書庫【素敵な頂き物】
□今、確かに輝いた
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今、確かに輝いた
ふわり、
フィルチの横を、甘く仄かな香りが通り過ぎて行った。
後ろを振り向けば、女友達であろう子に駆け寄って行く長い黒髪が見えた。
名前も寮も知らないが、夕日に照らされた渡り廊下を、長く豊かな黒髪を揺らしながら走り抜けて行く少し小柄なその子の姿が、絵画のようにハッキリと網膜に焼き付けられた。
あの、甘い香りと共に。
「…って、廊下を走るな!!」
ハッと我に返り叫んだが、既にその子は女友達の腕を組み、去った後だった。
「にゃあん…」
「おぉ、よしよし可愛い子ちゃん。さぁ、部屋に戻ろう」
脚に擦り寄って来たミセス・ノリスを抱き上げ、フィルチはオレンジ色の渡り廊下を後にした。
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それから数日後の事だった。
フィルチは何時もの様に、手元のランプを揺らしながら、真夜中の校舎を生徒がうろついていないかどうか見回っていた。
ひた、ひた、ひた。
何かが近づいて来る。
ランプを顔の位置まで上げて目を凝らすと、そこには――――――
「何だ…またか」
ルーナ・ラブグッドが、パジャマ姿(しかも裸足)で、ぼぅっとした表情をして歩いていたのだ。
そういえば、前にこいつがポッターに自分が夢遊病だと話していたのを聞いたことがある。
そして実際、時々このようにしてフィルチは、ルーナに出くわしているのだ。
ふわふわとした足取りの彼女は、本当にフィルチに気付いていないらしく、彼の横を素通りして行った。
ひた、ひた、ひた。
その足音が遠ざかるのを聞きながら、フィルチは再び歩き出した。
最後の見回りの場所である、展望台に繋がる螺旋階段を上がって行く時、誰かが啜り泣いているような声がした。
ゆっくり、音を立てないようにフィルチは階段を登る。
ギシッ
最後の段に体重をかけた瞬間、足元の床板が軋み、音を立てた。
「誰…??」
凛としたソプラノの声が、夜の空気を震わせた。
バレた。
罰が悪そうに、恐る恐る声がする方へ顔をやると、銀色の淡い月明かりに光る水滴が、艶やかな長い黒髪の間から零れ落ちた。
嗚呼、あの子だ。
判った途端に顔に熱が集まるのを感じ、フィルチは俯いた。
「あ…いや、その…」
「フィルチさん…??」
「あ…あぁ…」
しどろもどろになるフィルチを見て、少女はぐすっ、と小さく鼻を啜ると、柔らかく微笑んだ。
少女の整った顔立ちに、フィルチはドキリとした。
彼女の薄桃色の唇が、ゆっくりと開いた。
「私を、寮監の許へ連れて行かないのですか?」
「…連れては、行かん」
「何故??」
「それは…」
君が、あまりにも寂しそうに泣いていたから。
出かかった、胸焼けする程甘過ぎるその言葉を咳払いで誤魔化し、代わりにゆっくりと彼女に近付くと、先程抱いた疑問を問いかけた。
「何故、泣いていたんだ」
「今日、母の命日なんです」
床に直に座り夜空を見上げながら、少女は答えた。
その姿に、ちくりとフィルチの胸が痛んだ。
「私がまだ幼い頃、母は殺されたんです。死喰い人に。今日は…母の命日は学校がある日と重なってしまっているから、家には帰れなくて。だから、空に一番近い場所に…少しでも母が居る場所に近付きたくて、毎年此処に来てるんです。でも…」
もう此処へ来れなくなっちゃいました。
そう言った彼女の髪を、夜風がふわりと靡かせて、甘い香りをフィルチに運んだ。
「どうしてだ?」
「だって、フィルチさんに見つかっちゃったから」
その答えには、流石のフィルチも苦笑してしまった。
困った様に乾燥気味の頬を掻いていたが、何か閃いたかのように、手をパンッと叩いた。
その音に少女は驚き、ビクリと身体を震わせた。
「フィルチさん?」
「そうだ、私が一緒に居てやる!!」
「え…」
少女は状況が良く呑み込めていないのか、呆気にとられている。
「それだったら、もし他の先生方に見つかっても言い訳は出来るし、それに…」
「それに…?」
「此処にいつでも来れる。お前の母親も、1年に1度じゃなく、少しでも多くお前に逢いたいと思うだろう」
少女はその言葉を聞いた途端に、その大きな目から再び大粒の涙を溢した。
「ありがとう、ございます」
「親孝行の為なら、誰も咎めはせんだろう」
スクイブとして生まれ、ロクに親孝行出来なかった私みたいにならないように。
フィルチは自身の手を服で拭うと、座っている少女の頭を、不器用ながらもそっと撫でた。
今、確かに輝いた
(きっと、彼女の母が微笑んだんだ)
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