多重トリップ


□回想は三郎視点で
1ページ/2ページ



私が蛍に出逢ったのは、素顔で忍術学園に向かっていた十の時である。故郷でも変装が当たり前だった私は、まだ遠い学園でも素顔を見せないことを約束させられていたから、子供心に初めて伸び伸びと素顔を曝せるこの瞬間に浮かれすぎて道を外れたらしかった。マズいと思ったのは不当な輩に囲まれてからで、手遅れな状況に頬を汗が伝うのが分かった。稽古は付けて貰っていたけれど、忍術は万能ではないし何しろ自分は子供であまりにも小さい。迂闊だった自分を責めても後の祭りで、最早これまでとは短い生涯だった、なんてぼんやり考えていた時だった。

「大のオトナが揃いも揃って小さな子を囲むなんて、情けないねぇ」
「!、誰だ!」

伸びやかな声が聞こえてきて、焦る賊の真上に、私とそう年の変わらない少女が降ってきた。軽々とした動きなのに凹んだ地面に唖然とする私には目もくれず、少女は私を背に庇うと痛そうに身悶えながらも何とか体勢を整える、己よりも遥かに大きく無骨な男を見下すような冷やかさで一瞥した。

「ガキ一人が加わったぐれェで何が出来るってんだ!」
「そうだね。でも一人じゃなかったとしたら?」

苛立つ男の声とは対照的に、少女はどこまでも冷静な音を奏でる。ざわめく男達がハッタリだと抜かすも、彼女が複雑な印を結べばもうそこにはざっと男達を取り囲む、少女と同じ姿形をした少女たちがずらりと。

「!?」
「今のうち、こっち」

動揺するのは男たちも私も一緒だったが、少女がひんやりとした手で私の手首を掴めば我に返って逃げることに専念出来る。囲まれていたのにいつの間にか少女たちが取り押さえている男たちを横目に、私は夢中で走った。

「はぁ、はぁ…」
「どこも怪我ない?大丈夫だった?」

そこいらの子供よりは鍛えている私でも息切れしていたというのに、彼女は汗一つかいていなくて凄く不思議だったのを覚えている。何でもないような顔で私を救いだし、今こうして私の体に怪我がないか調べている彼女は命の恩人で、正しく英雄だと思った。

「あの、大丈夫です。ありがとうございました…」
「良いのよ。戦っていたのは影分身だし。それより道、分かる?」
「あ、ええと、はい、わかります」
「そ、ならよかった。今度は浮かれて人気のない道に外れないよう気をつけてね」

彼女の言っていることの半分はよく分からなかったけれど、さらりと撫でられた手はとても気持ち良くて、ああ、私もこんな風に人を助けられる人間になりたいなあと思ったのだった。





それからの一方的な再会は実は早かった。出逢った時からめちゃくちゃ強かった彼女は当たり前だが学園中の噂で、私は変装した顔でいつも蛍を眺めていたから。先生相手にですらも引けを取らない彼女は、けれども最初に逢った時の“影分身”を使うことは決してなかった。第一忍たまの友に書いてある分身の術は、幻覚やら残像やらのことで、実際に本人と同じようにバラバラに動くこと等理論上不可能なのである。勇気を出して話し掛けたのは三年の時。蛍は当初首を傾げていたが、話題を出すと直ぐに顔色を変えた。

「そっか…見られてて妙に気になる気配だったのはあの時の子だったからか」

彼女の周りはいつもピンと空気が張っていて人がいないから、私も普通にはばかられそうな話しをすることが出来る。後で思うと結界を張っていたのだろうが、その内側で話しかけてもよいという権利を貰ったことが凄く嬉しかった。二年の月日が経っていた当時でも彼女は私に取ってヒーローであり続けていたし、くのたまとしての評判も悪いものはなかったから緊張はせど恐怖は無かったのだ。

「気配…私のことを、覚えておられたのですか」
「そうだね、普通の子より強いと思ったから…最も、今のように変装していたなら忍術関係だとすぐに分かるから影分身なんて出さずにあの時変化していただろうけど」
「へんげ…」

ぽわんという煙の音と共に、現れたのは綺麗な女の人。けれど表情も顔の作りも彼女で、むしろ蛍の雰囲気には此方の方が合っていると思った。

「…怖がらないの?私は君の知らない、得体の知れない力を使うのに」
「貴女は、私のヒーローですから」

見惚れている私に彼女は苦笑して、手を伸ばして来る。私はそれを避けることもせず緩めた視線で受け止めた。キュッと掴んだ指先は美しく細くて、何だか唐突にこの人の隣に立ちたいと思ってしまった。

「私、鉢屋三郎といいます。貴女の隣に居たいです」





「そういえばあの時はプロポーズでもされたのかと思った」

それから五年まで年を重ねて、定位置となった己の脇でクスクスと笑っているのは憧れの人だった蛍だ。私のヒーローだった彼女は、今でもその面影を残せど友人や悪友の色が濃い。三年から猛烈に話し掛け、異界の話も蛍が世界を渡りやすいらしいことも聞いた。基本的に流され体質な蛍が私の勢いに流されてくれた感は否めないけれど、それでも私を排除しようと思えば容易かっただろう彼女が私と一緒に居てくれるのは嬉しかった。

「ねえ三郎、私は貴方がいて久しぶりに心休まってるよ」

特殊な環境で育って精神が複雑怪奇な私のように、様々な世界を渡ってきた蛍の精神は常人には理解しにくいものであろう。似た者同士でもあったらしい私たちが側に居て楽なのは当然であって、仲間と呼べる人は増えても特別な親友はいつだって蛍一人きりだった。もういい加減独りぼっちで世界を渡るのは嫌なんだと、二人で月見酒をしていたたった一回、蛍が小さく漏らした言葉に、次に世界を渡るなら私も連れて行けばいいのに、と口に出さずに思った。強く強くその時思ったからだろう。今こうして、蛍の隣に居られるのは。

「三郎?」

くいっと手を引かれて、みる場所に懐かしさの欠片もない現実に戻ってくる。掌の温かさに触発されて、昔の回想をしていたらしかった。

「大丈夫?ぼーっとして…」

かつて私に怪我はないかと心配してくれた表情そのままに、顔を覗いてくる彼女。先ほど蛍は私に、混乱してただろうに人助けに迷いがなかった三郎は凄いね、と言ったけど、利もなく私を助けたのは蛍が最初で、私はかつて私のヒーローだった蛍みたいになりたかっただけなんだ。

「なあ蛍、ずっとお前の隣に居たいよ」
「…」

昔と同じ言葉を紡ぐと、一瞬呼吸が止まってから真意を探るような視線にぶち当たる。これは嫌疑とかから来てる訳じゃなくて、いきなり異世界に飛んだ難しさとか辛さをよく知っている蛍だからこその心配からくるものなんだろうけど。

「昔月に誓ったんだ。お前を一人で行かせないって。夢が叶った」
「三郎…」

繋がれていた掌は、もう緊張してなんかいなかった。異世界、それがなんだ。だって蛍がいる。私は一人じゃない。

「一人にしないから、お前も私を一人にしないでくれ」

ぎゅっとそう身長の変わらない蛍の体を抱き締めると、ふわりと良い匂いがした。室町では嗅いだことのない匂いは、香の一種かもしれない、となんとなく思った。

「…ズルいね、三郎は。私がしたかったこととか考えてたこと、全部先回りして潰しちゃって、私の本音を叶えてくれるんだから」

私に全てを預けてくれるつもりのない蛍の体は微かに重量を感じる程度だったが、私の背中に回された蛍の手はやっぱり昔と変わらず、温かくて優しかった。



次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