多重トリップ


□私が世界に居る理由
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はっきり言って表情には出していないだけで、今現在の私は結構落ち着かない心地でいる。そもそも練習試合なら現地集合でもいいじゃないかと声を大にして言いたいのだ。私からしてみれば待ち合わせなんて余計なタイムロスでしかないわけで、しかし協調性も大事だと百歩譲って早朝の立海大附属中学校校門前に来たにも関わらず、切原が遅刻とかふざけんじゃねぇと聞いた途端にキレそうになったのは気のせいじゃない。それでも大人しくバスに乗ってるんだから本当に私は偉いと思う。この後蛍に会えると分かってなければ卓袱台返しで速攻帰るところだ。蛍不足も限界な上に朝からこうまで気を削がれて来たのだ、だからもう仕方ないと思う。この世界で目覚めてからずっと探し求めていた存在の気配が到着地から感じられた瞬間、後ろからの声も忘れて私はただ走った。今日ばかりは一般人の走りも何もかもを忘れて。

「───蛍ッ!」

目の前で固まったまま、大きな目を見開いて駆けてくる私を見ている姿は、本当に本物の蛍で、ようやく会えた喜びやらなにやらで一杯になった私はその勢いのまま蛍を力強く抱き締めた。顔をじっくり見るよりもまず、その存在を確かめたくて、消えない温もりを感じたくて両腕をしっかり固定する。

「さ、ぶろ」

久しぶりに彼女の声を聞いて、彼女の声で名前を呼ばれて、嬉しさの余りにぎゅうぎゅうとしがみつくようにしていれば、震える手で軽く腕に触れられたのでその腕は腰に回すことにして、言われなくても伝わってくる彼女の望み通りに顔を晒すことにした。

「ほん、ほんとに三郎?嘘じゃない?」

蛍は未だに信じられない、と云った顔をしていて、今までどんなに心細かっただろうかと考えるだけで胸が苦しくなった。待たせてしまった事実に、ただ申し訳なく思って。

「ああ──遅くなった。ごめんな、蛍」

言い聞かせるように言ったのは、信じて欲しかったからだ。これは夢ではなく、これからも私はずっと蛍と一緒に居るつもりであるのだと。柔らかい頬に触れて、自分も蛍が本物だという実感を噛み締めて喜んでいるのだから彼女の気持ちと私の気持ちは同じ。蛍は私の温度と言葉に漸く状況を理解したようで、久しぶりに見たその顔をくしゃりと歪めた。

「ほ、ほんとだよ…三郎、遅刻し過ぎ、っだよ!わた、私、私、も、会えないかとッ」

また、独りになったと思った、蛍の言葉は例え口に出さなくたって痛いほどに分かる。確かに彼女は1人で生きていけるくらい強くしっかりしているけれど、だからって私は蛍独りで生を送らせるつもりなんか毛頭ないんだ。

「約束、したろ?もうお前を1人にしないって」
「───っ」

本心のままに言葉を紡いだのを最後に、ポロポロと涙を零す蛍が私に向かって飛び付いてくる。十分密着していたが、隙間のないように、蛍から私の存在を離さないとでも言わんばかりに。衝撃もそのままに地面に座ることにして、肩口に染み込む温かさに漸く自分も蛍の泣き場所に成れたのだと不謹慎ながら嬉しく思った。そう、そんな幸福に浸っていたからこそ、忘れてたんだが。

「マネージャーとして連れてきてあげたのに、凄いスピードで俺達を置いていくのとか止めてくれない?」

後ろからやっと追いついたらしい面々の気配を感じるまで状況を忘れてたとか私もまだまだだな、と思ったが、普通この状態で声はかけないだろうよ!ほら、氷帝のヤツらなんか一言も発せずにずっと固まったままだろうが!まあ100パーセント蛍が泣くところを初めて見たからとかそんな理由でなんだろうが。

「…幸村クン、空気を読んでくれないか」

お前にはこの感動の再会が見えないのか、と言外に含んで言ったがにっこり笑顔でスルーされる。やっぱり幸村には同属性を感じざるを得ないな…。敢えて空気を読まずに己の好きなように場を動かすというか。中学三年生でコレとは恐れ入る。…しかしその場合幸村が蛍を気に入る確立も増えると言うわけで、そもそも蛍は誰かに嫌われるようなタイプじゃまずないんだが、なんだか複雑な心持ちになってきて思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。今更蛍に心を砕く人間が増えたところで、私くらい親密な関係を築ける輩が出て来るとは思えないが、面白くないものは面白くないのだ。すると一応空気を読んで静かにノートを書いていたらしい柳が口を開いた。

