本編

□裏切り者の浮力
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 夜の女神が、西空にある。
 その違和感を未だになくせず、つい東の方を見てしまう。すっかり夜だ。淡く蛍光する魔力(ルナート)でできた板は水との境目を作り出している。

 警備員に右肩の身分証明書を示すと、分かりました、と言って通してくれる。水面上に出ようと、階段を登る。
 とりあえず、アルバの残したメモの宿に向かうことにする。事前にグランから道は聞いていて正解だった、と思う。

 階段の中程まで上がって、少し息をつく。ポケットを探り、またシュガーソースを口にくわえる。
 エスターが、この都を歩いてたときにたまたま見つけたから買っといた、と言ってくれたものだ。ルタートに居たときに既に切らしていたのに気付いていたのだろう。世話焼きな人だ、とまた菓子を噛んだ。

 この調子だと、明日にはこの箱は使いきっているだろうな、と安易に予測できる。なければないでいいのだが、あると買ってしまうし食べてしまう。

 シュガーソースを食べた時のリシアの酷い顔と、アルバの特に感想のない表情が思い出される。何がいいのか、と言われても、むしろ自分が聞きたいくらいだ、とは思ってる。

 同時期に話した会話も思い出す。アルムの所在を聞いたのは、本当に興味からだった。その場から逃げたい、というのもなきにしもあらずだったが。
 気が変わったのは、リシアがニール手を止めた時だと思う。何も知らない他人が、誰も止めることのなかったニールに割り込んだ。

 それが、本当に、本当に嬉しかった。すぐに離れても、目から溢れるものを抑えられなかった。

 ふと、視界の端に、黒い陰が見えた。その先は水中であり、魚だろうか、と視線を移す。暗い水のなかで、重力と浮力の境目でゆっくりと落ちる陰がある。魚にしては不自然だ、と気付きウィズは頭上のゴーグルを下げ、いくつか操作をして対象を『視る』。

 魔力(ルナート)を確認する。人だ。
 そしてそれは、見たことのある魔能周波数だった。

 冗談だろ、と思いたかった。壁を叩いて、こちらに意識を向かわせようとするも、一向に反応しない。距離がある。聴こえないのも当たり前か。

 まるで水槽の中のように、手出しが効かない。どうするべきか、と考える。救援を求めるべきだ、と真っ先に思い付くが、先程のグランの話が脳裏を過る。

――国から機密的に狙われるも、それは濡れ衣で

 軍を呼ぶ羽目になってしまうのだろうか、と考えてしまう。それを避けるために、リシアたちは軍人の目を誤魔化していたほどなのに。危険性は、避けるべきなのだろうか。

 だとしたら、他に何かあるだろうか。人命救助隊か。しかし、どこにあるか、この都にあるか、時間は大丈夫か分からない。
 そもそも、涙の信託者(オルクル)にそこまで労力を注いでくれるだろうか。いや、サダルフォン連邦国じゃないんだ、そこまで酷い偏見もないだろう。

 こうしている間にも、あの人影は抵抗もなく沈んでいく。ニールが最近冷静さを欠くのも分かるような気がする。ただ理不尽に突きつけられる現実。どうなるか分からないが、逆転がある可能性。

 分かった、とシュガーソースを飲み込み、ゴーグルを頭上に上げる。
 可能性に賭けをしよう。

 ウィズは階段を駆け上り、水面上に出る。そこから、都の縁、透明な浮力板の終わりを探し、そこに立つ。辺りに人影はなく、船もない。港ではないようだ。
 ウィズは深く深呼吸をし、左手を突き出す。脳裏に浮かぶ古代語を読み上げる。

「――親愛なる水精よ、我は汝と共にあらん。泡沫の宴を、今ここに!」

 術を放つと、ウィズの足下に陣が浮かび全身を青い光が包む。
 本当は水面を押し下げたり、立ち上る流水などの術にしたいのだが、生憎ながらそこまで多くの魔力(ルナート)は持ち合わせていない。

 次に、浮力だ。本当だったら、風属性なり、地属性が使えればいいのだが、ウィズ自身にその適正はなく、脳裏に古代語が浮かぶこともない。せめて、あの複合機があればいいのだが。

 いや、あるな。まだつけたままなら、の話だが。

 魔力石(セレークレスタ)は、幸運にも先程貰った高品質の炎属性のものがある。補助分には十分だ。
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