01/02の日記

13:02
新年小ネタ
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昨日の夜に思い浮かんだネタを、急ぎ形にしてみました。
糖分は低め、モブ視点のお話です。


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「…大川さん、! お会計、お待たせしました!!」

正月早々、はしゃぎすぎて足を挫いてしまった幼い息子を抱え、休日当番医である近所の黒崎医院の待合室のソファに腰掛けていた私は、思わず背後の受付を振り返った。
待合室に響いた声が、いつもの雇われ看護師さんのものではなく、双子のお嬢さん方のものでもなく…それでいて、確かに聞き覚えのある声だったからだ。

「あら……あの子、パン屋の…」

私の呟く声を耳にして、私の肩に額を押しつけていた息子が頭を上げる。
そして、満面の笑みを浮かべてその女の子の名を呼んだ。

「織姫姉ちゃん!」

私は慌てて息子の口を手で塞ぐと、周囲の人たちにぺこぺこと頭を下げまくった。
そんな私の内心の焦燥になど全く意に介さず、息子は受付に向かってぶんぶんと手を振り続けている。
ひととおり周囲へのお詫びを済ませた私が再び受付へと視線を向けると、ちょうど会計を済ませたらしき織姫ちゃんが、息子に向かって小さく手を振り返してくれているところだった。

「桐谷さん、診察室へどうぞ」
「……あっ…! は、はいっ!!」

何故、ここに織姫ちゃんが居るのか…その疑問に意識の殆どを向けていた私は、若い男性の声に急速に現実に引き戻され、慌ててソファから立ち上がった。
片腕に息子、もう片方の手に鞄を下げて診察室に向かうと、入り口前にはすらりと背の高い男の子が立っていて、カルテを片手にこちらを見ている。
橙色の頭髪と、眉間に皺を寄せた険しい表情に一瞬ぎょっ…としたものの、そう言えばこちらの息子さんは元々こんな髪色だったこと、無愛想で有名なことを思い出し、彼に向かって「よろしくお願いします」と頭を下げた。

「親父! 次、桐谷さんのお子さん、入るぜ」
「『院長』、だ!  それと言葉遣いは丁寧に…と、何度言わせる気だ!!」
「………『院長』、次、桐谷さんのお子さんが入ります」
「わかった!」

そんなやりとりを横目に見ながら、開けてもらったドアをくぐり、黒崎先生の目の前に椅子に腰掛ける。
怖いくらい真剣な顔をしてパソコンに向かって何事かを打ち込んでいた院長先生は、くるり…と息子に向き直るやいなやその強面を笑み崩し、大きな掌で息子の頭をがしがしと撫で回した。

「よぅ、大ちゃん! 今日は、どうした?」
「凧揚げしてたら、転んじゃって……足、ぐきっ…てなったの」
「おおぅ…それはさぞかし痛かったろう? どれ、診せてごらん」

息子と先生がやりとりしている間に、先生の息子さんは前の患者さんのものらしきカルテを手に、受付の裏手へと向かって行く。

「調薬、お願いします」

はーい…と、奥からいつもの薬剤師さんの声が聞こえた。
しかしながら、姿を見せたのは織姫ちゃんで。
先生の息子さんからカルテを受け取ると引き替えに、次の患者さんのものであろうカルテを手渡していた。

「次、こちらの方ですって」
「了解」

ふ…っと、息子さんの眉間の皺が緩む。
途端に、年相応どころか幾分幼くすら見えるその柔らかい表情に、視線が釘付けになった。
険の取れたその微笑みが、テレビの画面で笑顔を振りまくアイドルに、勝るとも劣らぬ魅力にあふれていたからだ。

「あ、織姫姉ちゃーんっ!」

息子もまた織姫ちゃんに気づき、再びぶんぶんと手を振り回す。
その、瞬間。
こちらを振り返った息子さんの表情が再び険しいものになり、それどころか、先刻よりも更に深い皺が眉間に刻まれたように見えたのは、単なる私の気のせいだろうか……?

「ねぇねぇ、先生! どうして織姫姉ちゃんがここに居るの?」

無邪気に問いかけた我が子に、内心goodjob!と喝采を送りながら、ちら…と院長先生の顔を盗み見る。
先生はにこにこ笑顔のまま、今日だけ特別にアルバイトに来て貰ったのだと、息子に説明してくれた。

「織姫ちゃんと一護は、同じ高校に通っていてね。卒業してからも変わらず、仲良しくしてくれているんだよ」
「ふーん……」

息子の唇が、不満気に尖る。
どうやら織姫ちゃんに淡い恋心を抱いているらしき息子は、先生が口にした『変わらず、仲良く』という言葉が気に入らなかったらしい。

私はもう一度、受付と診察室との境へと視線を向けた。
二人は相変わらず話し続けていたけれど、その内容は、夕食の献立に関することに移ったようだ。

「沢山お勉強して、疲れて帰ってくるのだもの。温かくて美味しいものを、おなかいっぱい食べてもらいたいと思って…」

織姫ちゃんの言葉に、双子ちゃんたちの不在理由をなんとなく察する。
それと同時、に。
息子さんの顔に浮かぶ、溶けかけのチョコのような柔らかな表情に、私はますます興味津々となった。

「……先生、あのふたり…もしかして?」

息子の足に包帯を巻くために前屈みになっていた院長先生の耳元に、そっと小声で問いかける。
顔を上げた先生は、ちら…と二人に視線を走らせたのち、なんとも表現し難い苦笑を口元にひらめかせた。

「だったら、良いんだけどねぇ……。そっち方面に関しては、とんと甲斐性の無い息子なもんでね」

軽く肩を竦めて、くつり…と喉の奥を鳴らすように笑う先生。
何と返答して良いかわからず、私は曖昧に微笑みを返しながら、三度、年若い二人へと視線を移した。

ひと通り話が済んだのか、織姫ちゃんが踵を返そうとするのを、息子さんが引き留める。そして、あともう少しで昼休憩だから…と声をかけながら、ぽんっと軽く織姫ちゃんの背を叩いた。
途端に、織姫ちゃんの頬に淡く朱が挿し、ふうわり…と花が綻ぶような笑顔になる。

「黒崎君も…あともう少し、がんばってね!」

こくり…と、まるで小学生のように素直に頷いた息子さんの指先が、受付の席へと戻っていく織姫ちゃんの髪の先をほんの僅かに捉え、優しく梳いた。
その一連の流れを見ていた私は、全身に蟻が這うようなこそばゆさを感じつつ、心密かに確信する。
いずれ必ず、院長先生の望む未来は訪れるだろう……と。

「まぁ……あの様子じゃ、だいぶ時間はかかりそうだけど、ね」

会計待ちの間につい独りごちてしまい、膝の上に抱いた息子に不審そうな眼差しを向けられてしまった。
慌てて「何でもないよ」と首を横に振ると、息子は安心したように笑って、受付を振り返る。

息子の視線の先には、笑顔で薬袋を手渡す織姫ちゃんの姿。
その微笑みの裏側に、どれほどの辛い過去を押し隠して生きてきたのか…ということは、良くも悪くも下町の風情を色濃く残したこの町に住んでいては、嫌がおうにも耳にすることだった。
勿論、院長先生の奥様のことも……。

でれでれと織姫ちゃんに見惚れている息子の初恋が砕け散るのを、ほんの少し気の毒に思いつつも。
織姫ちゃんと院長先生の息子さんの将来に、どうか幸多かんことを……と、そんなことを切に願った、新しい年の始まりだった。








カテゴリ: 小話

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