Silver soul

□指切り
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指切り(土妙)





「絶対絶対内緒にしててね。約束よ」


そう言って絡ませてきたあの小さな指を、俺はきっと一生忘れないだろう。


久し振りに夢を見た。
それもとても懐かしい夢。
まだ、彼女の背が俺の腰くらいまでしかない遠いあの日。


「約束、か」


未だ夢の中で感じたあの彼女の温もりが残っているような気がして、そっと小指に口付けた。
彼女は、果たしてあの頃の約束を今も覚えているのだろうか。


「おはようございます」


いつものように朝六時に彼女を起こしに部屋へと向かう。
彼女はいつものように寝ぼけ眼で挨拶を返し、無防備に小さな欠伸を漏らして目を擦った。


「…もう朝?」
「はい。朝食の準備も既に出来ております」
「んー…あとちょっと寝ちゃ、だめ?」
「駄目です」


ここで絆されてしまっては俺がいる意味がない。
無意識に首を傾けて甘えてくる彼女を一喝する。
本当は思う存分甘やかしてやりたい。
好きなだけ寝かせてやりたい。
しかし、


「寝不足なのは自業自得です」


昨夜、彼女は門限を大幅にオーバーして帰宅した。
何でも友達の家の時計が止まっていたからと。
門限を一分過ぎたところで確認の電話を入れると、慌てた声が受話器越しに耳に届いた。

兄様に叱られちゃう、と助けを求めてくる彼女のお願いを断れるはずもなく。
電話が切れると同時に速攻で車を走らせて彼女を迎えに行った。
しかしどんなに急いでも門限はとうに過ぎている。
途端に気を落とす彼女に殊更大きな溜め息を吐いて、俺はあろうことか、彼には黙っておく、と言ったのだ。
全く、我ながらとんでもなく甘いなと思う。
それを聞いた途端、ぱっと顔を輝かせて花が綻んだかのように笑う彼女に絆されたのも事実。


「お嬢様が門限を破らなければ、寝不足にならずに済んだはずです」


そう嫌味気に言ってやれば、不満そうに頬を膨らませてこちらを恨みがましく見つめてくる二つの瞳とかち合った。
それに心の中で気合を入れて、もうこれ以上絆されて堪るかとすぐにそれから目を反らす。


「起きないんですか?なら兄上様にはお嬢様は寝不足で起きれないとお伝えしておきます」


そうすれば過保護な彼は何故寝不足なのかとしつこく尋ねてくるだろう。
それを百も承知で言っているのだから、俺も相当意地が悪い。
すると案の定、慌てた彼女はすぐにベッドから飛び出してきた。


「兄様には言っちゃだめ!ね……土方さん、」


お願い、とスーツの裾を掴まれては首を振ることなど出来るはずもない。
その行動が全て計算されているんじゃないかと疑ってしまうが、彼女に限ってそれは有り得ないだろう。
だがしかし、そうなるとこれは天然のものとなるわけだが、それはそれで相当たちが悪いということを彼女は気付いているだろうか。


「…分かってます」
「本当?内緒にしてくれる?」
「はい」
「約束よ」


そう言って差し出された小さな指。
それは白くて細く、少し力を入れれば簡単に折れてしまいそうだった。


「ふふ、何だか懐かしいですね」


小指を絡ませてそれを緩やかに揺らしながら彼女が微笑む。


「昔、前にもこうやって指切りしたの覚えてます?」
「…………」


忘れるはずがない。


それは夢に見た遠い記憶。
屋敷の壺を思いがけなく割ってしまった幼い彼女。
理由は猫を内緒で連れ込んだことによる不慮の事故であった。


「ひ、じかたっ、さん…」
「お嬢様、お怪我はないですか」


そう問うと、こくりと頷いた彼女の小さな頭を撫でてすぐに壺を片づける。
幼い顔を涙で歪めて。


「にいさま、には言わないで…」
「兄上様はこんなことでは怒られませんよ」


そう宥めても小さな彼女は頑なに首を振るだけで。
後から気付いたことなのだが、彼女は何より兄に失望されることを恐れていた。
そんなこと万が一にも絶対に有り得ない話だが(あの超ド級のシスコン兄がまさか)、兄のことが大好きだった彼女からすればほんの僅かな失敗でも兄には知られたくなかったのだろう。


「分かりました。内緒にします」
「ほんとう?約束、してくれる?」
「はい」


とそう返事を返した俺に、突如。
じゃあ、と差し出された小指の意図を俺は理解できないでいた。
そんな俺に焦れたのか、彼女は俺の手をとり、小指と小指を絡ませてあの心地の良い声で、指切りげんまん、と歌ったのだ。


「絶対絶対内緒にしててね。約束よ」


指切りしたからね。
そう念を押して自分の瞳から零れた涙を拭う彼女の頬をそっと包み込んでやった。


「お嬢様の仰せの通りに」


あの時から俺は、“約束”というものに囚われてしまっているのだろう。


「今回も内緒にしてて下さいね」


そう言ってにっこりと笑う彼女は随分と大きくなってしまった。
より綺麗に、より魅力的に。
日に日に成長していく彼女を俺は眩しく眺めていた。

実はあの壺の事件の後、彼女の兄にはすぐにバレてしまった。
事情を大まかに説明し彼女が隠したがっていることも伝えると、彼は愛しそうに笑い、そして彼女を抱き締めたのだ。
愛してるよ、と。
それだけで十分だった。
彼女はその後すぐに白状し、素直に謝った。
彼はそれを決して責めず、正直に謝った彼女をこれでもかというほど甘やかしたのだ。

彼女の兄を羨ましいと感じるようになったのは、きっとあれが始まりだ。
何の屈託もなく彼女に愛してると言える彼が羨ましかった。


「約束、ね」


そしてそれは今でもまだ、俺の中のどこかで引っかかっている。
目の前の、成長した君に、たった一言伝えたい。
しかしそれを伝えることが出来ないのは、あの頃と何ら変わってはいない己がいるせいでもある。

だが、これだけで良かった。
彼女とこうして約束が増えるたび。
秘密をまた一つ共有するたび、俺は彼女に縛られる。
そしてそれが酷く心地良かった。
これ以上は何も望まない。だから。


「お嬢様の仰せの通りに」


俺は俺のやり方で、彼女を目一杯甘やかすだけ。







(愛していると言えるのが幸せかどうか)
(それは俺には分からない)


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