守る緋燕。
やがて彼は、咲良がくしゃりと派手に顔を歪めた事に驚いて、思わず息を飲んだ。

「……………言いづらいっ」
「えっ…?!」

小さな鼻の頭に、これでもかと言うほど皺を寄せて。
ぼそり……と呟かれた、咲良の言葉。

緋燕は大いに困惑し、ぱちぱちと目をしばたかせた。
そんな緋燕の顔を、じぃっ………と見つめていた咲良の顔が、不意にぱぁっと輝く。

今度は何を言われるのか………と。
内心怯みつつ、織姫似の可愛らしい口元に視線を向けた緋燕の耳に、弾むような声が響いた。

「……ひーくん!」
「ひーくん?」

蒼良もまた、妹の言葉を鸚鵡返ししながら、瞳に光を踊らせて咲良を振り返る。

「そう、ひーくん! あ、でも…ひーくんは咲良達よりもおっきいんだから……」
「じゃあ……ひーにぃ?」
「それだ! うん、ひーにぃ!!」

ひーにぃ、ひーにぃ!………と。
どうやら二人で勝手に決めてしまった彼の呼び名を楽しげに繰り返しては、びょこぴょこと飛び跳ねてはしゃぐ双子。

緋燕は言葉もなく、ただ呆然と目の前の光景を眺めているしかなかった。



………やがて。



てけてけっと、緋燕の前に咲良が走り出てきた。
どうしたの?………と緋燕が問うよりも先に、いきなりぽんっと彼の肩を叩く。

「わ…っ?!」

突然の行動に声を上げて驚く緋燕に、にぃっ……と笑って。
織姫譲りの薄茶の瞳に光を踊らせながら、彼女は告げた。

「つけたから」
「………へ?」
「つけたの。だから、ひーにぃが鬼」
「えっ? えっ?!」

何が何やらさっぱり判らず、瞬きを繰り返す緋燕に、ゆっくり十数えてから来てね……と言って。

「あ…っ?!」

待って……と言う間すら緋燕に与えず、まるで弾丸のような勢いで、咲良がその場から飛び出していく。

「あーあ……もう、咲良ちゃんたら本当に勝手なんだから」

ぼやくように、呟いて。
視線を向けた緋燕に対し、ごめんなさい……と頭を下げる蒼良。
しかしながら結局は、彼もまた妹同様に緋燕に背を向け、地を蹴って駈け出してしまった。

緋燕が、幼いながらも必死にその脳内で組み立てていた、段取り。
それを実に呆気なく崩され、しかも目の前の現状についていけない緋燕は、ただ口をぽかんと開けて二人の後ろ姿を見つめる。
その彼の頭上から、何処か苦笑めいた響きを含んだ父の声がのほほんと届いた。

「ほら……さっさと追いかけねぇと、二人ともうんと遠くまで行っちまうぞ?」

その言葉に、はっと我に返って。
少々パニック気味ながらも、緋燕は慌てて「いーち、にーぃ………」と声に出して数え出す。

「十っ!!」

身体を軽く折り曲げるようにしながら、一際大きな声で言い切って。
緋燕もまた、二人の後を追って全速力で走り出した。


父譲りの赤い髪を、靡かせながら………。










……こんな調子、で。
何やら大層唐突に、三人の初遊びは開始されたのだった…………。

















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