短編

□夢と希望と不安のあの頃
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「リシアース君」

 恒星ヘメラがトーラ山脈に半ば隠れ、同じ方角から衛星ニクスがそろそろ夜の訪れを告げる時刻。オレンジ色の光が厳かな建物とは打って変わって優雅な趣ある中庭に差し込む。
 僕はベンチに本を日除けに眠る彼女…一見すると彼に声を掛けた。

 だが目覚めない。どうしようと戸惑いながらも、彼女の顔に乗る本を手に取り、もう一度声を掛ける。

「リシアース君!」
「ぐふぉっ!?」

 振り下ろした本はリシアース君の顔に的中し、涙目になる彼女を見て申し訳ないなと思う。やっぱり止めとけばよかった。

「…あーネッケル先輩ですか」

 重い腰を上げて正式な敬礼を一つすると、片目の隠れた長い髪の彼女は伸びをして欠伸を噛みながら言った。

「で、何か用でしょうか?」
「あ、えーと…今日、確か一年生は戦闘実習あったんだよね?」
「戦闘実習って言っても、ただの剣の稽古ですけどね」
「始めの授業だから、つまらないのも仕方ないかもしれないけどもさ…」

 リシアース君は義務学校時代からの後輩だ。片目の隠れた前髪が特徴的で、興味のないことにしか乗り気じゃない自分勝手な所があるけど、父親が軍の上層部に所属しているためか、女性なのに昔から本当に腕が立つ。
 勉強も出来る(教科によるけど)のに軍学校に進学したのはそういった理由もあるだろう。

 丸めた無機化学の本を真っ直ぐに直し、彼女に手渡す。

「手加減、覚えようね?」

 確かに父親は軍でも高い地位についているのだが、僕と変わらない平民の扱いなのだ。
 そこは覚えておかなければならない。

「あー…でも教官が手を抜くなって」
「それはみんなに対してだよ。平民も貴族も関係なく。でも全体と一人ひとりの関係はまた別だよ」

 貴族の息子はいつだって貴族。たとえ長男でなく、次男、三男に生まれたが故に軍学校に入学させられても、それは変わらない。

「変な因縁付けられると、それこそ大変だよ?」
「確かに面倒だし、嫌だな…」

 リシアース君もそれはとても分かっているようだった。十数年しか生きていない僕らでも、階級による差別と上の者の横暴さはよく知っている。

「オーウェル・ジード・デキウス君…だっけ?会ったことないけど、デキウス家っていったらそれこそ古くからメタトロニオスを支える名家じゃないか。聞いた話だけど、その彼に怪我させたって…」
「確かにそうですけど…この話の流れからすると、明らかに怖い話になりつつないですか…?」
「実際これは怖い話だよ…」

 徐々にリシアース君は青ざめていく。入学してから数日しか経っていないのにも関わらず、貴族の人からの妙な誤解や因縁というのは厄介なものだ。
 実際、僕と同じ学年の貴族達がヒソヒソ話として伝えているのだ。もう波紋は広く大きなものになっているのは間違いない。

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