本編
□水上都市
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小型の船が、波のない水辺を渡る。エノクでは船は海を渡るもの、というイメージが強いリシアにとってみれば、川を船で渡るというのは異様な光景のようだ。
しかし、下れば下るほど、広大な水辺に変わり、やがて水平線から赤く煌めくヘメラが顔を覗く。
「ほら、ハルワタートが見えてきただろ?」
マルスはヘメラの右隣を指さし、言う。言われてみれば、ヘメラの光に反射する、指先ほどもない小さな何かが水平線上に見える。
「…遠いですね」
リシアが言うと、マルスはそうだね、と笑い飛ばした。
「君もシロガネ君と一緒に寝てていいのに。動いて疲れなかったの?」
マルスは運転席の脇にある仮眠用のベッドに寝ころぶシロガネを見て言う。リシアは、アルムを経つ直前の重労働を思い出し、苦笑いを浮かべた。
「まぁ、疲れましたけど…あんまり寝るの好きじゃないんですよ」
「寝るのが好きじゃない?へぇ、そういう人もいるんだね」
俺なんて寝たくて寝たくて仕方ない、とマルスは言う。
「寝てる時が一番幸福だよ。ベッドに寝そべって、毛布にくるまれて、体重がかかりっぱなしの脚を解放する。丸まった背も、この時だけはピンと真っ直ぐになるんだ」
マルスは笑いながら続けて言う。
「そしてニクスに意識を託す。変わりにニクスは不思議な世界を見せてくれる。その分、ヘメラに起こされるときは辛くなるんだけど」
「ニクスの見せてくれる世界が、理想のモノとは限らないですけどね」
リシアは、遠くを見つめながら言う。マルスは頷く。
「それもそうだね。時々怖いモノを見せられるのは、人間の本質かな」
「怖いものが見たくないから寝たくない…って言おうとしたのに、それじゃぁ本質から目を背けているようになっちゃうじゃないですか」
「案外、そうなのかもよ。いくら頑張ったって本質にはたどり着けない」
例えばさ、仮にだよ。とマルスが二本指を立てて言う。
「ある二人のうち、どちらかが本物ですって突然言われても分からないだろ?」
「情報が足りなすぎる」
「それもある。けど、じゃあ本物じゃないもう一人は何なの?って話だ」
マルスの言葉に、リシアは言う。
「人間として、どちらも本物なんだってね」
「それは、その人じゃないと分からないんだよ。他人の本質もまた、他人の本質なんだ」