竜を求めし者達

□災禍は深海に潜む
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 海路が長閑とは限らない。陸には陸の魔物が居るように、海上にも勿論海特有の魔物が現れるのだ。
 頻度の違いはあるものの、危険を伴う旅に戦いは付き物であり、それを一時でも忘れれば取り返しの付かぬ事態となる。

 その日も、最初は穏やかな航行であった。
 太陽は眩しく海の波を光らせて、何とも美しい。海鳥が鳴き声を上げながら、列を成して滑空するのを、アリーナは伸びをしながら見続けていた。
 そんな彼女に、緑色を基調とした神官服の青年が近付いて話しかける。
「姫様、今日は良い天気ですね。この儘順調にいけば、明日にはスタンシアラに到着出来るでしょう」
「そうね、久しぶりにのんびりだわ。でも、クリフト大丈夫? 船は揺れるから、部屋で休んでるって言ってたじゃない」
 青年――クリフトは、苦笑いを見せた。彼の基礎体力が低いのは、生来のものである。アリーナはそれを心配していたのだった。
「もう馴れてきましたよ。いつも心配かけて済みません」
 二人が仲睦まじく話しているのを、甲板で剣を研いでいたアトラスがニヤニヤと見詰めていた。
 だが、波の下でゆらりと動く影に、その時誰も気付く事はなかったのである。

 陽光が傾き始め、風が冷たくなってきた。目的地スタンシアラはすぐそこであるが、ここで事件が起きる。
 まず、最初に気付いたのはマーニャであった。明るい太陽が中天にあった時には気付かなかったその影に、眉を寄せる。
「ねえ、アトラス。なんか、彼処の方怪しくない? 他のトコより海の色が濃い気がするんだけど」
 そう言われて、今まで剣を磨いていたアトラスも軽く返事をした。覗き込んでみると、澄んだ海水の奥に蠢く物がある。途端に、彼は厳しく声を荒げさせた。
「まずい、魔物が近付いてきたみてえだ! 戦う準備をしてくれ!」
 その声に、甲板に居たアリーナとクリフトは身構える。マーニャも、船室に戻り他の仲間達を呼びに行った。
「あともう少しで目的地だというのに…。姫様、油断為されぬよう」
 クリフトが両の手袋を嵌め直して、自らの得物を構える。そんな彼に対し、アリーナは船の舳先へと駆け寄った。アトラスは慌てて彼女を制する。
「おい、アリーナ! 危ないぞ、どんな化け物が出るか判んねぇんだから」
「大丈夫! 私はギリギリまで近付かなきゃ攻撃出来ないもの、これくらいへっちゃらよ!」
 言うや、海の底から不快な音と匂いが立ち込めた。ごぼり、と云う泡を含んだ音が数回鳴り響いたかと思うと、
『ザバァッ』
 波を掻き分けて、その異様な姿が現れた。
 巨大な頭部は成人男性の背丈を易々と越えており、拳程もある両眼は濁った光を含んでいる。ぎょろりと辺りを見渡すその目の下からは、数本の長い腕が生えていた。所謂触手というもので、それには無数の吸盤が付随している。獲物を逃がさぬ工夫を凝らした海の魔物は、禍々しさを体現させていた。
「こいつは、厄介な奴だな。いいか、この触手に捕まらないようにしろよ!」
 アトラスの指示に、皆も頷く。船に乗り込もうとする触手を剣で薙ぎ払い、アトラスは本体であろう頭部に向かっていった。
 歴戦の重戦士ライアンも、アトラスに続いて立ち向かう。自分に伸びてくる触手を難なく切り捨てて、吸い付いた吸盤を握り潰した。
「むう、これは…皆の者、海に引き摺りこまれたら最後ですぞ! 身を守りながら戦わねば!」
 そう言い終わらぬ内に、全員の体が緑色のオーラに包まれる。クリフトの守備力上昇魔法の効果が発揮されたのであった。続いてミネアが、ライアンに向けて回復の術を施した。
「皆さん、回復は任せて! 姉さん、お願い!」
「ええ、判ったわミネア! こんの化け物、喰らえ!」
 マーニャの両手から、巨大な火の玉が発生する。魔力を凝縮させた火球は、優雅な曲線を描きながら魔物の左目に命中した。
「やったか!?」
 やや息を上げて、アトラスは呟く。一瞬怯んだ魔物の動きは、しかし致命傷とはいかなかった。
「くっ…タフな奴ね! これならどう!?」
 アリーナが空高く飛び上がり、頭部の頂点目掛けて必殺の蹴りを喰らわす。重力のかかったそれに、魔物も堪えたのかゆっくりと海に沈んでいった。
「よし、仕留めたわ!!」
 両腕に軽く力を込めて、アリーナは勝利の合図をした。そんな彼女の様子を見て、皆も気を緩める。
 しかし。
 彼女の後ろからもう一つの影が忍び寄ってくるのを、蒼い瞳は見逃しはしなかった。

「姫様、危ない!!」
 自分でも信じられない程の速度で、クリフトはアリーナの傍に駆け寄った。その瞬間、クリフトの細い体が中空を舞う。長い触手が鞭の様に彼の体を捕らえ、巻き付いていた。
「畜生! もう一体いやがったのか!!」
「いえ、さっきのよりも更に巨大ですわ。…触手の長さも、倍はあるでしょうか」
 先程と同じ種類の魔物が、海面に姿を現す。穢れた水晶体を模した目が、船上の人間を見回した。
「こいつ、クリフトを離しなさいよ! たあっ!!」
 アリーナの蹴りを易々と往なし、魔物が細い器官をひゅうひゅうと唸らせると、最後尾で皆を見守っていたトルネコが、ハッと気付いた。
「皆さん、気を付けて! あれは、凍り付く息を吐く予兆です!」
 トルネコが注意を促したその時に、魔物の口腔から激しい冷気が迸(ほとばし)った。
「きゃあ!」
「ぬおっ…!!」
 冷気に対して抵抗力の低いマーニャと、前衛のライアンが直撃した。他の者も、多かれ少なかれその被害を被(こおむ)る。魔物は目を細めて、己の優位を示した。
「くぅ……っ、はあ、はっ……」
 クリフトは触手から逃れようともがくが、何重にも絡み付いている上に吸盤が彼の服を掴んで離さない。手にした武器が、彼の手を離れて甲板に転がる。
「クリフト! 今助けるから、待ってて!」
 アリーナが声を掛けた瞬間、魔物は彼を海中に引き摺り込んだ。
「クリフト!」
「いかん! アトラス殿、早く決着を着けましょうぞ!」
 ブライがアトラスに攻撃力上昇の術を掛ける。軽く頷いて、アトラスは力の限り剣を降り下ろした。
「これで、終わりだ!!」
 魔物の体は真っ二つに切り裂かれ、生臭い鉄の匂いのする血を撒き散らした。
「は、早くクリフトさんを助けなければ!」
 だがクリフトは浮かび上がってこず、皆の表情は固いものとなっていく。そんな中、アリーナは躊躇もせずに海の中に飛び込んだ。
「ア、アリーナ!?」
「姫様!!」
呼び掛けるアトラスとブライの声も、今の彼女にはもう届いて居なかった。
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