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□始戦雨日
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「俺は敢えて君にこう挨拶するよ。……おかえり」
相変わらず、兄の言葉ひとつひとつは歪みきっていた。
私は案の定、正臣に『男だけで話があんだよ♪』と言われ遠回しの退室を命じられた。
しかし隣の部屋なだけあり、会話は耳をすませば全て聞こえてくる。
「まぁ、何を聞きたいかは分かってるよ。電話で答えてあげてもよかったんだけど、そんな軽い話じゃなさそうだったしねぇ」
「…………」
多分、正臣はお兄ちゃんのペースに飲まれないようにしているのだろう。
ぐっと押し黙り、聞きたい事を聞くタイミングを伺っている。
「君の友達が斬られたんだっけ?えぇっと…名前は確か、園原杏里ちゃんだっけか?黄巾賊の子も何人かやられたみたいだけど、君にとってはその女の子のほうが重要みたいだね」
お兄ちゃんは相手の奥底にあるものを伺う時が……少し怖い。
笑っているのに笑ってなくて、悲しみを極上の喜びに変えてしまう。
正臣もそれが分かっているのか、一切の無駄口は叩かない。
そんな正臣にお兄ちゃんはまるでゲームを楽しむ子供のように問う。
「もしかして、沙樹ちゃんと印象がダブっちゃったのかな?」
「やめて下さい」
沙樹。
確か正臣の元カノだ。
私はあまり詳しく正臣の過去を知るわけではないが、何が起きたかは知っている。
今でも正臣は……きっと深い傷を背負ってる。
それが悲しくてならなかった。
自分と同じような気がして……。
それからも話は続く。
私が聞き耳を立てているとも知らずに。
「君はこうも思っているんじゃないかな?『自分は確かに沙樹の事が好きだった筈だ。だけど、恐くて彼女を助けに走ることが出来なかった…』」
兄は淡々と続ける。
淡々と………淡々と。
まるで感情のないロボットのように。
「『自分は自分が思っているほどに彼女のことが好きじゃなかったんじゃないか?自分の愛は偽りだったのではないか?ただ性欲のようなものだったのか?彼女の身体が目当てだったのだろうか?』ってね」
口調は明らかに楽しんでいた。
心底どうでもいいと思っているのに、心底この事件に関わることを楽しいと思っている……そんな感じだ。
「そしてそれは、自分で悩むうちに、むしろそうであって欲しいという願望に変わった。ならば、本当に好きな子の為なら、自分は命を賭けて戦える筈だ………その為の試金石なんだろう?園原杏里は」
聞き耳を立てているのはどうやら私だけではなく、別室で仕事をしていた波江もだった。
先程までカタカタとパソコンが流れるように音を立てていたのに、時々止まるのだ。
正臣はなんて返すのだろう。
私は何故か苦しくなる胸を押さえ、隣の部屋の声を待つ。
「……臨也さんがそう思ってるならそれでいいっすよ。………それでも俺はやりとげたいだけなんです」
正臣の口調は酷く冷静だった。
同じ状況下に置かれたら私なら耐えられず泣いてしまうだろう。
「何をかな?切り裂き魔への復讐?それともダラーズの壊滅?」
「臨也さんの答え次第じゃ、両方になります」
「いい覚悟だね」
その言葉に満足げに微笑み、両手をパンッと合わせる。
どうやら……ここから本題に入るようだ。
「君が前に進むためだ。だから俺は喜んで君に事実にして真実、そしてどうしよもない現実というものを教え込んであげよう。本来ならこの三つは異なる存在だが、時には同じになるといういい例だ」
「……?」
正臣が黙り込んだ。
それは先程の『何も言わない為の沈黙』ではなく、『何も言えない沈黙』に変わっていた。
ついに知ってしまう真実。
名無は聞き耳を立てるのを止めた。
自室を出、家からも出た。
((正臣……どう思うんだろう…))
雨が少し降る中、傘を差して街を歩く。
表情は今日の天気のようにどんよりしていた。
…始まるのは戦いか、和解か、絶交か。
今日1日は、誰もが何かの為に戦う日。
そして……事件は起こるのだ。