多重トリップ


□己に課した最初の使命
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目覚めて隣に彼女の気配が無いことに戸惑った。部屋に見覚えはなく、また違う世界とやらに飛ばされたのだろうか。不思議な体質で誰にも心を開いていなかった彼女を思うと、はぐれたかもしれないこの事態は由々しきことだった。一刻も早く状況を整理して、彼女を探し出さなければ。それが目覚めてすぐに思った自分の使命であり忍務だった。
しかし思ったより部屋に物がなく、持ち主はきっと物事に執着出来ないタイプのようだと思った。いや、鉢屋三郎の特性をよく表しているのだとは思うが。とりあえず部屋の外に出る必要がある。家の気配は己のそれ一つでは無かったのだ。

「あら、起きたの。珍しいわね。今日は学校行くの?」

警戒して睨んでみても、「はいはい、余計な口挟みません」と流されるばかり。どうやら目の前の女は気配からして自分の母らしい。実際の顔なんて見たことが無かったのでなんとも言えなかったが。

「…まあ学校は卒業しておかなきゃマズいだろ」
「あら、そんな殊勝なこと思ってたなんて全然知らなかったわ。まあ、立海大付属中学校を受験したいって言い出した時点である程度将来設計でもしてるのかしら、って思ったけど、アンタのことだから物理的距離が近いからってだけで受けたのかと思ったわ」

家事をしながらつらつらと情報を流してくれるのは有り難いのだが。

「…中学校?」
「え、なにアンタ、寝ぼけてるの?」

もう中3なんだからしっかりしてよね、なんて言われれば「…ああ」と言う他はない。とりあえずリビングに放り投げてある学生鞄が己のものだと思うので回収して、部屋に逆戻り。鞄の中から学生証を取り出せば、立海大付属中学校三年F組鉢屋三郎の文字が。

「…成る程、よくわからんが今回は中学生ということだな」

初めて異世界トリップなるものを体験した時も自分の年齢が3つ程加算されていた、しかし蛍と一緒なので何も気にしなかったのだ。今回は元の年齢とあんまり変わらないが、蛍が高校生の場合はちょっと困るかもしれない。

「…まあいいか。すべては蛍を探してから決めるってことで」

クローゼットを開ければ綺麗な制服が佇んでいて、どれくらい着てなかったんだよ、私、なんてちょっと突っ込みたくなった。






母親から言われるくらい学校には来ていないらしいので、まあ注目を浴びるのは当然と半ば諦めている。学校の内部は朝チェックしたし、あとは名簿で蛍の名前を大学までさらってしまおうと思う。まあ気配がない時点で、この学校に蛍が居る確率は随分と低いのだが。

「鉢屋が学校に来るとは珍しいな。部活が中止になったら困るのだが」

今後の予定について頭を巡らせていると、隣の糸目に話しかけられた。何か探る視線なのを訝しく思ったし、当たり障りない対応なんてした日には性格が変わったと思われるだろうから、顔色を変えずに返答してみることにする。

「お前誰?」
「柳蓮二だ。先週あった席替えからお前の隣になった。よろしくな」
「ふーん」

名前を聞かれてムッとした顔でもするかと思いきやそんなこともなく、遠巻きにしてるやつとも違って真正面から観察する姿もまあ好感が持てる方だろうが。でも、それだけだ。それきり話を途切れさせると、柳はノートか何かにガリガリ書いた後に、また話し掛けてくる。

「関心が薄いヤツだとは思っていたが、こうまで話を広げないとは逆に興味深いな。普通ここは言いがかりはよせ、とか何部なんだ?とかに発展させるところではないのか?」

…なにこいつ。

「…そんな親しくないだろ。部活なんて聞かなくてもその焼け方と筋肉の付き方でテニス部だって分かる」

無視するのも哀れだがとりあえず話を終わらせたくてぞんざいに言ってやると、柳は突然閉じていた目をカッと開けてノートにまたガリガリと何かを書き出した。こわっ!コイツこわっ!

「鉢屋は小学生から空手をやっていたんだったな。今はやっていないようだが、筋肉など身体に詳しいのか?」
「…どこ情報だ、ソレ」
「教員の証言だ」

どうやらこの世界では空手を小学生から始めたらしい。で、今はやっていないということは現在はものぐさ帰宅部という理解でいいんだろうか。勿論筋肉に詳しいのは忍者だったからだが、工藤新一や服部、黒羽、白馬たちも洞察力に優れていたからそんなに反応されることだとは思わなかった。

「…まあそんなとこだ」
「そうか。実に興味深い」
「…そうかよ」

よくわからんが、隣の席のやつは変人だと思う。







立海に通って数日が過ぎ、そろそろ己への認識も“まあそろそろ日数でもヤバくなったんだろう”なんて理解に切り替わった頃になっても、蛍の手がかりは全く掴めていなかった。忍者スキルを駆使しようが、情報社会に移行していようが、手がかり無しに目的にたどり着けるほど世の中甘くないらしい。よって切り口を変えることにした。

「なあ柳、お前テニス部だって言ってたよな」
「──珍しいな鉢屋、お前から話し掛けてくるとは。まあ、鉢屋が当てた通り俺はテニス部だが」

席が隣なだけあって、他のクラスメートよりは明らかに交流がある柳がデータマンであり、テニス部では参謀なんて呼ばれていたりすることは嫌でも耳に入ってくることだったが、今重要なのは柳のことではない。

「この辺でテニス強いとこって何処なんだ?」

世界を越えた、それがフィクションらしいということはもう今更どうでもいいことだが、世界の中心が何であるかは結構重要だと思う。ここ立海のテニス部は、何やら面白い技を使ったり人間離れしたスキルを持っているヤツがいるという話を小耳に挟んだし、実際試合を見たら前の世界では有り得ないようなプレイが次々と目に飛び込んで来たから、この世界の中心は多分テニス関連のものだと思っている。でも立海に蛍はいない。スポーツ漫画なのか何なのかは知らないが、主役校かライバル校にいるのかもしれない。

「…神奈川には立海と台頭出来るような強豪は」
「いや、東京で」

米花町も都内だったし、蛍はおそらく東京にいる気がする。

「…そうだな。都大会上位としては、青学、山吹、銀華、不動峰、氷帝だったが」
「が?」
「銀華はそう注目に値する学校ではないと俺は思っている」
「…柳って結構辛辣だよな」

別にどうでもいいが、と思いつつ、学校の印象やテニス部についての話をそれとなく聞いていく。新テニス部を作ったという辺り不動峰が主人公枠なのかとも思ったが、普通に考えれば都大会優勝校の青学が主役っぽいよな。まあ虱潰しに当たってこう。

「しかし、どうしたんだ?鉢屋がテニスに興味があるとは思わなかったが」
「あー、まあテニスに興味があるわけではないな」
「では、何故だ」

柳の目は真っ直ぐで、純粋な疑問を紡いでいるのだと分かる。情報も貰った訳だし、あまりに自分のことを話さないのはフェアじゃないだろう。

「探し物、だな」
「探し物…失せ物か?」
「そんな感じだ」

蛍は物じゃないが、人だというと変に興味を持たれそうだったからやめておいた。それでもテニス部との関連性が分からないだろうから首を傾げている柳を一瞥して、放っておく。柳は情報は集めてくるが、引いた線には踏み込みすぎないやつだから助かっている。

「…見つかるといいな」
「…ああ」

それでもふと柳が零した言葉に、意図せず目を細めてしまった。常人なら気付かない変化だろうが、柳ならちょっと悟れる程度だろう。まあ人からの印象とかすらどうだっていいのだが。今は只、蛍に会いたい。




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