「ほう、鉢屋は日比野蛍の前だとそんなにも表情豊かになるのか。実に興味深いな」
「お前もデータ取ってんじゃねーよ!」

思わず突っ込んでしまった。他の面々は氷帝のヤツらと同じく呆けたような状態だが幸村・柳・仁王は完全に状況を楽しんでいる。悔しく思いつつも蛍の前で被る仮面なんてないのだから仕方ない。落ち着いたらしい蛍が身じろぎするが、情けない自分を見られるのも私の蛍をやつらに見られるのも嫌で腕は解かないままだ。

「鉢屋が俺達に日比野を見せたくない確率98%」
「じゃがな、面識ある奴らはちゃーんとおるぜよ」

悪いか柳、訂正を要求して100パーセントそうなんだよ!と吐き捨てたかったが、続いた仁王の言葉に腕の中で蛍が反応したのでそれも叶わない。

「その特徴的な喋り方…仁王くん?」
「おん、久しぶりじゃのう、蛍サン」

しかもよりにもよって仁王は私の蛍を名前呼びしやがった!からかわれてると分かるが苛立たしい!

「てめっ!仁王!なに蛍のこと名前呼びしてるんだ!」
「ね、三郎、力緩めてくれていいよ」
「…蛍の泣き顔、誰にも見せたくない」
「もう泣き止んだよ」

くす、と小さく笑う蛍が、愛しい。温もりも感触も全部伝わってくる“蛍”を、この腕の中から解放したくはない。でも何時までも抱き締めたままでは居られないだろうから、本当に名残惜しかったが渋々離すことにする。後ろでざわっと立海のメンバーが動揺したのは、私が人から指図されて素直に動いたからだろうが、蛍の言葉は私の全てなんだから当たり前だと言いたい。言わないが。

「多くの方は二度目まして、ですがほぼ皆さん初対面と同義ですね。氷帝のマネージャーをやらせて貰ってます日比野蛍です。以前の練習試合では自己紹介もせず申し訳ありませんでした」

先程までの自分との遣り取りが嘘のようにピシッとし、立海メンバーに向かって腰を折る蛍は本当にしっかり者だ。凛とした姿に惚れ直しながらも寄り添うのは周りの奴らに必要以上の興味やら好意やらを持たれない牽制でもあるが、蛍の魅力は万人に共通だから難しいだろうな…。

「いや、むしろサポートしてもらっていたことにも気付かなかった此方に非はある、御礼を言えなくてごめんね」

にこやかな幸村だって私と同じタイプなのは互いに分かってるだろうし、通常に比べたら随分と柔らかい笑顔をするものだ。一応部長だということを蛍に伝えるが、それ以外の情報なんて教えたくもないくらいである。子供っぽいと自覚してるんだから柳もそんな顔してデータを取るなよな!いたたまれなくなるだろうが!

「朝っぱらからコート脇で失礼しました。三郎と私はサポートに戻るので、気にせず練習試合を始めて下さい…跡部部長?」
「お、おう…お前ら!試合開始するぞ!」
「そ、そやな…」

今まで微動だにせず後ろで呆けていた氷帝のメンバーは蛍の声で我に返るが、あれ絶対蛍に見とれてたとかそんなんだろ。初めて気の抜いた蛍の姿を見て驚き、同時に羨ましいとか感じた筈だ。つーかそもそも蛍と同じ学校という点でとても腹立たしい。思わず眉間に皺が寄る。

「三郎?」

…でも今こうして隣で手を引かれるのは私だけだもんな。握る掌を離さないようにぎゅっと力を込める。首を傾げながらも、同じくらい強く握りなおしてくれる蛍は、やっぱり私の蛍で、漸く落ち着ける居場所に戻れたのだと心が歓喜に震えた。



((蛍、蛍))
((何度だって、必ず見つけ出すから))
((ずっと私の隣で笑っていて))




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