12/09の日記

20:13
竜パラ番外
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仮祝言の宴から一ヶ月半くらい。
時期的に、ちょうど今頃の日常のひとコマ。


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入室の可否を問う声に、思わず眉根を寄せた。
織姫様の勉強を妨げられるのは嫌だったが、声の主は若君だ。お通ししないわけにはいかない。

「すまない、鈴。邪魔をして——」
「邪魔とお分かりでしたら、最初から遠慮してくださいましな」

ぐっ、と息を詰める若君。
織姫様はちらちらと若君の方へ視線を走らせながら、私の様子を前髪の隙間から伺っている。
ため息を吐きながら織姫様に目配せすると、それはそれは嬉しそうに顔を輝かせて席を立ち、若君の元へと駆け寄っていかれた。
途端に、若君の顔にも柔らかな笑みが浮かぶ。
真咲様が亡くなられてからというもの、眉間に皺を寄せた仏頂面ばかり見ていた私たち旧友にとっては、安堵と嬉しさと、ほんの僅かな悔しさとが心に入り混じる瞬間だ。

「お帰りなさいませ。今日は随分とお早いのですね!」
「ああ、思いのほか交渉がすんなり進んで」
「それは、ようございました」
「それで…ちょっと足を延ばしたら、運良く手に入ったものだから……」
「まぁ…!」

若君が織姫様に差し出したのは、最近城下で流行っている焼き菓子だった。
材料と手間の問題で、1日に作れる量に限りがあるとかで、入手が極めて困難なのだと女官たちの間でも噂の商品だ。

「まだ、温かい……」
「ちょうど、焼き上がったばかりだったんだ。
それで、供をしてくれた者たちには申し訳なかったけど、斬月と先に帰らせてもらって」
「……まさか、跳ばれたのですか?」
「え、と……」
「跳ばれたのですね?」
「………」

跳ぶ、というのは竜の特殊能力のこと。
空間を歪ませて、長距離をわずか数瞬で移動してしまうのだ。
ただ、竜は何の痛手も受けないけれど、乗り手である人間は体を捩じ切られるような痛みを感じるなど、それなりに負荷がかかる。
加えて、万が一にも歪みの中に落ちるようなことがあれば、生還は絶望的と聞いていた。

「お気持ちはとても嬉しいですけど…あまり無茶をなさらないでください。
お仕事でやむなくというのでしたら、ともかく…」
「無茶というほどのことは、していない。特に今日は、瞬きひとつにも満たぬ時間での移動距離だし」
「ですが…!」
「織姫様、もうその辺で。
過ぎたことをあれこれ申しあげたところで、今更どうにもなりませぬ。
なれば折角の一護様のお心遣い、無駄にならぬようにいたしませんか?
急ぎ、お茶の準備をさせますので」

無礼を承知で、口を挟む。
ついでに、あからさまにホッとした様子をみせた若君に、今後に向けて反省はしっかりするよう釘を刺した。
途端に、苦い薬を口に含んだように歪む顔。
一心様の代理を、側近たちの思っていた以上に立派にこなしておられる有能さとは裏腹に、変なところで幼さの残るお方だ。
まぁ、そこが親しみの持てる魅力的な一面でもあるのだけれど。

「一護様、この後のご予定は?」
「特にない」
「では織姫様、予定していた範囲より先に進みましたし、少し早いですが今日はここまでにいたしましょう。
一護様と一緒にお菓子を召し上がりながら、ゆっくりお話でもなさっては?」
「え……よろしいのですか?」

戸惑いつつも、織姫様の頬はほんのりと紅潮し、喜びを隠しきれないご様子。
若君を見上げて微笑む姿は、女の私の目から見ても殊の外愛らしい。

「そう言えば、竜貴はどうした?」
「夜一様と道場に」
「そうか…では鈴、これを持って行ってくれ。
夜一殿の分は勿論だが、竜貴や真花たちの分もある。其方の分も、な」
「わかりました。では、皆でありがたく頂戴いたします。
姫様方には、よろしいので?」
「遊子と夏梨の分は、先ほど厨房に預けた。今頃は茶と共に、部屋に届いているだろう」
「左様にございますか」
「ただ…流石に啓吾たちの分までは、な。
買い占めに近い量になってしまいそうだったので、今回は諦めたんだ。
もし彼奴が拗ねてうるさく騒ぐようなら、近々取り寄せる手筈は整えてきたと伝えてくれ。他の者たちにも…一度には無理でも、順に皆に行き渡るように手配をするから——と」
「承知いたしました」

確かに啓吾君は「女子ばかりいいなー、ずるいなー」とか何とか、ぎゃあぎゃあ喚きそうだわ…と、心中密かに肩を竦める。

「では、私はこれで失礼致します」

片腕に教本と教材を抱え、もう片方の手に菓子の入った箱を下げて一礼すれば、有難くも若君が扉を開いてくださった。
織姫様もその隣に並び立ち、今日の授業に対する礼と、明日もよろしくとの言葉をかけてくださる。
そのお顔に浮かぶのは、つくりものではない本心からの笑顔。
不敬かもと思いつつも、臣下としてではなく、可愛い教え子に対する愛しさ故に、口元を綻ばせてしまう。

教師役を依頼された当初こそ、期間限定とは言え政の場から外されることを不満に思っていたけれど、今は大いにやり甲斐を感じていた。
たつきや雨竜君には少し厳しすぎるのではないかと苦言を呈されるし、自分でもその自覚はあるが、織姫様はめげず腐らず、一生懸命ついてきてくださる。 
しかも元より貴族の娘並みの教養や知識、礼儀作法を身につけておられた上に、飲み込みも早い。
この調子ならきっと、正式な婚儀を迎えられる頃には、奥向きだけでなく政に於いても、若君の良き相談相手、片腕となられるに違いない——ついそんな期待を抱いてしまい、私も幾分過剰に熱が入ってしまうのだ。

廊下に出たところで、もう一度深く頭を下げる。
同時に、ゆっくりと閉まり出す扉。
もうそろそろ良いか…と顔を上げたとき、戸の隙間から、若君が織姫様の肩を引き寄せるのが見えて。
完全に扉が閉まり切るまでの、僅か1秒か2秒を待てなかったのかしら…と、思わず苦笑を漏らす。

「でも…多分、きっと良いことなんだわ」

真咲様が亡くなられてからの若君は、竜騎士としての使命感や、領主の長子としての義務感や責任感だけで生きていらして、御自身の人生やお命に対する関心や執着は、甚だ薄かったように思う。
それが、織姫様のために製菓店に足を踏み入れてみたり、竜を跳ばしてみたり……。
随分と、お変わりになられたものだ。

「とりあえず、お茶をお届けした後は、余程の緊急事態でない限り、この区画には足を踏み入れないよう皆に伝えた方がいいわね」

このところ若君も領主代行でお忙しく、織姫様と過ごす時間をあまりお取りになれなかった。
このあとの時間はできるだけ、二人水入らずで過ごさせて差し上げよう——そんなことを考えながら踵を返し、廊下を足取り軽く歩き出した。















カテゴリ: 小話

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