短編小説

□短々編集
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出会ったときの彼と、今目の前にいる彼は、確かに同一人物だ。
それでも、ふと、彼はいつからこんな顔をするようになったのだろうか、と思うときがある。

彼の部屋の見慣れた天井を見ながら、触れるか触れないかの距離に寝転ぶ彼の体温の気配を感じながら、自分の中の記憶を辿っていく。
彼と会うために買った新しい服は綺麗な色で、形で、とてもよくできているのに、私に、そして彼に、馴染まないで浮いている。

私が彼に好きだと伝えたとき。
驚いた様子こそあったが、すぐに余裕のあるいつもの笑い方をして、容易く私の髪に触れて頭を撫でた。
思い詰めて思い詰めて、仲間にもたくさん相談して、言うしかなくなった想いを彼が掬ってくれた日のことを、私は年老いて死ぬ間際に思い出すかもしれない。
それほど幸福で、鮮烈で、世界が苦しいくらい輝いていた記憶。

そうして恋人という関係になってから。
彼は何度も私にキスをしたし、まるでそうしない理由がないかのようによく私を抱いた。
私もそれを当然のように受け入れ、受け取っていた。
ずっとずっと、またあした、またあした、と二人で屈託なく遊んでいるような、そんな日々だった。
どこにでもある、恋人同士のそれ。
でも思えば、私と彼は、今よりずっと遠くにいた。

いつからか、はっきりと分かる訳じゃない。
彼は私に口付けなくなった。体を重ねることも躊躇する。
私が甘えたり、はしたなくせがんだとしても、彼はなんとも情けない顔をするだけだ。
前より幾段も透き通ったように見える目が、心許なさそうにじっと私を見つめて、何かを訴えかけようとして、言葉にできないまま止まっている。
どこにいけばいいのかわからない、迷子になってしまったような彼に、私は違和感や静かな痛みを無視して腕を伸ばし、「まあここにいればいいんじゃない」って、心の中で呟く。
彼は私に抱き締められたまま分かるか分からないかくらい微かに息を吐いて、顔をあげないまま、そのうち静かに眠りに落ちていく。
私も大きく静かに息を吐いて、自分の瞳から流れていく涙の意味を考えようとして、放棄する。
時間をかけて深く関わって、今じゃもう、私と彼はもしかしたら体のどこかを共有してしまったのかもしれないくらい、近くて、離れるとしたら自分の一部を剥がすようなものだろう。

これは私には当たり前のことだけど、彼が違う人のようになってしまってからも、私は彼のことが変わらずに好きだ。
彼は私を、以前のように恋しく思っているのだろうか。
そうした不安がよぎれば寂しくて、彼の閉じたままの唇から、何か答えを引きずり出したい気持ちになる。
でも彼の、均整の取れた綺麗な体にふさわしいだけの重さと温度を感じながら、いとおしさが蓋をするから、途方にくれたまま私も眠ってしまう。
そんな、それだけの日々だ。続いていく先がない。

終着駅はすぐそこ
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