短編
□『ダークネス』
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5.邪悪
「…何ですかこの臭いは」
鉄っぽい臭い。血の臭いだ。
部屋中に充満したそれは窓を開けたぐらいでは消えそうにない。私は無駄だと知りながらもとりあえず窓を開けました。
彼の鼻はすでに麻痺しているのでしょうか。
そうでなければこの臭いの中、平然とワイングラスを傾けてなどいられない。
眉をしかめてそちらを見るも、彼はうっすらと笑みを浮かべたままグラスを差し出します。
「どうしたジズよ。飲まんのか?」
くすんだ黄緑の髪といい頬のペイントといい、彼はいつも奇怪だった。
「…私はそんなものは飲みません」
吸血鬼でもないのに赤い液体を好むのも彼を奇人と呼ぶ要因の一つだ。
呪縛により城から出られない孤高の魔導師。私には彼は魔導師ではなく、魔王かなにかに見えました。
「血を好んではならんか?貴様には猟奇的に映るか?」
くつくつと肩を震わせながらも彼はグラスを口元へ運んだ。
まだ、鼻は慣れない。
「貴方は、純粋に邪悪なように見えますよ」
「ふふ。純粋な邪悪か。理屈っぽいな、貴様らしい」
どうやら機嫌を損ねずに済んだようだ。
彼のグロテスクな趣味に付き合い出したらきりがない。しかし機嫌を損ねたらこちらの命が危うい。
彼との付き合いは、何時だって危険なのだ。
「貴様には理解できんか……お前は私ほど、悪の美学を知らぬようだ」
それだけ言うと彼はグラスから手を離した。
小さな破裂音が耳に付く。また、血の臭いが場を支配する。
「もう此処へは来るな。貴様にもう用はない」
彼はくるりと背を向けて部屋の奥へと姿を消した。
私はしばらく、その見えない背中を見つめていた。
血の臭いは、最後まで消えなかった。
… End
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