TOX-B

□拍手ログ01
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「なあ、ジュードってなんかムカつかねぇ?」


「お前、それデキる奴に嫉妬してるだけだろ。ジュードは別に悪い奴じゃないと思うけど」


「う……あーあ、ムカつくなあ」



 アルヴィンが生徒同士のそんな会話を聞いてしまったのは、本館と実習棟とを繋ぐ渡り廊下の傍らで偶然しゃがみ込んでいる時だった。別に隠れて聞き耳を立てていた訳ではない。中庭に迷い込んだ野良猫を見つけて、それを構っていたのだ。

 『ジュード』とはジュード・マティスのこと。有名進学校であるこの学園の中でも、特に偏差値が高い特進科の医学コースに在籍している一年生だ。成績は入学以来常に学年で一、二を争う程優秀で、幼少の頃から幼馴染みと一緒に習っているという武身術のおかげか運動神経も抜群。それでいてまったく男くさくない柔和な容姿と物腰で、福祉科の方に多く在籍している女子にもそこそこもてる。

 先程の男子生徒のようにやっかみ半分で噂話をしたくなる気持ちも分からなくはないが、もう一人が言っていたようにジュードは何も悪いことはしていない。

 しかし残念ながら、教師陣にもとても可愛がられているジュードに冷たく当たる者は少なくなかった―――これは教師連中にも少々非があるとアルヴィンは思っている。何かにつけて「ジュードなら」「ジュードの方が」「ジュードを見習え」などと言う奴が多いのだ。ジュードもそうだが、両親共に医者だというような生来金持ちのお坊ちゃんが大半を占めているクラスだ。その無駄に高いプライドを傷付けられれば、理屈などさておき憤慨するだろう。

 アルヴィンは生徒達が廊下を渡りきるのを待ってから立ち上がると、足元の猫に話し掛けた。

「どうしよっか?」


 猫はなんとも愛らしい声で「にゃーん。」と答えてくれた。










   ***










 図書室―――広さと蔵書数をからして、最早図書館と呼ぶべきだ。そこで今日も下校時間ぎりぎりまで読書に耽っているジュードの姿を見つけて、アルヴィンはしばしその横顔を廊下から窓越しに眺めた。初めは誰にそうやって付けてもらったのか、自分が半ばおふざけで買ってやった赤いヘアピンでえらく可愛らしく髪を留めているので思わず笑ってしまう。

 いつまでも眺めていたかったがそういう訳にもいかないので中に入った。

 近付くとアルヴィンが羽織っている白衣―――実は自分は古典等を教えている文学教師で、科学とも数学とも無縁なのだが、お気に入りの『フィシマージュ』の特注スーツにチョークの粉が容赦なく降り注いでくるのに耐えられず、いつも校内では白衣を着ている。その裾を視界の端に捉えたジュードが、アルヴィンが声を掛けるより先に顔を上げた。

 いつ見ても琥珀色の綺麗な瞳をしているなと思う。

「ジュード」

「先生……僕に何か?」

「悪いんだけどさ、ちょっと用事頼まれてくんないかな」

「? 構いませんよ」

「じゃあこっち来て」

「……?」

 ジュードはアルヴィンのことを学校では「先生」と呼ぶ。敬語も使う。「学校ではあんまり馴れ馴れしく話し掛けないでよね」なんて、案外冷たい事を言う彼を連れて、すぐ隣の資料室の鍵を開けて入る。素早く内側から鍵を掛け直し、滅多に立ち入らない資料室の中を物珍しそうに見回しているジュードの背中へと抱き付いた。

「ん? ジュードくん、なんか良い匂い。シャンプー変えた?? この匂い好きだな。あ〜満たされるー……」

「! ひッ……!? ちょ、何して……アルヴィン、くすぐった――…こ、こらっ、嗅ぐな!」

 ふんわりと香ってきた、その風呂上がりを思わせる匂いをもっと堪能したくて細い首筋のあたりに顔を埋(うず)めると、ジュードの肩がびくっと跳ね上がった。

「アルヴィン!」

「いいじゃん、誰も見てないし。ちょっとだけ」

 腕の中の、自分よりもずっと小さな体の温度が急激に上昇して行く。ジュードは慌ててそっぽを向いて一生懸命隠そうとしているが、耳まで赤くなっていて照れているのはもろにばれていた。

「……あ、あの、手伝い、は?」

「そんなのウソだよ、ウソ。ジュードくんをぎゅーっとしてあげたかっただけ」

「何なの、それ……」

 ちょっとふてくされながらもすっかり大人しくなったジュードを、しばらくの間ただ抱き締めていた。

 生徒の下校を促す放送を聞いて、ようやくジュードを解放すると頭をくしゃくしゃと撫でてやる。

「わり、俺まだ仕事残ってんだ。先に帰っててくれ」

「う、うん」

 アルヴィンが住んでいるマンションと、ジュードが親元を離れて生活している学生寮は程近い。途中まで帰路を共にしたい気分だったが、先日行われたテストの採点がまだ山ほど残っていて、そうはいかなかった。

 ずれた眼鏡をかけ直し、ジュードはアルヴィンが開けてやった扉から図書室の方へ戻る。もう他の生徒の姿はなく、天窓から差し込む西日がやたらと眩しかった。

「アルヴィン」

「うん?」

「僕、何か心配掛けちゃった……?」

 鞄を提げたジュードに尋ねられて、気付いていたのかと苦笑する。

 ジュードの事はもちろん色んな意味で可愛いが、自分もまた教師だ。気を付けなければ他の教師連中と同じくジュードへのやっかみを増やしかねない。だからできる限り校内では素っ気無く接するようにしているのだが、実際にあんな噂話を聞いてしまうとどうにも心配で堪らなくなった。

 もちろん純粋にジュードのことを慕う人間が多いことも知っている。例の幼馴染みである同級生レイア。一風変わった学園のカリスマ、三年のミラ―――彼女の存在は大きい。ジュードが彼女のお気に入りだというだけで畏怖する者すらいた。一体彼女にどんな伝説があるというのか……。

 誰とでも仲良くできる人間などいないのだから、少々のいざこざなどよくある話と言えばよくある話。しかしジュードのお人好しで自身のことは疎かにしがちな性格をよく知っているだけに、普段そんな話をしてくれないことが少し不安になった。

 でも無理に聞き出そうとするのはルール違反だ。だから、ただ抱き締めてやることにした。

「ジュード」

「ん?」

「頑張れよな」

「……ありがとう、先生」

 ジュードは柔く微笑むと、「さようなら」と生徒らしい挨拶を残し図書室をあとにした。





「大人だねぇ……」


 あーあ、センセーやめちゃおうかな。
 そしたらもっといちゃいちゃできるのに。



 アルヴィンはそんな不埒なことを思いながら、暗くなり始めた部屋で大きな溜め息をついた。















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2011/10/23
2012/05/04 加筆修正





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