多重トリップ過去編


□閑話
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散歩から帰ってきたアスと美味しく夕飯を囲み、桧の浴槽に感動しているセドリックをお風呂に入れて、彼の希望で寝巻きの浴衣を着付けたらあまりの格好良さに殴りたくなったりした。終い湯に入って火照った体を縁側で小鳥ちゃんと二人涼めて居ると、畳で寝ることに「これが噂の…!」とよくわからない感動をしていたセドリックが戻って来た。因みにお風呂に感動するあまり長居をしてしまった彼には、きちんと水分摂取をするよう申し付けていた為、用意していた水を今脇ですんなり飲んでくれている。

『蛍の彼、なかなか格好良いわよね。アスがいつもあてられてウンザリするって言ってたけどあれ絶対嫉妬よ。素直じゃないんだから』
「わ! ちぃちゃん、だめよ、アスに聞こえたらどうするの」

因みに今まで披露出来ていなかった小鳥の名前はまんまちぃくんから貰った。女の子だからちぃちゃん。可愛いと思うしちぃちゃんも気に入ってくれている。

『大丈夫よ、アスなりに気を遣ってるみたいだし』
「んーそれもなんか申し訳ないけど」
『いいじゃない、アスはいつでも一緒に居るんだし、一週間くらい』
「……それもそうか、な?」
「二人でアスの悪口かい?」

すっかり赤味のひいた顔で、セドリックが話に加わってくる。と言っても、彼にはちぃちゃんの言葉は分からないんだけど。

『ふふ、強力なライバルが人間っていうのも、ヘンな話ね』
「? ちぃちゃん?」
『何でもないわ。お邪魔鳥は退散するから、また明日ね、蛍』
「あ、うん……おやすみなさい」

お邪魔鳥って、とか思いながらも突っ込めずそのまま夜空に羽ばたいてゆくちぃちゃんを見詰めていると、セドリックの唇がいきなりこめかみに触れてきた。

「! 急に、どうしたの?」

付き合ってからのセドリックのスキンシップはわりかし唐突ではある、けれども此処まで脈絡が無いわけでもない。不思議に思って目線を横にすると、安心したような顔。

「……セドリック?」

呼び掛ければ、そのままきゅうっと抱き付かれる。ぽんぽんと背中を優しく叩けば、肩口から微かに笑う音が聞こえた。

「奥さんかと思えば、お母さんみたいなこともするんだから」
「……」

顔を上げてコツンと額に額を当てられる。深い静かなセドリックの瞳は、海の底のようだといつも思う。

「君がね、月に取られてしまわないか、心配になったんだ」
「……え?」
「何せ君は、レイブンクローのかぐや姫らしいからね」

クスリと笑うセドリックに、私は笑えなかった。だから、せめて表情が彼から見えないように、彼の胸へと顔を埋めた。異世界への不安は、もう殆どなくなっていた。だけど、これから先を思うと、この世界をもし離れてしまう時が来たらと思うと、ブラックホールの前に立たされたみたいに身が竦んでしまう。私は目の前のことに一生懸命になることで、先のことを考えないようにしてきた。考えても私の力ではどうしようもないことに時間を費やすよりは目の前の向上を目指そうとしてきた。それが間違っているとは思わない。だけど、考えたくなかった先に、彼がいなかったとしたら。私は、こんなにも彼を愛してしまっているのに。

「……でも、セドリックは月に返してくれないんでしょう? ……ずっと、側に置いていてくれるんでしょう?」

バレンタインに彼が言ってくれた言葉は、私にとって見えなかった先を照らす一筋の光だった。ずっと側にいたい。あなたが引き止めてくれるなら、不思議と叶う気がするの。

「勿論、僕はシーカーだからね。絶対に君を捕まえに行くよ」
「ふふっ、私はスニッチなのね」

ぎゅっと彼に抱き締められると、不安が消えていく。目を閉じると、これが幸せなんだと全身で感じられる。私はセドリックが居れば、きっと何でも出来る気がするのだ。

「そんな僕のスニッチに、プレゼントがあるんだ」
「……なあに?」

体を離すのは嫌だったので、背中を預けるようにして背の高い彼の顔を見詰める。セドリックは一瞬止まってから、珍しく深い、濃厚な口付けをしてきた。

「ふっ……ん、はぁっ、セド、」

酸素さえもを奪われるように繰り返し口付けられて、流石に苦しくなってセドリックの頬をぺしぺしと叩いて意思表示する。セドリックはハッとしてから、涙目になった私の両目に優しくキスをした。

「ごめん、蛍」
「いーけど……今のがプレゼント?」

違うとは思ったけど、案の定真っ赤になって声にならない否定の言葉を紡ごうとするセドリックに愛おしさと笑いが込み上げてくる。やっぱり、翻弄されるばかりじゃフェアじゃない。

「……いや、そもそも今のだって基はと言えば蛍が可愛すぎたのがいけないわけで」
「え、私のせい?」

きょとんとすると、セドリックが無自覚天然小悪魔、と呟いて額にキスをする。何、じゃあ私達無自覚天然カップルなのか?

「プレゼントはこれだよ」
「え? わ、桜の簪?」
「親戚に日本好きの人が居て、日本人の彼女に何をプレゼントしたらいいかって一緒に悩んで貰ったんだ」

手渡された簪は、淡い桜のピンク色と金色の足がピッタリでとても綺麗だった。言葉にすれば陳腐になってしまうほど美しくて気高い色は、黒髪によく栄えるだろうと思った。

「本当に、素敵……こんなに綺麗なもの、貰っていいの?」
「蛍のために選んだんだよ」

呆けたように簪を見つめてから真剣に問うと、小さく苦笑を浮かべてから、彼は柔らかく微笑んで、口を開く。

「金色にしてもらったのはね、スニッチと一緒にしたかったから。何処にいても、必ず見つけるよ」

プロポーズのような言葉に、胸が音を立てる。

「それで、絶対に離さない」
「──うん」

思い出すのは、ミセス・ノリスが石化したあの日。私のところまで来て、ゆっくり抱き締めてくれた。決闘クラブの時だって、彼は城中を探し回ってくれて力強い抱擁をくれた。あの時の告白は思い出すと顔が赤くなってしまうけれど、幸せで嬉しい記憶だ。私には彼を信じられるだけの材料がちゃんと揃っている。だから、不安になることは何もない。セドリックの腕の中で、彼の胸の音だけを聞きながら、私はずっと目を閉じていた。





(ね、セドリック)
(ん?)
(だいすき)
(……僕も)


いまが、しあわせ。
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