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□先が欲しいのは私だった
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別にそういうことに興味がなかったわけじゃない。
ただ今まで己と何ら関係がなかっただけであって、決して避けてきたわけではないのだ。


「そんなこと言って。それで浮気されたら洒落にならないわよ。」


そう言って、はあ、と重たい溜め息を吐く友人に、妙はロッカーの扉を力強く閉めることで誤魔化した。


「もしそんなことがあったら、原型が分からなくなるまで殴るわ。」
「…本当、あんたと付き合う旦那は大変ね。」


やれやれと肩を竦めるおりょうは、相変わらず底の見えない笑みを張り付ける妙を見て軽くその背中を叩くと、まあ上手くやんな、と早々に休憩所をあとにした。


「もう冬ね。」


仕事を終え、裏口から外に出ると途端に刺すような冷たさが妙を襲う。
ほんの少し酔った身体には丁度いいが、それも最初の数分だけで、すぐに身体の芯まで冷え切っていくような寒さに自然と両腕を抱えるようにして歩いてしまう。
こんな寒い日は早く家に帰ってお風呂でゆっくり温まるのが一番だと、妙は歩く速度を早めた。
明け方の歌舞伎町は静まり返っており、まるで別世界のようだ。
先程からちらほらと同業者であろう人間の姿は見かけるものの、街はほぼ無人といってもいい。
そんな中を手を擦り合わせながら歩いていると、ふと一つ先の路地から見知った人物が顔を出した。


「あ、」


そしてそれは妙の心に僅かな灯を灯したが、その後ろに続く別の人間の姿を見てそれもすぐに吹き消されてしまった。
こんな時間にこんな場所で。
今まで何をしていたかなど、歌舞伎町で働いて時が経つ妙には考えなくとも理解できた。
見慣れた銀色の髪が、隣に綺麗な女性を連れて歩いている。
この近くに、こんな時間まで営業している店はない。
営業時間後に一緒にいるということは、つまりはそういうことなのだろう。

“もしそんなことがあったら、原型が分からなくなくなるまで殴るわ”

数時間前にそれを発した少女は紛れもなく自分であるのに。
実際にその場面に遭遇した今、怒りよりも先に、悲しみと後悔が妙を襲った。
そして前を歩く二人に気付かれないように、そっとその場を後にした。





「…寒い、」


じわじわと、身体は確実に温まっているのに。
心はまるで氷のように冷たかった。
ゆらりと揺れる浴槽のお湯に映る哀れな少女は、その瞳に何度も先程見た光景を映し出す。


「おりょうの言った通りなのかしら。」


やはり彼も、男だったということか。
それは分かっていた。
分かってはいたが、どこかで彼は違うのだと無意識にそう願っていたのかもしれない。


“付き合ってもう半年近くも経つのにやってないって、どういうこと”


頭の中で鮮明に友人の驚愕した声が響きわたる。


“どうもこうも、そのままの意味よ”
“旦那は?何もしてこないの?”
“しないわよ”
“何で!”
“何でって…。というより、それは必要なことなの?”
“必要とかそういうことじゃなくて、好きなら自然とそうなるでしょう”
“ならないわ”
“旦那は絶対我慢してるって!そのうち限界がきて浮気するかもよ?”


浮気するかもよ?
その言葉が何度も何度もリフレインされる。
その中で妙は、小さく笑った。


「もうされちゃったわ、おりょう。」


やはり彼に限界が訪れたのだろうか。
自分たちの関係は、身体を繋げなくとも上手くやっていけるなど、それはただの甘えた幻想だったのだろうか。
知らず知らずのうちに見ないようにしてきた現実をいきなり目の前に突き付けられた気がして、妙は苦しさに湯船の中に顔を沈めた。
と、ぼやけた水の中で、妙の耳がある音を拾う。
それは微かに、徐々にはっきりとした音を持って近付いてきた。


「…銀さん?」


お妙、それは紛れもなく自分の名前であった。


「こんな遅くにどうしたんですか?」
「…お妙っ。お前、どこ行って、」
「どこって、お風呂ですよ。それよりどうかしました?新ちゃんが起きちゃうじゃないですか。」


ぽたぽたと溢れる雫が、妙の動揺をそのまま表しているかのようだった。
急いで羽織った夜着は僅かに乱れ、髪から零れ落ちる水は畳に染みを作った。
しかし、それでも尚、妙は平静を装うべく真っ直ぐと目の前の男を見つめる。


