短編小説

□短々編集
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擦れ違う。行き違う。

鏡の中のあたし。無表情。

体温はとても心地よい。

目を閉じて今を委ねる。

ただ少しだけ、気掛かり。

あたしは彼を傷付けたのか。





優柔不断。前後不覚。

殺伐としては取り乱し。

感じるのは罪悪感。

それでも優しさには弱い。


「…今のあたしでいいの?」

「構わないさ」

「慰められたいだけだよ。愛や恋じゃないよ」

「いいんだ。最初はそれでも、いつか俺に惚れさせてみせる」


あんな奴のことなんか、忘れさせてやるよ。

そう言って施されるのは、記憶を上書きする口付け。

あたしはそれを拒まないで受け入れる。

頭の奥で、ひとつの声。

‘そういうの、良くないよ…’

煩いな。黙ってよ、偽善者。

あたしを追いやったのは貴女でしょう…?





綺麗な瞳。黒の癖髪。

あたしを想ってくれる優しい人。だけれど。

所詮、代理品。だから。

「ごめんね、ティキ」

空いた穴を埋めたいだけ。



「俺はお前を愛してるから」

言い聞かせる声。切なげ。

こんな人を利用するなんて。

あたし、最低な女。


「お前は追うより追われる方が似合うよ」

ティキだって、普通なら追われる側。

あたしなんかを追っても、苦しいだけなのに。

「あたし、ティキを好きになってたら良かった」

そんなことを言っても傷を抉るだけ、だけど。

紛れもない本音、だったから。



揺れる。揺れてる、思想。

あたしはティキに甘えてる。

髪を梳く、名前を呼ぶ、指の、声の、優しさ。

想いに応えられる自信も無いくせに、手放したくない。





「ティキに、酔わせて」

上目遣い。甘ったるい声。

頭の中。混沌として。

「お前がそれでいいなら」

整理できない。ぐちゃぐちゃ。

だから、今だけ全部忘れたい。

「夢中にさせて」

罪悪感も、背徳感も、痛みも、悲しさも。

あたしが誰を愛しているのか、すら。

「俺の存在を刻み込んでやるよ」

もう一度、酷く淫らな口付けを。






惑溺ハニーの逃避論

(流した涙は誰がために)


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