09/18の日記

16:31
遅刻の一護誕 兼 七夕ネタB ※10月10日 文末に数行加筆修正
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残り1ページで終わると思います。
次の連休でエンドマークまで到達できたらいいな。
もう秋だよ……。


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どうにかこうにか濁流のような人混みを抜けたところで、ほう…と深くため息を吐く。

「大丈夫か、井上…?」

そう声をかけながら顔を覗き込もうとしたら、ぶんっ!と音がしそうな勢いで視線を逸らされた。
一瞬、唖然としたものの。
ふと目に留まった井上の耳、その林檎のような紅さに、慌てて抱き込んでいた彼女の肩から手を離す。

「わ、悪ぃ!」

狼狽える俺に、井上がじりじりと後退りつつ首を横に振った。
大丈夫だよ——と告げる消え入りそうな声だけを、どうにか鼓膜が拾い上げる。
俯いているから、どんな表情をしているのかはわからない。
少なくとも怒ってはいないようで、ひそりと小さく安堵の息を吐いた。

「凄かったね。少しでも隙間があれば、すり抜けようとして突っ込んでくる人居るし……」
「ホントにな。だからごめん、ああでもしないとはぐれちまいそうだったし、誰かとぶつかって怪我しやしねぇかと…その……」
「うん、わかってる。護ってくれてたんだよね」

ありがとう——と。
漸く俺を見上げて、ほわりと微笑む井上。
直後、悪戯っぽい光が薄茶の瞳の奥で踊った。

「思い出しちゃった、4年前のこと……」

今度は俺が、顔に熱を集めてそっぽを向く。
井上はくすくすと笑いながら、距離を2歩分ほど縮めてきた。
再び友達以上、恋人未満に戻された空間に、複雑な気分になりながら野外ステージのある芝生広場へと向かう。

「あ、来た来た! 井上さぁん、こっちこっちーっ!!」

広場の入り口に居た少年少女が数名、俺たちに向かって大きく手を振った。
全員が揃いのポロシャツを着ており、うち幾人かは首や手に楽器を下げ持っている。

「合宿用の食事に、ランチパックを大量発注してくれたっていう吹奏楽部の子達か?」
「うん! この辺の高校の中ではダントツに上手くて、演奏依頼も多いのですって」

井上が手を振り返し、俺が会釈をすると、女の子たちは「やだぁ、彼氏連れだぁああっ!!」と歓声を上げながら、ぴょんぴょん飛び跳ねたり、隣の子とど突き合いを始めた。
なんともまぁ、かしましいことで。
反して男子は、その場に蹲ってさめざめと泣き真似。
こちらはこちらで、ちょっと鬱陶しい。

井上は俺との関係をどんなに追求されても、ただ笑ってやり過ごしている。
モヤモヤしたものを心の内に抱えながらも、きっぱり否定されないだけマシか——と、今度は俺を質問攻めにし始めた女の子達に、黙って肩をすくめて見せた。
そこにタイミング良く生徒達に集合の声がかかり、それぞれ手を振りながらステージ裏へと向かって駆けていく。
一人残った女の子が俺と井上を先導し、井上のために敷物で確保したという観覧場所へ案内してくれた。

「演奏後は片付けがあるので、今日はここで失礼します。
またみんなで、お店に行きますね!」

礼儀正しくお辞儀をし、去っていく後ろ姿を見送りつつ、レジャーシートに腰を下ろす。
良かったらどうぞ…と井上が俺との間に並べたのは、惣菜パンの数々。
ABCookiesから引き継いだのであろうものもあれば、今の店のオリジナルらしものもあった。

「それ、私がレシピ案を出したパンなの!」
「へぇ…」

開封し、一口頬張ってみれば、舌の上にさまざまな味が広がっていく。
材料それぞれ主張が強いのに、不思議と調和が取れていると感じるのは、意外な材料を組み合わせて絶品料理を作り出す井上ならではのものだろうか。

「美味いな」
「ホント?! やったぁ!!
今ね、秋冬ものの新作案を練ってるところなの。
また採用してもらえるように、頑張らないと!」

はしゃぐ姿に、自然と綻ぶ口元。
同時に、ちり…と胸の奥に痛みが走った。

「あ…そろそろ始まるみたい」

視線を向けた舞台の上には、楽器を手にしたポロシャツ姿の一群。
生徒たちが席に着き、色違いのシャツを着た中年男性が指揮台の前で一礼すると、周辺から一斉に拍手が湧き上がった。