「や、いくら呼んでも返事、しねぇから…」


そんな妙とは対照的に、ようやく我に帰ったらしい銀時は、妙から零れる雫を見てそっとそれから目を離す。
そして一度小さく息を吐くと、頭の後ろをがしがしと掻いて背を向けた。


「悪ぃな。こんな遅く…つうか、明け方に。じゃあ俺、もう帰るわ。」
「え、もう?」
「たまたま寄っただけだし、まあ、その。…おやすみ。」


そう言ってそのまま此方を見ようともせずその場を後にしようとする銀時に、妙は言いようのない不安感に襲われた。
その背中はまるで自分を拒絶しているようで。
何の用で訪ねてきたのかは知らないが、先程まで他の女と会っておきながら、その足で此処を訪れたその男の意図を測りかねて妙は咄嗟にその背中にしがみつく。
もしかすれば別れ話かもしれない。
しかしあまりに唐突のため、また日を改めて、とそういうことなのだろうか。
普段なら決してこんな弱気なことは思いつきもしないのだが、タイミングが重なり不安定であった妙には、もうどうすることもできなかった。
いつもの冷静さなどどこへやら。
驚いて狼狽える銀時のことなどお構い無しに、妙はその勢いのまま力任せに男の身体を畳の上に組敷いてしまった。


「…お、妙?」


ぽたり、と髪から流れる雫が銀時の頬を濡らす。
驚きに目を丸める銀時を妙はただ、上から見下ろすしかできなかった。
何か発さねば。
そう思うのに頭も身体も言うことを聞いてはくれない。
だからつい口から溢れ出た音は、男を更に動揺させるものでしかなかった。


「銀さん…。私に、触って下さい。」


それは弱々しく銀時の肌に染み込んでいく。
なに、と呟いたはずの音は、掠れた空気となって言葉になることはなかった。


「私がまだ子供だってことは分かってます。身体だって未熟だし、経験もないし、確かに女として魅力がないかもしれないです、けどっ。」


妙の頭の中で、友人の言葉と、銀時の隣に並ぶ女性の姿がぐるぐると回る。
何の知識も経験もない自分は確かに銀時にとってはつまらない人間かもしれない。
関係無い、必要ないと逃げ続けてきた自分への仕打ちなのだと言われれば納得もできる。
が、だからと言ってこのままこの男との関係を終わらせることなど妙にはできるはずもなかった。


「我儘だって分かってます。でも、こうすることでしか銀さんを繋ぎ止めれないんだったら、私…っ、」


零れ落ちたのは水か涙か。
ただ呆然とその様子を下から見上げていた銀時は、小さな手に腕をとられて、それが彼女のささやかでも確かな柔らかさを持つそれに触れるまでぴくりとも身動きが取れなかった。
しかし、掌にその感触を感じて、慌ててその身体を撥ね上げる。


「わ…っ、ばっか、お前!」


やめろ、と掴んだ妙の腕は微かに震えていて、何が彼女をそうさせたのかと混乱する頭の中で必死に原因を探った。
が、どれだけ頭を捻ってもその答えは見つからない。
その間にも今にも泣きだしそうな妙の苦しそうな表情に、銀時は堪らずその細い身体を抱き寄せた。


「何があったんだよ、お妙。」


普段の彼女からは想像もつかない突拍子もない行動に、銀時は自分を落ち着かせるためにも妙の背を撫でて呼吸を整えた。


「なあ、どうした?俺にちゃんと話してくれよ。」


ここまで彼女を苦しめた原因は何なのか。
冷たい髪が頬を濡らすが、そんなことはお構い無しに更に強く妙を抱きしめる。
するとようやく落ち着いてきたのか、妙は銀時の肩に顔を埋めたまま、ぽつりと小さく声を漏らした。


