Novel

□やさしくありたい
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そんな物は知らない、と叩き付けられた事実を否定して、無様にも滲んでくる視界を余所に膝から崩れ落ちる。吐き気がしたのだ。この場所では吐き出す事もできる筈が無いと言う事は、言うまでも無くわかり切って居るのだけれど。
(そうだ、きっとこれは、悪い夢なんだ)
目が覚めたら全部幻で、いつも通りの世界が続いて、……ああそうだ、そんな訳、ないんだ。

「お前は俺だよ」

何処までも冷たいだけの琥珀色の瞳で繰り返し言い放たれる言葉には同意する気になれない。あう、と自分の物ではないかの様な呻き声が自分の口から聞こえた。そんなのは嘘だと否定したくても自分の声すら聞こえなくて、そのうち考えるのを辞めてしまおうかとも考えた。このままここで消えてしまおうかと。だけどそう思った瞬間に目の前の男が何を思ったのかまるで泣き虫な子供のように顔を歪めたものだから少しばかり驚いてしまって、ぽつり、とひとつ呟いた。「…どうしたんだよ、」「知るか」心配しているのかも分からない適当な言葉にも歪めた表情を僅かに緩めるその姿には少しの笑いさえ込み上げて来そうな気がしたけれど、そんな事はきっと問題ではないのだ。

「……お前は、僕じゃ、ない」

薄く笑いすら浮かべて呟く全否定。それが何を意味するのか位は理解している。この執拗に同一だと主張する自分の中の存在は、切り離された何か別の物でしかないのだと。荒い呼吸の音が聞こえて、泣きそうな顔をして崩れ落ちる彼の姿が目に入る。ああ、彼は本当にただの子供だったのだと、今度こそ理解した。
もしかしたらこれは夢じゃない。証拠はないけれど、ぼんやりとした確信を見つけた。

「死んじまえ」「お前なんか、今すぐ、」

ぽたり、と涙の落ちる音と共に吐き出される言葉に少しの哀れみと表し様の無い愛しさのような何かを感じて、ゆっくりとその大きな子供を抱きしめた。そうだな、君が望むなら、一緒に死ぬ位はできるかもしれない。
もうとっくに何かを吹っ切れてしまった僕は、何時の間にやら手の中にあった拳銃の引き金を引く。ぱぁん、と乾いた音が響いて、彼が消える姿を見た筈の僕が、別の場所でまた目覚めるのはその後の話である。


「所詮僕らは鏡写し」





20120519

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