この空を見ていると、何だかすべてを忘れられそうな気がすると、神田は思った。
吸い込まれそうなほどに暗く、けれどそこには確かに煌めく星があり、月がある。そんな何処か幻想的なものに自分も溶けて混じり合ってしまえたなら、嫌なことすべてを忘れられそうな気がした。
しかしこうして今、自分たちの目に映る光は、もしかしたらもうずっと以前に潰えているものかもしれないのだと思うと、それは星という生命体の最期の輝きに思え、いつか自分もそうなれたらと、疎まれるばかりだった自分にも、最期のその時に誰かに幸福を与えることが出来たなら、と神田は思った。
「…もう、疲れたな」
ふいに出た言葉は、そんなものだった。何ひとつとして包み隠すこともなく、それは神田の本心からの言葉だった。
その言葉から、今日何があったのかを察したラビは、至極軽い口調で言った。
「疲れたんなら、ちょっと休憩すればいいんさ。ぜーんぶ投げ出して何も考えないで、ただ、眠っちゃえばいいんさ」
「……そう…かもな」
「ユウはさ、難しく考え過ぎなんさ。いっつもそんなに頑張ってたら、もたないさ」
ラビはまるで、神田が今までしてきたことや今考えていることを心得ているかのように、そっと諭すように言った。
不思議なものだ、と思った。ラビと居ると、普段自分が装っている何がしかのものが、まるで意味を成さない虚飾に感じる。実際、それは限りなく虚飾に近いものなのだろうが、それでも、少なくとも周りの人間たちには通用するくらいのものだった。
それがこの男の前となると、脆くも崩れ去ってしまうのだ。
けれどそれは、決して不快なことではなかった。寧ろどこか、安堵感のようなものを感じている自分に、神田は薄々気付きはじめていた。
出逢ったばかりの頃は、遠慮もなにもなくずかずかと己の領域に踏み込んでくる相手に、苛立ちや焦燥を感じたこともあった。しかし、決して長いとは言えない時間ではあるが、共に過ごした二年間で、神田はそれを享受することに成功した。
周りの人間たちより一歩深く踏み込んだ関係は、神田にとって何かが満たされるような心地がした。
この男の前では、少しくらいの弱さを見せてもいいのだと、少しくらいの我が儘を言ってもいいのだという事実が、神田には有り難かった。
いくら自分のことを理解し支えてくれているとはいえ、女であるリナリーに頼り続けるわけにもいかないため、ラビの存在は今の神田にとっては大きなものとなっていた。
「お前が女なら……いや、オレが女ならよかったのか?」
「?…どーしてさ??」
「……いや、別に。言ってみただけだ」
「………」
「だったら、オレの彼女になればいいさ」
暫しの逡巡のあとに聞こえてきた言葉は、神田を混乱させるには充分だった。
「…は?」
「だーかーらー、オレの彼女になっちゃえばいいんさ!」
「誰が?」
「ユウが
」
「……お前、オレの性別知ってるか?」
「あったり前さぁ!」
「…だったら自分の性別を知らないのか?」
そう言ってやれば、何言ってるんさ、知らない訳ないだろうなどと呆れてみせるラビだったが、呆れたいのはこっちの方だと神田は思った。