10/14の日記

00:19
リクエスト「初デート」ネタB 完結
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「ごめんな、こんな遅い時間になっちまって……」

俺の言葉に、井上がゆっくりと首を横に振る。
その顔に浮かぶ表情の穏やかさに安堵の息を吐きながらも、湧き上がる寂しさを持て余して、ふと目にとまった足元の小石を蹴り上げた。
街灯の灯りの届かぬ闇の向こうから、小石がアスファルトを転げていく音が響く。

「遊子ちゃん…まさか泣いちゃうとは思わなかったな」
「そうだな。相当に悄げるだろうことは、想定してたけど」

夕食に井上を誘うよう家族からメッセージが届いたのは、神楽が始まる少し前だった。
断ってくれて構わないと言う俺に、その時も井上は笑顔で首を横にした。

「友達としては、何も変わらない。
黒崎君のお家にも、これまで通りお伺いして構わない——そう言ってくれたのは、黒崎君でしょう?」
「そうだけど、さ」
「なら、むしろ今日のうちに、きちんと事情を話した方が良いと思うの」
「そうか……」

俺と井上が付き合い始めたことは、良くも悪くも早々に、家族の知るところとなっていた。
それこそ、既に婚約でも成立したかのような、こちらが引き気味になるほどの喜びようで——。
だからこそ井上は、下手に隠し立てするべきでは無いし、自分が言い出したことを俺の口を通して伝えることは、俺の家族に対して不誠実であると考えたのだろう。

かくて。
皆で楽しく夕食を囲んだその後で、俺たちは二人並んで、三人に対して頭を下げたのだ。

「夏梨に鬼の形相で睨まれたのは、まぁ予想通りだったけど……親父が何も言わずにただ苦笑いしてたのは、意外だったな」

それこそ、家族で一番ぎゃあぎゃあ喚くかと思っていたから、ちょっとどころでなく拍子抜けしてしまった。
ただ——井上と夏梨が遊子を宥め、俺が食器を洗っている間、親父は結構長いこと、無言でお袋の遺影を眺めていた。
本当は死神で、でも死神の力自体は失って、義骸に入って人間社会に紛れざるを得なかった親父と、人間で、滅却師の血を濃く引き継ぐお袋と。
その二人が結婚に至るまでには、相当の葛藤やら何やらが山盛りてんこ盛りにあったに違いなくて。
故に親父は、井上が囚われてしまった不安も、それを払拭してやれない今の俺の不甲斐なさも、全て理解して、呑み込んでくれたのだろう。

「明後日……必ず来てくれな?」
「うん!」

4月に入ったら、イースター向け商品を期間限定で販売するから、その試作品を食べて感想を聞かせて欲しい——と。
明後日また、勤務終了後に俺の家を訪問するからという井上の申し出に、その日の夜も俺たちと共に食卓を囲むことを条件に加えて、ようやく遊子は涙を拭ったのだった。

「俺も、なるべく早く帰宅するようにするから」
「ありがとう。でも、無理はしないで。
あくまでも、就職活動や卒論の準備を優先してね?
そうでないと、お付き合い保留にした意味が無くなっちゃうから」
「ああ、わかってるよ」

少しだけ、繋いだ手の力を強くする。
声を立てずに、井上が笑った。
笑って、くれた。
——気がついていない、はずが無いのに。
俺がわざと、井上のマンションまで遠回りになる道を、たった今、選んだことを……。




それでも、どうしたって終わりは来る。
ついに辿り着いた、マンションの裏手。
小さな公園内を横切りながら、いつしか二人、どちらともなく足を止めていた。

井上の顔に視線を落とせば、今にも泣き出しそうな顔で、懸命に笑みを浮かべようとする。
たまらず、繋いでいた手を引き、もう片方の腕で細い肢体を抱き込んだ。

初めての、抱擁。
それが、こんなにも切なく苦しいものになるなんて——告白した日には、想像もしていなかったけれど。

「……ごめんね、黒崎くん」

震える声に、より一層抱きしめる力を強くする。
髪に頬擦りし、次にこめかみ辺りに柔く唇を押し当てれば、井上がふう…と、大きく息を吐き出した。
俺の背に回った手が、縋るように上着を掴む。

「ねぇ、黒崎君……まだ、今日だよ。あと2時間は、私は黒崎君の彼女、だよ?」
「いのうえ——?!」

小さいながらも、
どこか覚悟を決めた響きを持つ声に、思わず閉じていた目を見開いた。
腕を少し緩めれば、熱を孕んで潤んだ瞳が、真っ直ぐに俺を見上げてくる。

「まだ、今日だから…だから——!」

その言葉の裏にある意味に気付くと同時に、急速に乾いていく喉。
ごくり——と音を立てて唾を飲み下し、喘ぐようにひと息吐いて。
莫迦みたいに震える腕をゆっくりと持ち上げ、両手で井上の頬を包み込めば、薄茶の瞳が静かに閉じられた。