「さっき…、銀さんが女の人と歩いてるの、見たんです…」


ぴくり、と銀時の肩が揺れる。
それは確かな肯定を表しているようで、妙は苦しくなる胸に耐えて言葉を続けた。


「お店で、おりょうと、まだ…、その、銀さんと、…そういう、関係になってないって話になって…」


ぎゅうと握り締めた妙の手の力に比例して、ばくばくと心臓も痛いくらいに速く、大きくなる。


「銀さんも、男だから…、浮気、するんじゃないか、って…、でも、私…っ」


興味がなかったわけじゃない。必要ないと本気でそう思っていたわけじゃない。
ただ逃げていただけ。
ただ怖かっただけ。


「ごめんなさい…っ、ごめんな、さい…。もう、逃げないからっ、怖がらないから…。」


これで銀時を繋ぎ止められるなら、妙にはそうするしかなかった。
早く彼と同じ場所に立ちたい。
堂々と隣を歩けるような、少女ではなく、女性になりたかった。


「だから、私を抱いて下さ…」


それは最後まで言葉にならず、背中に打ち付けた衝撃によって喉の奥で潰されてしまう。
そして次に見た光景に、妙は声を詰まらせて身体を強ばらせた。


「馬鹿にすんなよ」


ひやりと背筋が冷たくなる。
今まで見たこともないような、底冷えのする瞳に捉えられて身動き一つ取れなくなってしまう。


「お妙、」


しかしそれは一瞬で、あっと思ったときにはもう、温かい掌で両頬を包み込まれていた。


「なあ、お妙。俺ってそんな馬鹿な男に見えるか?」
「…銀さ、ん」
「正直。風呂上がりのお前見て、押し倒されて、抱きつかれて。欲情しないわけがない。本当なら、今すぐにでも組み敷いて滅茶苦茶にしてやりてぇ。」


そう言って妙の頬を撫でる手付きは優しく、銀時はうっすらと笑みを浮かべて彼女を見下ろす。


「けど。それをぐっと堪えて、こうして笑えるぐらいには。お前のこと、すっげぇ大事にしてるつもりだけど。」


よいしょ、と背に手を入れて妙の身体を起こし、向かい合うようにして互いの瞳の奥を覗き込む。


「焦んな。お前は、そのまんまでいいんだ。俺は、お前が、好きなんだ。」
「けど…っ、こんな、子供の私じゃ、銀さん…っ」
「誰もお前のこと子供だなんて思ってねぇよ。子供なら、手なんか出さねぇ。こんな、愛したりなんかしねぇ。」
「…浮気、したんじゃなかったんです、か」


とうとう我慢ができなくなったのか、大きな瞳から零れ落ちた雫は、銀時の手を伝って染み込んでいく。
いつもは結い上げている髪がはらり、と肩を滑り落ち、それを見た銀時は思わずそれを一房手にとってそのまま口付けた。


「してねぇよ。あれはお前を迎えに行く途中だったんだ。」


その途中で、今にも倒れそうな酔っ払いを見つけて適当にタクシーに放り込んだ。
そしてすぐに妙の仕事場に向かったものの、既に帰路についた後らしく銀時は急いで家へ向かった。
が、とうに帰っているはずの彼女の姿が見えず、焦って何度も妙の名前を呼んだのだ。


「お前に何かあったんじゃねぇかって、本気で心配しちゃったよ、俺は。」
「じゃあ、」
「そ。お前の勘違い。」


まさか。お妙以外の女に手出すわけないでしょ。
そう言って笑う銀時に、妙は堪らずその腕の中に飛び込んで涙を肩口に染み込ませた。


「俺は待つから。お前のためなら、何ヶ月だって、何年だって待ってやるよ。」
「……っ、」
「だから、んな辛そうな顔すんな。」


俺は、お前の笑顔が見れればそれだけで満足だ。


「痩せ我慢、してるでしょう…っ、」
「はは、ちょっとな。」


妙の濡れた頬を手で拭って、銀時はその額に唇を寄せる。
いつか妙が自ら望んでその身を預けてくれたときは、喜んでそれを受け入れよう。
その意味を込めて、銀時はありがとう、と微笑む妙に手を伸ばした。


「それに。んなことしなくても、俺がお前を好きなことには変わりがないし、それにお前だって」
「ええ。私も、銀さんが好きだわ。」
「なら何も問題ねぇじゃねぇか。気長にやろうぜ。」


その言葉にようやく笑顔を取り戻した妙は、銀時の手をとり、その指先に口付ける。
そして大丈夫だと囁いた男に身を任せて、回される腕を受け入れた。





(待つっつったけど、この体勢はそろそろやばい)
(や、もう少しだけ、ね)

(……生殺し)



     end



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