竜を求めし者達

□溺愛故の制裁
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 それは、何の前触れも無く訪れた。
 進化の秘法を極めようとした、悪辣な魔物。醜悪極まりないそれを、天空の勇者と仲間達は見事打ち倒したのである。世界中の人々は見た訳ではないが、凶暴な魔物が影を潜めた事で、それを実感していた。
 だが、世界に本当の意味での平和が訪れるのは、まだまだ先の話であった。

 翡翠色の瞳が、天を見上げた。人一倍魔に敏感な彼にとって、その異変は言い様もない胸騒ぎを覚えた。
 研いでいた剣を腰に穿き、自分を待つ小屋へと戻る。中に居た女性も、彼の様子に何かを感じ取ったようだ。赤い瞳は不安げに揺れて、彼女の表情を曇らせる。そんな彼女に、青年は緊張した面持ちで言葉を紡いだ。
「シンシア、気付いたか。また、魔物の気配が強くなってきた。……ピサロの野郎か、また別の奴が下剋上しやがったのか…」
 普段は穏やかな緑の瞳が、魔を嗅ぎ取ると残酷なものに変化する。復讐の願望は潰えたが、敵愾心(てきがいしん)は未だ燻(くすぶ)っているようだ。
「アトラス、また行くのね? …大丈夫、此処は私に任せて。私だって、前よりも強くなったんだから」
 シンシアは、薄紅色の長い髪を揺らすと、揶揄するように笑った。アトラス程とはいかぬが、彼女も術を扱う事には長けている。並の魔物ならば、一溜まりもないだろう。
「ああ。…全く、勇者稼業も楽じゃねえな。あのトカゲ野郎、扱(こ)き使いやがって」
「相変わらずねえ、アトラスは。竜の神様に告げ口しちゃうわよ」
 シンシアの悪戯好きが、顔を出す。アトラスは尻を掻くと、眉をへの字にした。
「お前がお目付け役ってのは、ぞっとしねえな。俺の事、逐一報告してるんじゃねえのか?」
「まさか。…さあ、時間が無いんでしょ。この世界を救ってね、『勇者様』」
 一際立派な剣を渡すと、シンシアは片目を閉じた。苦笑いとともに、アトラスもそれを受け取る。この剣こそが、彼を勇者たるに相応しいものとしていた。
「まずは、エンドールだな。其処に行きゃ、何とかなるだろ」
 そう言うや、彼は駆け足で山奥の村を飛び出していったのである。やや寂しげな表情のシンシアは、アトラスの無事を祈るしか出来なかった。

 時を同じくして、サントハイム地方のフレノールに舞台は移る。
 サントハイム王国のアリーナ姫は、又もやお忍びで旅を続けていた。勿論、老魔術師ブライと青年神官クリフトも、彼女の従者として随行している。
 以前とは違い、この地でも魔物は成りを潜(ひそ)めている。なのに、三人がこうして城から出立しているのには、れっきとした理由があった。
 このサントハイム領内で、不埒な盗みを働く輩が出没しているのである。領民の訴えが日毎に増えていくのを、サントハイムの国王も頭を悩ませていた。それが、アリーナの正義感を刺激したのである。元来、彼女は闘いが好きなだけのお転婆だった。だが、魔王を倒す冒険の旅から戻った後は、アリーナにも王族としての自覚が芽生えたようである。
「陛下、この不祥事を如何しましょう。サントハイムの治安が悪いという噂が広まれば、外交にも差し障りが御座います」
 冷や汗をかく大臣の困り果てた表情を見るや、アリーナはドレスの裾を蹴りあげて言い放った。
「もう我慢出来ないわ! お父様、私に任せて! 絶対、取っ捕まえてやるんだから!」
「ア、アリーナ!?」
「姫様、またそのような無茶を! 盗賊の捜索など、我がサントハイムの衛兵に命じればよいのですぞ!」
「そんなんだから、いつまで経っても解決しないのよ! 私が本腰を上げれば、こんな事件一瞬で終わらせてみせるわ!」
 彼女の剣幕に、その場の兵士もたじたじである。この城内で…否、この世界でも彼女に物理的な意味で敵う者は居るまい。それに国王は、娘の言い分も尤もだと理解していた。
 彼女のお陰で、この国は救われたと言っても過言では無い。自分が魔物に囚われた時は、あわや大惨事かと思われた。それを勇者とその仲間達であるアリーナが、魔王の結界を崩したのである。故にサントハイム城の人々が、無事現世に戻る事が出来たのだ。感謝こそすれ、咎めるなど考えられなかった。
「…よし、アリーナ。これは、国王命令だ。このサントハイムに蔓延(はびこ)る悪人を、見事引っ捕らえてまいれ。従者は、お前に任せる」
「やったあ! さすがお父様、物分かりがいいわね!」
「へ、陛下!!」
 顔を赤くしたり青くしたりで忙しい大臣を後目に、アリーナは意気揚々と謁見の間から飛び出したのであった。それが、数日前の話である。
 従者に選ばれたブライは、深い溜め息を吐いた。やっと安寧な生活を送れる、と思っていた矢先である。
「やれやれ、儂は何時になれば隠居できるのかのう…」
 アリーナの教育係も兼ねていた老魔術師は、腐れ縁という言葉をこれ程身に沁みた事は無い。だが、もう一人の従者はその腐れ縁を、内心悦ばしく思っていた。

「さあ、あと一息よ! 泥棒も、私自らが成敗に来るなんて、思っても無いでしょ。お父様の驚く顔が、目に見えるようだわ」
 アリーナの足取りは軽やかで、盗賊を追う隠密行動とは無縁である。彼女の突拍子の無さは、今に始まった事ではないが。
「儂は、別の意味で陛下が驚くかと思われますがな。姫は姫らしく、城で大人しくするのが習わしと云うに……」
「まあまあ、ブライ様。姫様には姫様なりのお考えがありますでしょう。治安を正すのも、立派な施政者の務めでありますし」
 文句が出てばかりのブライに、神官クリフトは宥(なだ)めすかす。二人とも、結局はアリーナの事を心配しているのだ。格闘一辺倒の彼女にとって、彼等は大切な補助役でもある。だからこそ、アリーナも二人を認めているのだった。
 だが、容易いと思われた泥棒追撃事件は、彼等に思わぬ騒動を引き起こしてしまうのである。
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