TRIGUN(NV)

□水底の唄 第2話
1ページ/9ページ

##NAME1##

 あの子は、羊水の中で、どんな未来を夢見ていたのだろうか…?
 湖底に身を沈め、風に揺れる水面の向こうに広がる青空を見上げる。ここは、一人でいられる唯一の空間だ。いつも自分たちの動向に目を配っているプラント教団も、常に自分から目を放そうとしないナイブズも、ここまでは来ない。湖水の中で、ヴァッシュは全きの一人だった。
 研究所でナイブズと話した時からずっと、ヴァッシュは胸中の痛みを扱いかねていた。鋭いキリで突き刺されるようなその痛みは、ナイブズの抱擁でも癒されず、ナイブズの立てる寝息の音を聞きながら、そのまま朝を迎えた。その朝、目覚めたばかりのナイヴズにヴァッシュは頼んだ。
 暫くの間、一人でいさせて欲しいと。
 ナイブズは、真っ向から反対した。
『忘れろ。あれは、終わった事だ。お前はあの子の死で、もう充分に苦しんだ』
 だが結局、ナイブズはヴァッシュが望んだ通りに解放した。それ程までに、ヴァッシュの苦悩は大きく、ナイブズの手に余る程だったからだ。
 こうして水の中に漂っていると、羊水の中に眠る胎児の姿と自分が重なり、自然とヴァッシュの閉じた瞼の合わせから水よりも温かい涙が溢れ出した。熱い水滴は湖水の揺らぎに溶け込み、目の奥の熱い痛みだけがただ取り残されて行く。
 自分達が存在した為に多くの人間が命を落とした。それらの死が、全てナイブズに起因している。その罪をヴァッシュは、永遠に自分の咎として背負って行くだろう。だから、今はナイブズの側にはいられなかった。少なくとも、この苦痛を自分の中に封じ込めてしまうまでは。それまでは、ナイヴズに触れられる事すら耐えられないだろう。
 その拒絶はナイヴズを傷つけ、ヴァッシュはナイヴズをも傷つけてしまう自分を一層責めるのだ。
 誰よりも良くヴァッシュを理解しているナイブズが、ヴァッシュのそんな思いに気づかぬ訳が無い。だから説得を諦め、自分を一人にしてくれたのだ。
 ナイブズは、自分の全てを受け入れてくれる。迷い無く変わらぬ愛情を注ぎ続けてくれる。
 だが、自分は違う。いくら、ナイブズを愛していても、自分は彼の全てを受け入れることはできない。ナイブズの犯した罪を許す事が出来ない。存在する限り、ずっと…。
 そうして…、どれだけの時間が流れただろうか。
 頬をくすぐる感触に、ヴァッシュの意識が醒めた。身じろぎして水が揺れると、それもフワフワと動く。目を開いて見ると、それは湖底に生える水草だった。既存の植物の種子を品種改良し、地球の水草と同じ状態に成長させたものだ。プラントは、水底の土をも肥沃化しており、その影響で湖底の水草もまた逞しく成長していた。
 こうして、新たな生命がまた一つこの星に芽生えて行く。ヴァッシュは今日初めて口元を和ませた。
 テラフォーミング。それは、レムを初めとする移民団全員が望んでいた未来だ。その作業が、この地・ジュライで初めて行われる事は、一瞬にして暗黒に飲み込まれて行った人々全てにヴァッシュが捧げる鎮魂であった。そして、新たなプラントの創造は、これから生まれて来る子供たちに送る未来の創造であった。
 胎児のように、水に抱き止められながら癒されるのは快い。だが、ここに閉じこもっていても、何も成し遂げられない。ナイブズの言う通り、苦痛に打ちひしがれ永久に蹲ったままでいるのは、一番愚かな選択だった。
 百五十年前、ナイブズと別れてからずっと、自分の周りに付きまとっていたのは、常に破壊と絶望だった。だがナイブズとの和解により、自分は素晴らしい創造と希望の場に導かれる事が出来た。少なくとも、今自分は、明らかに世界にプラスになっている。
 自分は、生み出したい。あらゆる生命を、多くの希望を。そのためにこの世に在りたい。
 だからこそ、ここに留まり続けてはいけない。こんな自分は、ナイヴズに抗する術も無く『人間台風』となってさ迷っていたあの自分と何ら変わっていない。
 目頭を両掌で覆い、ぎゅっと強く瞼を閉じる。暫くそうする事で痛みを己の中で噛み殺した。辛い行為だったが、再び目を開いた時には体を起こす気力が甦っていた。
 水底を軽く蹴る。その動作だけでヴァッシュのすんなりとした体は、一気に水面目がけて上昇した。きらめく水面を割るように水から顔を出した途端、目映い太陽を真面に見てしまい、一瞬目が眩んだ。
 湖に逃げ込んだのは、太陽が地平線から顔を覗かせたばかりの頃だった。それだけ長く悲しみに浸り続けていたのだ。だが、この行為は自分に必要だった。
 これからも、ナイブズと共に有り続けるためには…。
「この音は…?」
 ヴァッシュは己の耳を疑った。
 ピピピ…。チチチ…。
 高く柔らかく呼びかけるような、その音。否、声だ。鳥の鳴く声だと、ヴァッシュは気づいた。
 声を頼りに姿を探すと、それは直ぐに見つかった。生い茂る葉の中に、青と緑の色鮮やかな生き物が、軽やかなステップを刻んでいる。それも一羽だけではない。名前は咄嗟に思い浮かばないが、体長二十センチの色鮮やかな鳥たちは、群れを作っているらしく、十羽以上が視認出来た。
「ああ…」
 ヴァッシュは感嘆の息を吐いた。
 どこかの家に飼われていた鳥が、住まいを無くし、はるばるここまで飛んで来たのだろう。野生の勘が彼らを救い、この楽園に導いたのだ。
「良かったね…」
 涙ぐみながら微笑んだその時だった。また音がした。
 彼方から聞こえたその音に、ヴァッシュは迅速に反応した。ヴァッシュは湖岸に素早く泳ぎ着き、水を拭う間も無くシャツを羽織った。鳥達も一斉に枝を蹴り、空中に舞い上がる。ヴァッシュは下着を付けながら走りだした。ズボンと靴はその場に放置したままだった。
 大気を震わせるその音を、ヴァッシュが聞き間違える筈が無い。下界では、己は常にその音と共に在ったのだ。今響き渡るこの音は、点火された火薬によって銃弾が射出される音に他ならない。
 銃声は続いた。初めの音は威嚇射撃だったらしいが、それに続くようにして連続した射出音がタタタ…と軽やかに響く。マシンガンライフルが発砲されたのだ。それは、敵が接近している事を表している。
 敵。
 ナイブズの敵。
 それは…。
 樹木の根を飛び越えるように、ヴァッシュは走る。だが、銃声は数百ヤード先、醜く抉られた断崖の向こう側から聞こえていた。ヴァッシュの脚力をもってしても、そこにたどり着くまで、何分掛かるか判らなかった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