本編
□魔鉱山の異国人
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そうか、とリシアは呟く。どこか寂しげにこちらを見るアズラエルを見つめ返した。
一面に咲き誇るあの透明な花と、自分たち以外に生命は感じない。
リシアがここを去れば、アズラエルは再び『誰か』がここに来るまで、孤独に過ごすのだろうか。
いや、彼は宗教や伝承に伝わる『天使』と自称しているのだ。今、自分に見えてないだけで、他にもいるだろう。
「いつの間にかここの記憶がなくなるなんて、まるで本当に夢のようじゃないか」
「夢なんてそんなもんさ。夢とは、意思あるものの意志に宿る。それはやがて、思い通りのならないモノになる。思い通りにしようとはしてはいけない。目を覚ましてしまうから」
リシアは首をかしげるも、はっきり理解したことを言う。
「…ニクス云々の話はしないんだな」
「赤子は、数年は母胎の中の記憶があるが、暫くすると忘れてしまう」
「話が通じてない」
「なかなかに頭の固いやつだね、君は」
アズラエルは軽快に笑う。その笑いが、馬鹿にしているようにしか聞こえず、リシアは更に不機嫌になる。
下を向いて目を伏せ、起きろ、と唱える。
「起きろー起きてしまえーーこんなやつに同情した俺が馬鹿だったー起きろーーー」
「とても酷い」
「酷いのはどっちだよ……とにかく、もう俺の意志で動けるんだ。もう起きれるだろ」
「じゃあそのままで、意志した君は何が見える?」
「…え?」
確かに目は伏せていた。
いや、伏せたつもりだったのだろうか。視界は暗闇に遮られてなどいない。
もっと、ギュッと目を瞑ってアズラエルの方を向く。アズラエルはヒラヒラと手を振る。
今度は更に手で覆ってアズラエルに対峙する。アズラエルは顔の倍もある本で一度は隠し、舌を出した間抜け面をする。
その顔に苛立ちを感じ、舌打ちをする。
「ほら、意志はここだ」
「言いたいことは何となくは分かった。けど、今度はもう少しいい教え方で頼む」
怒りを抑えながらにリシアは言う。
「意志が脳からじゃないから起きろって言っても無理ってことなのか?夢なのに」
「おー君もなかなかに順応力あるじゃない。現実的に考えようとすれば、そうなのかもしれないね」
アズラエルの乾いた拍手に、リシアは頭痛を感じた。
嬉しくない誉めに、嬉しくない回答だ。現実的じゃないとすれば、ここは一体なんなのか。
あぁ夢なのか。非科学的で非現実な夢なのだろう。もしかしたらこの頭痛も、頭の痛みのものではないのかもしれない。
リシアは考える。だが、考えれば考えるほど頭の痛くなるアイディアばかりが出た。
「じゃあ、どうやったら起きれるんだよ」
「一つを願い、一つを思い描き、一つを口に出し、一つだけを忘れず、一つ未来に向かって歩み出せばいい」
「また訳の分からないことを…」
「自然に起きられるから今は待てって事」
「俺は夢を見ることが嫌なんだ」
へぇ、とアズラエルはこれまた意外、と驚くように呟く。リシアは言う。
「だから起こして欲しい」
「…なら」
アズラエルが言う。
「君の起きた先は、本当に現実かい?」
アズラエルはまた言う。
「君は、いつから目覚めていたんだい?」
アズラエルは続けて言う。
「未来に歩み出さないでいて、夢を否定するのかい?」
話しながら近づいたアズラエルが、そっとリシアの目を、白い手袋を外した左手で覆い隠す。
暗闇だ。