本編
□十の三乗と二千
2ページ/10ページ
「魔粒子生命体の自我魔生体かぁ…最近、うちの学校にもいるよ。警備の為とかいって」
チェイスが言う。前方にはゆっくりと、それでいて機械的に歩く自我魔生体がこちらの方に向かってくるのが見える。先回りしたのだ。
珍しいな、とリシアは言う。
「国立学校にはやっぱりいないんだ。いいなぁ」
「むしろ俺がいいなぁだよ。こんな珍しいモノがいたら、各学科の人が囲い集まって警備なんかにならないだろうけど」
「あぁ…やっぱ国立学校ってリシアと同様に変な人が多いんだねぇ」
「え?なんで?」
リシアは首を傾げる。それにチェイスが答える。
「怖くないの?」
「未知の生体に?」
「そう」
返答に詰まってしまった。ただ興味だけ走ったリシアからすればまだ「怖くない」のだ。
だが、それが日常になり、いつ自我魔生体が「化け物」に変わるのか分からない中を過ごさなければならない、と言われたらリシアも不安に駆られるかもしれない。
「化け物」…そう、ユーキに会いに城に潜入した時のような。
そんな中、リシアたちの前で二体の自我魔生体が一旦立ち止まる。
周りを見渡し、どう避けるかを考えているようだ。流石に人間同様、すぐに「横に逸れる」という考えにはたどり着かないらしい。
リシアたちが動かないのを認識すると、薄いフィルムが何層にも集まってできたような、小さな模造の羽の青年の姿をした自我魔生体が横に動く。
しかし、もう一体の、小型ながらも赤く毒々しい羽を持ち、顔の半分が黒く変色した女形の自我魔生体はその場に立ち止まったままだ。
顔が、右に左にとカクカク振動し、明らかに様子がおかしい。確かに、これは「怖い」
チェイスが、向こうへ行こう、と言ってくる。リシアもそれに頷き、自我魔生体に背を向け早歩きで進み出した。
「…ぁ…い゛ぃ……の…」
自我魔生体の声だろうか。呂律が回っていない、枯れた声だ。その刹那、床が大きく上下に揺れた。
「ぜぇがあいのうだぎでぃものおおおおおお!!」
リシアの脳裏に一瞬、あのトラウマが走馬燈のように過ぎる。吐き気がこみ上げ、座り込む。無様な自分の姿が透明な床に反射して写る。
それとは別の影が遠くから伸びていく。後ろを振り返る。
まさしく化け物と言わんばかりの『何か』だ。風船が膨らんだように膨張し、黒い皮膚には無茶苦茶な模様を描いた線が走っている。
全体的に赤黒く、充血した真っ赤な眼球にも見える。
「リシア!しっかりして!!」
チェイスはそういってリシアの腕を引っ張り、なんとか立ち上がらせた。逃げるよ、とチェイスは叫ぶように言う。
チェイスはリシアの手を握り、走り出す。リシアもそれに続く。
化け物はもはや自我のあるようには見えないため、自我のない人型でない『魔性魔物』と言ってもいいだろう。
「警備・魔粒子生命体ナンバー13、不完全化を確認。排除命令、排除命令」
と、変化のなかったもう一方の自我魔生体が空を仰ぎながら言う。真っ赤な眼球から薔薇のように棘のある蔦が生える。
それは頭上から数多に生え、クラゲを逆さまにしたようにも見える。中央の魔力石が赤く輝く。
頭上の蔦はぐるんぐるんと地面に鞭打ちしながら回転する。青年型の自我魔生体はそれに当たり、建物に打ち当てられる。
リシアの左足にも蔦が絡まり、体勢が崩れる。チェイスの手が離れる。リシアは覚悟を決め、左足首に集中する。
右手がデコボコした、それでいて冷たい無機質な地面に触れる。そのまま左脚に力を入れ、炎属性の術を発動する。
蔦は燃えることも消えることもなかったが緩まり、足が解放されるとその勢いのまま、バク転で距離をとる。
もう一度赤い眼球の魔力石を見る。形状は植物のようだったので炎が利くと思ったのだが、そうはいかないらしい。チェイスは立ち止まったまま、リシアを見る。
「…リシア、涙の信託者だったんだね……」
冷めたような、見放されるような、そんな感覚がリシアの胸に刺さった。