TRIGUN(NV)

□水底の唄 第1話
2ページ/12ページ

##NAME2##

 巨大なクレーンに吊り上げられたプラントの下で、ヴァッシュは地面に横たわりながら、強化ガラス越しに見える月をぼんやりと眺めていた。
 直径25mの球面に月光が反射し、辺りは昼のように明るい。そして、球面越しに見える夜空は、内部の不活性ガスと光の反射角の為に群青色に煙って見える。
 草の上に寝転びながら空を見上げ、鼻孔を擽る緑の芳香を胸一杯に吸い込む。その心地よさに、ヴァッシュは満面に笑みを浮かべた。
 この満たされた気持ちを、皆にも味合わせて上げたい…。
 数多くの知人の顔を思い出し、次の瞬間、ヴァッシュの顔から笑みが消えた。
 周囲に広がる緑の園も、濃い緑の香りも、今を苦しむ人間達の救いにはならない。
 テラフォーミングの実態は連邦政府のトップシークレットである。連邦の軍隊によりこの地へと続く周辺の道路は完全に封鎖され、一般人の立ち入りは禁じられている。もしも、この情報が公開されれば、数多くの難民がこの地を目指すだろう。それだけならば良い。だが、生活力の皆無な緑を育てる為に、数多くのプラントを稼働させている事実を民衆が知ったならば、政府への信頼は必ずや失墜する。一基のプラントは数千人の人間を生かす能力を持つのだ。ここにあるプラントを生産用にプログラミングし直せば、乾いて死に行く数多くの人間たちを死の刃から守れるのだ。この星に於ける緑とは、富の象徴であり、所有は最高の贅沢である。飢えと乾きに苦しむ人間に必要なのは、水と食料だ。現に、緑の有る意識と存続は、必ずしも重要ではない。
 大墜落によって多くの人命と共に機材と技術者とプラントを失い、残された機械も時間と共に失われた。文明が大きく後退した彼らは、プラントに依存することでしか生きられず、そのプラントも絶対数が足りない。苛酷な状況下で生き抜く術は、他人の物資を奪う以外には無いのだ。
 数少ない物資を巡って、他人を傷つけ殺し合い、憎しみが憎しみを生み出す地獄絵図を、ヴァッシュの目は長い間見続けて来た。彼らの凶行が直接自分へと及び、肉体を傷つけ、心を踏みにじられたことも幾度も有る。だが、ヴァッシュの憎悪は人間へは向かわなかった。
 何故なら、それら人間の地獄絵図をこの世に誕生させたそもそもの元凶は、己の唯一の同胞・ナイブズだからだ。
 ナイブズ。
 彼こそは、数億人の人類を火刑に処した、史上最大の殺戮者だ。大墜落の後も生き残った人間全てを消滅せんと望み、その能力を持つ者でもある。
 今も尚、彼は人類の最大の敵であり、最大の脅威なのだ。
 ヴァッシュは随分と長い間、ナイブズを憎み続けた。母であり姉であり、最愛の女性であったレム・セイブレムは、ナイブズが殺したも同然だからだ。死の直前、彼女は生命と引き換えに数多くの人間の生命を救った。だからこそ、ヴァッシュは人間を守ると決意した。
 だが、ヴァッシュはナイブズよりも一層深く、己自身をも憎んだ。
 幼少時代からずっと、ナイブズの最も近くに在って、彼の中に人間への反目が育って行く様に気づいていた。だが、ヴァッシュは何も行動しなかった。ナイブズが投げかける人間への憤懣や疑念を耳にしても、戸惑いながらただ諌めるだけだった。ナイブズの言葉や態度に込められたメッセージを、真正面から受け止めようとはしなかったのだ。だからこそナイブズは追い詰められ、一人で決断し、大罪を犯してしまったのだ。
 この星に初めて降り立ってからも暫くは、ヴァッシュはナイブズと共に生きていった。ナイブズにこれ以上の罪の重ねさせない為には、常に傍らに在り続ける事が最上の方法と思ったからだ。だが、ナイブズは自分の大罪を悔いる事は全く無く、人間の絶滅こそが最良の法であると断言し続けた。
 苦痛と悲哀に満ち満ちた年月。ナイブズの傍らに在って、ヴァッシュは数多くの嘆きを知った。幾重もの哀しみを知った。血の滾るような怒りを知った。そして…。
 苦悩を浮かべるヴァッシュの面を、柔らかな光が照らした。冷たい月光とは異なる、温かな光。頭上を見上げると、そこには天使形を顕したプラントが自分を見下ろしていた。
「ごめん…。不安にさせたかな?」
 苦笑しながら体を起こし、ヴァッシュは腕を伸ばしてガラス面に触れた。それが刺激になったのか、濃密なガス体の中で彼女の体は更に発光し、辺りは真昼のように明るくなった。
「…幸せかい?ここでのんびりと緑を育てているのは…?」
 プラントは答えず、ただ柔らかな笑みを浮かべるだけだ。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