「頑張って、みんな……!」

井上も笑顔で手を叩き、エールを贈っている。
舞台を見つめるその瞳に、当然ながら俺の姿は映らない。

俺の知らない場所で、井上が日々、さまざまな経験を積み重ねていく。
新たな人間関係を築き上げ、居場所を確立していく。
彼女の世界を、広げていく。

それは至極自然で、当前なことで。
井上の身になってみれば、何より喜ばしいことで。
だのにそれを、心から良かったと思うことのできない自分がいる。
言いようのない不安が、雨雲のように心に垂れ込めていく。

「時間が経つのって、早いね……。
高校生として過ごした時間より、卒業後の時間の方が長くなっちゃったなんて、なんだか嘘みたい」

——そう。
それだけの時間があったのに、俺は井上に対して何のアクションも起こしてこなかった。
昨年の暮れ、恋次に発破をかけられるまで……何も。

もう少し、自分に自信が持てるようになってから。
一足先に社会人となった井上に、釣り合う立場を手に入れてから……なんて。
最もらしい言い訳を並べ立てて、先送りにし続けた。

『もし、一兄の告白が高校卒業と同時だったらさ……織姫ちゃん、今回の話なんか即座に断って、ずっと側に居てくれたんじゃないの?』

引越し前日だというのに、廃棄パンを届けに来てくれた井上を見送りながら、ぼそり…とこぼしたのは夏梨だった。
今更、たらればの話をしても仕方ないけど——と、言いつつも。
どうにも割り切れないという、顔をして……。





時は、戻らない。
何をどうしようと、巻き戻すことは叶わない。
人の心も、また……。






舞台の上、吹奏楽部の演奏はいつしかプログラム最後の曲まで進んでいた。
アップテンポの陽気な曲調に、観客からは自然と手拍子が湧き起こる。
指揮者が大きく指揮棒を振り、最後の一音が鳴り響いた。
直後、頭上からドォン…と破裂音。
仰ぎ見た夜空には、様々な光の華が咲き誇る。

「綺麗…」

うっとりと呟く井上の瞳が、光を反射して虹色に煌めいた。
その横顔が、内輪の同窓会を兼ねてかつてのクラスメイト達と観覧した、昨年の綾瀬川の花火大会の記憶と重なる。

今年の花火大会の日に、井上は戻って来られなかった。
でも——空に咲く花は、別に空座特有のものではなない。
現に今、この瞬間、こうして俺たちの頭上に在って、美しく夜空を彩っている。

仕事も…空座の店には商品開発専門のスタッフが居て、売り子として雇われている井上の出る幕は、基本無い。
それに引き換え、今の店なら商品開発から製造、販売までの工程全てに、深く関わることができる。
遣り甲斐にだって、格段の差があるだろう。


この世に、たったひとつしかないもの。
代えの効かない、大切なもの。
それは、他でもない井上の命で。
井上自身の、人生で……。


「——すっげぇ、特大ブーメランになっちまったなぁ」
「え? 黒崎君、今何か言った?」
「いや。何でもねぇよ」

広場に、イベント終了のアナウンスが響いた。
立ち上がりながら見上げた空は、漆黒。
俺が斬月で向こうへと送った、彼の人の瞳と髪色の……。

あの夜の自分の言葉を思い出し、微かに苦笑をこぼした。
胸の内に湧き上がる仄暗い感情を、持て余しながら。

『あの頃は、共感も理解もできなかったんだけどな…』

それでも——最期の最後の、その瞬間。
彼は、優しく穏やかに微笑んでみせた。
その心中に、今更ながらに思いを馳せる。







俺が今、井上のために出来る最善のこと。
かけるべき、言葉。

それは——。





「来年はまた、小野瀬川で花火を観ようね!」
「………そんなふうに、自分を縛るなよ」

え?——と。
小さな呟きと共に大きく見開かれた薄茶の瞳が、俺を返り見る。
その、瞳の中の小さな俺が、ちゃんと微笑んでいることに先ずは安堵して。
次に、まるでちいさな子供に言い聞かせるときのように、俺はゆっくりと言葉を紡いだ。

「春になって……その時にもし、この街での暮らしの方が自分に合ってるって感じたなら、無理して空座に戻ってくる必要、無ぇんだからな……?」
「くろさき、く……」

凍りついたように顔をこわばらせていた井上は、やがてのろのろと、自分の足元へと視線を落とした。
そのまま、数秒。
次に彼女が顔を上げたときには、いつもと変わらぬ微笑みがその目元に、口元に刻まれていて。

わかった——と。
至極小さな声で呟かれた返事が、火薬の匂いの混じる夜風に乗って、俺の耳に届いた。

















続く
カテゴリ: 小話

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