そして———。



「いだっ、いだだだだだ、いだいっ、いだいよ、ふろひゃひふんっ!!」
「井上が変な煽りかましてくるからだろうが! この、ど阿呆!!」

怒鳴りつけながら、頬を捻り上げていた指を離した。
涙目で口元をさする井上を見下ろしながら、深く深くため息を吐く。

嬉しくなかったわけじゃ、無い。
このまま流されてしまえたなら、どんなにか——とも思う。
だけど。
大切、だから。
この世の誰よりも、大切に護りたいひと、だから——。

「自分を安売りするんじゃねぇよ!
例えそれが、俺相手であったとしても——だ」
「でも——私の希望ばかり呑んでもらって、なのに私は、何も返せなくて……っ!」
「だからって、このタイミングで変な気を遣うな、莫ぁ迦!」

もう一度、井上の頬に優しく手を添える。
おそらく痛み由来ではない涙が眦から溢れて頬を伝い、俺の指を濡らした。

「安心しろ。
何度も言うが、付き合いを保留にすることを恨みに思ったりしねぇし、この先、俺が心変わりすることも、絶対に無ぇから…さ。
身を差し出すような真似、すんなよ。
それって——結局は俺を信じてねぇってことになるんだぞ?」
「くろ、さ……」

ひぐ、と一度大きくしゃくりあげた井上が、これ以上泣くまいとしてか、きゅっと強く口を引き結ぶ。
その、頑是ない幼い子供のような仕草と表情が愛しくて、ふ……と小さく笑みが溢れた。
そして、ちょっとした悪戯心がむくりと頭を擡げ出す。

「まぁ——その代わり、さ」

にぃ、と口の端を釣り上げて。
頬に当てた手はそのままに、親指の腹でそっと唇を撫で擦れば、華奢な肩が派手に跳ね上がった。

「ここは、一年後の俺に……な?」
「え——」
「ご褒美ってことで」
「う、うん…?!」
「そん時は、さ。それこそ…遠慮とか色々、いろっいろと無理だと思うんで——覚悟決めといて」
「…っ、?!」

さして明るくもない街灯の下でさえ、そうとわかるほど。
みるみるうちに、井上の顔が紅く染まった。













ぽぼん……と。
晴れた空に、軽やかに響く花火の音。

「今年もよく晴れたねぇ…!」
「ああ」

俺の、隣。
お日様を見上げて目を細める井上が、うきうきとした足取りで神社へと向かう道を進んでいく。

「また、あの目玉焼きの乗った焼きそば屋さん、来てるかな?」
「さぁて、な」

今年も、食べ物の屋台の制覇はできるかしら——その呟きに、思わず吹き出す。
軽く横目に俺を睨んだあと、今度はパチンと音がしそうな勢いで、井上が破顔した。
その屈託のない笑顔の眩しさに、今度は俺が目を細める。

今日は、初午祭。
俺と井上の、2度目の『初デート』だ。

「やや?! カマンベールフライの屋台、発見! その隣のお店は、きっと牛串ですぞ!!
あ……と、ちょっと待って!」

立ち止まった井上が、カバンの中から携帯を取り出した。
どうやら妹たちと組んでいるグループチャットに、夏梨からの書き込みがあったらしい。

「また、夕飯にお呼ばれしちゃった! ベビーカステラと大判焼き、手土産に買って行こうかしら」
「ああ、喜ぶんじゃね?」
「わわ、さつまいもスティックのお店も来てる! やったぁ!!
黒崎君、早く早く!! 先ずはお詣りしないと!!!」
「わかった! わかったから、少し落ち着け!!」

はしゃぐ井上、その無邪気な様子に、目元と口元と眉間皺を緩めつつも。
内心密やかに、落胆のため息を吐く。

「こりゃ今夜も、そろそろご褒美欲しいんですけど——とは、言い出せそうにねぇなぁ……」
「え? 黒崎君、何か言った?」
「別に。独り言だから気にすんな」
「えー、そんなこと言われたら、余計に気になるよぅ」

ぷう…と。
リスやハムスターのように、井上が頬を膨らませる。
そんな幼さの残る仕草なんて目にしたら、邪な気持ちなんて吹っ飛んじまう…なんてことはねぇんだけど、まぁ、そんなに急ぐこともないかな——と、かなりのんびりした気分になるのは本当のことだ。

「井上が幸せそうで、何よりだな——と、思ってさ」

苦笑混じりに、そう伝えれば。
ぱちり…とひとつ瞬きをしたのち、それこそ今日の空のように、晴れやかに井上が笑った。

「あったりまえだよ! だって、黒崎君と一緒なんだもの!!」












ぽぽん、ぽぽぽぽん……と。
再び頭上で、花火が鳴り響いた。









 
カテゴリ: 小話

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