Novel

□  「     」
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!分裂してる


怒りや悲しみのあまり何も見えなくなった、というのはドラマや小説に良くあるようなただの比喩であり、それを真に受けて本気で主人公の心配をするような純粋さを僕はもう持ち合わせていない。
ただ、それでも目の前で血に濡れて倒れている彼を見て彼の事を心配したりもする辺りは、まだ完全にそういう部分が無くなった訳でもないらしいと、自分でも驚く程冷静にそんな事を考えながら酷い傷を作って足元に倒れている彼を見下ろ
した。

「……ん、だよ」

如何にも苦しそうに息を吐きながら小さい声でそう言った彼は、今まで何度も人を殺してきた人間とは思えない程弱々しくて、今なら自分でも止めを刺せそうだと、いっそのことこのまま殺してしまおうかと少しだけ思って、そのままいつの
まにか手に持っていたナイフを彼に向かって振り上げた(だって、彼を今すぐ殺せ
ば、僕はもう自分と同じ顔が人を殺す所を見ないで済むのだ)。
それなのに、そのナイフは彼の心臓にに突き刺さる前に、からり、とやけに軽い音を立てて僕の手から滑り落ちた。
外した訳では無い。彼には叩き落とす程の力はもう残っていない。それなら、一体何が。
それが誰によってでもなく、ただ僕の手がナイフの柄を離しただけだと気付くのには少しだけ時間がかかった。

「……阿呆が、」

殺そうとしたくせに、泣いてんじゃねえよ。
彼が口を開いて声に出したのはそれだけで、表情を動かす事もしていなかったけれど、何故だか彼が呆れたように笑ったような気がした。勿論それは、ただの気のせい
だったのだが。……どうやら、僕は泣いていたらしい。
それを自覚した途端に涙が止まらなくなって(それは決して温かいものではなかったのだけれど)、血に濡れた彼の服に、珍しく赤くない染みができた。

「……っ、あ、」

話したいのに、上手く言葉が出てこない。彼に言いたいことなんて沢山あるのに、涙のせいでちゃんと声を出せない。

「……フリッピー、」

漸く絞り出した一言は自分の名前で、それでも確かに彼の事を呼んだのだと確信を持って僕は、その名前を呼んだのだ。
それに少しだけ反応した彼は、こちらに目を向けないままでただ上を見て呟く。

「……それは、お前だろ」

違うよ、僕は、君を呼んだんだ。
それはもう言葉にすらならなくて、自分でも嫌になるほど情けない小さな嗚咽しか聞こえてこなかった。
彼が僕の言いたかった事に気付いたのかどうかは分からなかったけれど、その時、少しだけ彼が笑った、気がした。
……それを言ったら、きっと否定されるんだろうけど。
もう冷たくなった彼の頬に触れて、僕も少しだけ笑ってやった。




「さようなら、」











20110820

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