α

□死因
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冷たい。…ううん、生温い…。

思ったよりあたしの体温に近いのかもしれない。

あたしが冷たくなってるのかもしれない。

一体化してく。大きいものに呑み込まれてく。

あたしが溶けてあたしじゃなくなって、何かの一部になって、それは安らぎかな。

人間として貪欲に生きてきたあたしには分からないや。

なにこれ。消失?こわいしさみしい。なのに涙すら、泣いてる感覚すら、うばわれてくの。

さよなら、かな。あたしの生きた世界。

音が遠いよ。物もはっきり見えない。落ちてく。ゆっくり、ゆっくり…。



ねぇ、あたし、今なら誰にでも優しくなれる気がする。

不思議。今はこの世界が愛しく思えるよ。

あたしの輪郭が薄くなってく。存在が水に溶けてく。

最後に吐いた少しの空気が丸い塊になって昇っていく。

…綺麗。あたしもそうなれたら良かったのに。

おんなじくらいの速度であたしは沈んで空気は昇る。

もう藻掻けないや。どうしようもなくて、ちいさく笑った。



下降しながら何度か長い瞬きを繰り返した。

頭の奥がぼんやりとして、何も出来ない。身体が上手く動かない。

何か、何か黒い影が見える気がする。

目を閉じて開く度に、少しずつ近くなっていく。

ああでも、もう目を開けていられない。

目蓋に力が入らない、の…。



食べられるんだと思った。

弱肉強食。自然の掟。

せめて死んでからが良かった。

噛み砕かれたらこんな死にかけの体でも痛いんだろうな。

ああ、でも、その方が。

せめて最期くらい、何かの糧になれるなら。

ティキ、貴方の為には何も出来なかったから…。

いつかどこかの誰かと幸せになってくれればいいと願う。

あたしのことなんてさっさと記憶から追い出してしまって構わないから…。

こんなあたしでも、貴方のことだけは確かに愛してたよ。

涙が一粒、海水に浮かんですぐに溶けた、気がした。






溺死

(肌に触れたのは冷たい牙でなく、力強い腕と人肌の温もりだった)


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